刑部姫のコピー本−甘いエスプレッソ
サバフェス2周目
社長アーサー×カフェ店員主
とある街のとあるカフェで働く唯斗は、最近、少し困っていることがあった。
それは、常連客の一人がやたら唯斗に甘い言葉をかけて、まるで口説いているような言動をすることだ。
しかもその客は同じ男で、金髪に翠眼、おとぎ話の王子様のような端正な顔に180センチちょっとの高身長、程よく鍛えられた体と、外見からおおよそ並の人間ではないと分かる相貌だった。
常連客のこの男を目当てに女性客が来るほどだ。
名前はファーストネームだけ、アーサーという名であることは知っている。だが他のことは何も知らない。
平日の昼に1時間だけコーヒーを飲みに来るだけの常連客であるということ以外、唯斗が知っていることはないのだ。
一方、アーサーは唯斗のことを色々と知っている。最初はなんでもない世間話から、名前、好きな食べ物、趣味、休みの日の過ごし方などだんだんと聞かれる内容は深まっていき、今では過去の経歴や家族のことまで、大半のことを知られていた。
「これは個人情報の大部分を知られているのでは」と気づくのが遅すぎたのは、アーサーの話術が巧みだったからだ。
ただ、別に知られて困ることもなければ、それが不愉快ということでもなかったため、唯斗は放置している。
しかし、やはり口説くようなことを言ってくるのは、反応に困ってしまう。
「やあ唯斗。今日も素敵だね」
「…、いらっしゃいませ。あんたに言われてもな」
「褒め言葉として受け取っておこう。いつものエスプレッソを頼む」
最初は客として敬語だった唯斗も、今ではすっかり慣れたタメ口だ。そうしろと言われたからであり、最近の口説くような言葉がストレートすぎるため、あしらう意味でもぞんざいな言葉遣いになっている。
定位置の席に座り、いつものエスプレッソの注文を受ける。
いつも通り、キッチンで用意されたエスプレッソをトレーに乗せて運び、アーサーのテーブルに置くと、アーサーから声をかけてきた。
「唯斗、折り入って提案、というかお願いがあるのだけど」
「…?」
そういう話題の切り出し方は初めてだったため、何かと唯斗はアーサーに視線を向ける。アーサーは微笑みながら名刺を取り出す。
「実は、僕はキャメロットグループの会長をしているんだ。フルネームはアーサー・ペンドラゴン」
「…っ、それで?」
一般人ではなさそうだと思っていた唯斗だったが、世界的な大企業の名前にさすがに動揺する。しかし今更取り繕ったところで、今までの言動は変わらない。それなら、もはや態度を変えるのも無意味だ。
変わらず続きを促すと、アーサーはなおも頬笑む。
「うん、それで、君には僕の秘書として転職しないか、という提案をさせて欲しいんだ。僕は欲深くてね、平日の1時間だけの逢瀬では、もう我慢ができない」
口説くような言動が、本当に口説いているのだということは、さすがに唯斗も薄々勘付いてはいた。だが、こんな平々凡々な人間にすることかと信じられなかったのだ。
それもここまでだ。こんな言われ方をされてしまえば、解釈の余地はない。ただ、唯斗も簡単に応じるわけにはいかなかった。
「断る。あんたは俺のカフェ店員としての姿しか知らないはずだ。なのに秘書が務まるのか、能力的な判断はできねぇだろ。それなのに登用するのは経営者としてどうなんだよ。ていうかそもそも、あんたは俺と、社長と秘書の関係になりたいのか。あんたが本当に望んでる関係はなんだ。それも言わずに迂遠なやり方するような腰抜けについて行けるか」
淡々と今この場で思ったことを告げる。ちょっと言い過ぎただろうか、とも思ったが、この段階でもなお直接的な言い方をしないことに苛立ったのも本当だ。スパッと言え、と思ってしまうのだ。
唯斗の言葉を聞いたアーサーは呆気にとられたあと、今まで見たことがないような気の抜けた笑顔で苦笑した。驚きと、あとは安堵だろうか。
「…あぁ、君は本当に素敵だ。僕の立場を知っても態度を変えるどころか、まさに正論で諭されてしまった。いや、君を試したわけじゃなかったんだ。本気で提案した。でも現に、僕は媚びを売るような人間ばかりに囲まれていた中で、対等に接してくれる君との時間が大切で常連客になったし、今もそれが変わらないのだと知って、心から安堵している。そして、君の男前な言葉に、さらに好きになってしまった」
「…っ、」
アーサーはついにその言葉を口にした。そして、唯斗の手を取りそっとこちらを見上げる。
「…好きだ。君のことが。術数権謀、嫉妬、恨み、媚び、打算、そんなものばかりの僕の生活で、君だけは対等だった。君の言うとおり、僕は秘書として君と接したいんじゃない。人生を寄り添う相手として、隣にいて欲しいんだ」
この男の本気の言葉と眼差しを受けて自分がどうなるか、考えていなかった。心臓が大きく音を立てて、うっかり絆されそうになっている。
唯斗は落ち着くために深呼吸してから、顔が赤くなっていないか心配になって、トレーで顔を半分ほど隠した。
「…、俺はあんたのこと、なんも知らない。それであんたの気持ちに応えることはできない」
「それなら知って欲しい。そうだね、良ければ、君の休日をくれないか?もっと長い時間を一緒に過ごして、僕のことを知って欲しい」
「……まぁ、まずはそれなら」
「ふふ、君は本当に可愛いね。ありがとう」
嬉しそうに笑うその笑顔の破壊力たるや、この男は顔だけで全人類を落とせるのではないだろうか。
アーサーから、その愛を一身に受けるようなことになってしまえば、それはなおさらだ。
とりあえず、砂糖の塊のようなアーサーの声と中和するためにも、唯斗はこのあと一際苦いエスプレッソを入れてもらおう、と考えた。