厳寒の温もり−1


年が明けたばかりの1月、ポーランド南西部の大都市ヴロツワフに降り立った唯斗は、その寒さに早速後悔し始めていた。

空港からタクシーで市街地中心部の鉄道駅までやってきて、待ち合わせ相手を行き交う人の間に見つける。歩いていくと、すでに青年は呆れた表情をしていた。


「中欧の冬を舐めてるのか」

「返す言葉もないな…」


カドック・ゼムルプス、ポーランド人で唯斗と同い年の25歳である。
ロンドンにあるUCL(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン)で学部生時代に出会い、在学中に親交を深め、そして、現在交際している相手だった。

UCLは世界トップクラスの大学であり、英国でも長い歴史を持つ大学だ。しかし、伝統を重んじるオックスフォードやケンブリッジと異なり、功利主義で知られる設立者ベンサムのイデオロギーをふんだんに継承する大学でもある。

このUCLの社会・歴史科学部において歴史学科に在籍していた唯斗とカドックは、在学中に知り合い、意気投合し、ともに考古学研究所に入った。


「まったく、これだからパリジャンは」

「ベルリンやここほど寒くないんだよ、西欧は」


卒業後、唯斗はパリ郊外にあるサン=ジェルマン博物館に、カドックはベルリンにあるペルガモン博物館に勤務しており、それぞれ研究に没頭している。
フランスで育った日系人である唯斗はフランス語と英語と日本語が使え、カドックはポーランド語のほかにドイツ語と英語ができる。また、二人ともラテン語はそれなりにできて、ヒエログリフもそこそこ読める。

恋人ながら遠距離であるため、今日は新年の休暇を利用してカドックの実家を訪れていた。昔からの名家であるため、実家には古典スラブの資料もあるらしい。

ヴロツワフ駅から大通りを旧市街に向かって歩いていくと、歩道の脇に排ガスで汚れて黒ずんだ雪がシャーベット状になって積もっており、車が通るたびに盛大に泥水をまき散らしている。
唯斗は薄着ではないものの、しかしこの中欧の冬に対応するほどの防寒着でもなかったため、寒さでガタガタと震えていた。絶対にあの冷たい泥水にはかかりたくない、と思っていると、カドックはさらりと唯斗の肩を抱いて車道から遠ざけてくれた。
すぐに腕は離れたものの、その一瞬の温もりを寂しく思う。

この国は、欧州でも珍しい同性愛嫌悪の激しい国だ。EUからそれを理由に補助金を停止された自治体もある。国民の半分、あるいはそれ以上が同性愛を嫌悪しており、公然と大統領などがLGBTを非難、3分の1の自治体がLGBTフリーゾーンという、同性愛者ゼロを掲げる宣言をしている。

ヴロツワフはレインボープライドを行う程度には、まだマシな方ではあるものの、概してこの国ではあからさまな行動はできない。ドイツやフランスとは違うのだ。
今日これから会うカドックの親にも、唯斗は友人として紹介される。ただ、それについては唯斗もカドックも気にしておらず、ともに家族を疎んでいることで一致しているため、そこは問題ではなかった。


「…すぐ着く」


するとカドックは、短くそう告げた。唯斗の心情を察してのことだろう。すぐに着くから我慢しろということで、そういう恋人らしい振る舞いというものに無頓着なカドックがそう言ってくれるのは珍しい。それについては唯斗も人のことは言えないが、曲がりなりにも愛の国フランスで生活しているため、一応最低限はわきまえているつもりである。


「…大丈夫。日本も同じようなもんだし。それにしても、やっぱポーランドの古い町はいいな、風情がある」


唯斗は話題を変えようと、旧市街の街並みを見渡した。
中世以降に貿易で栄えた欧州の都市は、ファサード建築という、建物の正面が飾られた壁面で覆われた建築様式を持っていることが多い。
このヴロツワフもそうで、特にカラフルで荘厳な6階建てほどの建物が並んでいる様子は圧巻だ。


「まぁ、新築といえば新築だけどな」


自嘲気味に笑うカドックだが、この笑い方はカドックの癖である。卑屈なところがあるのだが、本当はとても優秀な人物だ。
カドックが言う通り、第二次世界大戦で焼失したこの街は、ポーランドの他の古都と同じように綿密な修復が行われ、旧市街が復元されている。そのため、街並みは古いが建物は戦後のものだった。

そんな旧市街の一角、ひときわ大きく、美しく飾られたファサードの建物にカドックは入っていた。地上階はテナントになっている。

表通りに面している部分から見えているよりもかなり大きな建物のようで、奥行きがあり、中庭もあるようだ。そんな大きな建物で、カドックの両親に簡単に挨拶をする。カドックと両親はさほど仲が良くないが、大人になって適切な付き合い方を掴めたようで、どちらかといえば大人同士の社交のような場だった。

カドックの両親が早々に自室に引っ込んだところで、カドックの自室として使われていたという部屋に向かう。今もハウスキーパーが綺麗に保っているそうだが、それはカドックのためではなく、単に家が傷むのを防ぐためらしい。


「ホテルみたいだな」

「ホテルにすることも検討してたらしい。家を切り売りするには、なけなしのプライドが邪魔だったみたいだけどな」

「…つか、寒い」


また皮肉めいたことを言ったため、それ以上カドックに言わせたくなくて、唯斗はまた話を変える。カドックは肩を竦めてから、温水ヒーターのバルブを回して暖房をつけた。



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