厳寒の温もり−2
「暖房効くまで時間かかる。ウォッカでも飲むか?」
「…、一口だけ…」
「飲むのかよ…」
どうやらカドックはからかってそう勧めたようだが、唯斗としてはいよいよ寒さで体の末端の感覚がなくなってきたため、酒の弱さを自覚しつつも応じた。呆れたようにしながら、カドックはテーブルに置かれたウォッカをグラスに注ぎ、それをこちらに寄越す。
ロック割りというやつだが、鼻につく匂いに顔をしかめながら一口だけ口に含むと、途端に焼けるような熱さと鋭さが口内を焼いた。
「ッ!かっら!あっつ!いってえ!!」
「ふは、やっぱりな」
カドックは笑いながら唯斗からグラスを奪い、自分も口をつける。ぐいぐい飲んでいるが、本来ウォッカはエタノールの蒸留酒、普通に着火するものだ。
ウォッカという名前自体、ポーランド発祥のものだが、原産はアラブ、消毒や防腐剤として使われていたものを飲料としたのがスラブ地域である。ウォッカの中でもさらにアルコール度数の高いスピリタスが現在では消毒などで使われる。
おかしいものが見れたからか、上機嫌なカドックはソファーにどかりと腰を下ろし、唯斗もその隣に座る。まだ口の中が大炎上しているが、体はやはり温まっている。
しかし、右側に座っているカドックの温もりの方が依然として恋しくて、唯斗はつい、そのまま体を右側に傾けた。
「え、もう酔ったのかあんた」
「ちげぇわアホ。察しろ」
「フン、察してるに決まってる。唯斗だけじゃない」
そう言うと、カドックは凭れた唯斗を腕の中に抱き寄せた。数センチ高いだけの身長、体重だってそう変わらない近しい体格のはずなのに、日本人が4分の3である唯斗と生粋のスラブ系であるカドックでは元の骨格が違う。
大した差がないはずなのに、しっかりと包まれるようなその腕の中の居心地は、唯斗にとって最も大事なものとなっている。たとえ、この国では表立ってこの距離になれないとしても、この一瞬は何物にも代えがたいものだ。
「…ちょっと前なら、唯斗のこと、アジア人だからって家に上げなかっただろ、あの人たちなら。でも、唯斗に出会って、僕が変わって、あの人たちも少し変わった」
UCLで学んでいるころ、もともとカドックは父親がかつて教壇に立っていたスラブ史研究の道にカドックを進ませたがっていた。カドックも当初はそのつもりで、スラブ東欧学研究所に入るつもりだった。
しかし唯斗と出会い、カドックは唯斗と話すうちに、本当にやりたかったことを自覚し、比較神話研究がしたいと相談してきた。それは実家からの支援の打ち切りを意味していた。
それでも、物価の高い英国で二人はなんとか助け合って勉強を重ね、成績で黙らせた。唯斗だって、母は唯斗を生むと同時に亡くなっており、父はネグレクト状態であったため、最初から一人だったこともあり、カドックという助け合える関係に救われた。
そうして二人は、互いにフランスとドイツを代表する世界的な博物館で研究員となったのだ。そんなカドックを見て、カドックの両親も考えを少しだけ改めたことで、一家は新しい付き合い方を確立させたのである。
「全部カドックが頑張ったことだろ」
「唯斗がいなきゃ頑張れなかった。今は…」
カドックの言葉が詰まる。様子をうかがうために、凭れているカドックの胸元から見上げると、アシンメトリーに長い右側のもみあげの向こうに、少し顔を赤らめたカドックの端正な顔が見えた。決して、こんな量のウォッカで酔うような男ではない。
「…今は、唯斗がいるから、これからも頑張れると、思ってる」
言いあぐねていたのはそんなストレートな言葉で、とにかくそういうことを言いたがらないカドックが、今日は珍しく思いを告げてくれる。生まれ育った町に唯斗を招いているということが、気持ちを伝えようという覚悟をもたらしているのかもしれない。
「…うん、俺も。カドックと、生きたい。いろんなところに行ってみたい。まずはピラミッドだろ、ペトラ、サマーワ、ペルセポリス、アグラ…治安が良ければトンブクトゥとかモガディシュも。全部、カドックと一緒がいい」
それならば、唯斗もきちんと伝えてみようと思った。
似た者同士の唯斗とカドックは、気持ちを伝えるということに関して極めて不器用だが、不思議と、不器用同士だからか意思の疎通に困ったことはなかった。察することができるからだ。
それでも、はっきりと言葉にする心地よさを、少しだけ酩酊しながら知ったのだ。
カドックの顔が近づき、唯斗もそっと唇を寄せる。互いに触れ合って、一瞬だけ目を閉じて、すべての感覚をカドックに集中する。
またそっと口が離れると、二人して急に気恥ずかしさがこみあげてくるのを感じた。
「…めっちゃウォッカの味した」
「そんなに深いキスじゃなかっただろ」
「……ふっ、」
「……はは、」
誤魔化すようにしょうもないことを互いに言ったのがあまりに子供っぽくて、それがおかしくなり、目を見合わせて笑った。
そして無意識に握り合っていた手の指先は、いつの間にか温度を取り戻し、愛しい感覚を伝えていた。