覆水盆に返らず−23


事実、唯斗はいきなりのことに驚きすぎて、なぜか出ていた涙が引っ込んでいた。しかし二人は殺気をしまわない。ランスロットもランスロットで、もろに入ったのに抵抗する気配がない。甘んじで受けているようですらある。
これは令呪を使ってでも止めなければならないのではと思っていると、再びオルタが現れた。呆れ顔をしている。


「…何してんだ」

「ケルトの光の御子ですね。私たちはこの騎士が退去したいと申し出たので、お手伝い差し上げているところです」


ポルクスが答えると、オルタは唯斗を見遣る。紅の瞳と目が合うと、オルタはため息交じりにディオスクロイを諫めた。


「やめておけ。こいつをこれ以上動揺させてどうする。曲がりなりにもこいつの故郷最大の騎士だろう」


ようやく、双子は唯斗を振り返り、困ってしまっている唯斗を見て殺気を鎮めた。深く息をつき、ランスロットに視線を戻す。


「貴様、湖の騎士とやら。マスターを守る意思はあるか」

「答えなさい騎士よ。人の子に未来を切り開く助力をする意思はあるのですか」

「貴様を慕う人の子を守るために、その剣を振るうと誓えるか」

「誓いなさいブリテンの騎士。あなたは、どれほどあなたに傷つけられても、あなたへの敬意を忘れず尊厳を守ろうとしたマスターに、その剣をもって返す義務があるのです」


代わる代わる問うディオスクロイは、まるで神として裁きを下しているようだった。ランスロットは、問いかけの形をした意思表示に、ようやく唯斗へと視線を向けた。アメジスト色の目線が、唯斗を捉える。


「…古き双子神よ。私の剣は、彼にまだ必要だとおっしゃるのか」

「そう言っているだろう。貴様にしか果たせぬ役割がある。故郷を同じくする者として、その故郷を含む世界を守る孤独な戦いに寄り添う役割が」


まだ迷っている様子のランスロットに、唯斗も言葉をかけることにした。退去するかどうかは結局ランスロットが決めること。ならば、最後になってもいいよう、伝えるべきことは伝えなければならない。


「…俺がブルターニュの屋敷で読むことができたのは、歴史書だけで、子供向けの物語なんてなかった。でも唯一、親戚のお古で屋敷に残されたアーサー王伝説の物語だけが、俺に読むことを許されたものだった。俺の孤独を支えてくれたものは、歴史とアーサー王伝説で、同じブルターニュに生きたランスロットが見たかもしれない景色なら、どんなに罵倒されても、殴られても、嫌いにならないでいられた」

「マスター…」

「…あなたがいたから、俺、フランスのこと、嫌いになりきれなかったんだよ」


唯斗の言葉を聞いて、ランスロットはぐっと唇をかみしめる。そして、再び跪いた。今度は別れの挨拶のためではなく、誓いのためだ。


「円卓の騎士ランスロット、何度もあなたを傷つけた愚か者でありながら、あなたが想いを寄せ続けてくださったことに、何を変えてもお応えすると誓います。私はあなたの剣、必ずあなたを守り、あなたに未来を取り戻しましょう。お傍に、置いていただけますか」

「…俺が、マスターでよければ。人間にも機械にもなりきれなかった半端者だけど、それでいいって、いろんな人や神様に認めてもらえたから…俺は俺のまま、頑張るよ」

「あなたのままで素敵ですよ、他の誰よりも」

「誰が口説いていいと言った痴れ者」

「殺しましょう、マスターの貞操が危うくなってしまいます」


微笑んだランスロットに、すかさず双子が再び殺気を向けた。今度はランスロットも対抗する姿勢を見せている。
それを見て再度、オルタはため息をついた。


「…ふは、なんか、考えすぎてたかもだな」


そんな様子を見ていたら急に馬鹿らしくなって、装置だなんだと考えていたことが無駄だった気がしてくる。そんなことで自分を追い詰めていたのがあまりに無意味だった。
そう思ってつい表情が緩んでしまうと、全員驚いたようにした。そういえば、ついぞ笑っていなかった。天草の一件以来、表情が動くことはほとんどなかった。
天草にも、話をしてやらないといけない。もう自分を罰するように責める必要はないと伝えたかった。

すると、オルタは何度目かも分からないため息をつきながら、唯斗の頭を存外優しく撫でる。


「だから人間の方が向いていると言っただろう」

「うん、どこまでいっても…俺は、ただの人間だったな」


それでいいのだと知ることができた。きっと、それが一番大切なことなのだろう。



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