覆水盆に返らず−22


しかし他ならぬカストロの、神でありながら人に零落させられた、人を導く星であるカストロからの言葉だったからこそ、それでいいのだろうか、と初めて心が揺らいだ。


「…俺が、マスターっていう機構である自覚がなかったから…サンソンやマンドリカルド、ランスロットを困らせたんじゃねぇの…だから、天草は俺を裏切れたんじゃねぇのかな…」

「その者たちが、お前のサーヴァントである資格がなかっただけだ。自らの居場所そのものとなった歴史への、それを育んだ者たちであるサーヴァントへの敬意を忘れたことはなかった。それを俺は知っている。導きの神なれば」


そう言いながら、カストロはそっと唯斗の後頭部を撫でた。人間を憎む気持ちも、唯斗がその人間の一人であるという気持ちも変わらないはずだが、今は導くべき人間として扱ってくれている。
唯斗は恐る恐る、カストロの白いマントの端を掴んだ。


「……カストロ、俺…」

「なんだ」

「…誕生日、6月で、ふたご座なんだ。キャメロットでも言った通り、ガリアのケルト人にとって主神なみだったってことや、そう考えた人々の思いもなんとかく追想できたってのもあって…その、ディオスクロイって特別だ。だから本当は、会えてすごく嬉しかった。いろんな話を聞いてみたかった。まっとうな人間であれたら、って、思っちゃうくらい」

「当然だな」


ただの装置、という自覚がある状態では決して言えなかったことをついに口に出した。これは非常に唯斗の個人的な、人間的な側面での言葉だ。
それを聞いたカストロは、フン、と得意げにしてから、小さく笑ってより唯斗を抱き締める。


「特別、便利な言葉だ。俺にとってもお前は特別だ。憎むべき人類、という感覚を忘れてしまいそうになるほどに。お前は最初から、それを伝えようとしていたし、キャメロットでもそうだった。誇るがいいマスター、この俺に、守りたいと思わせたことをな」


召喚したときにディオスクロイへの思いを語り、キャメロットでは人理を守る理由を語った。それを聞いて、カストロは、唯斗を守ろうと思ってくれたのだという。
特別だとまで言ってもらえるとは当然思っておらず、唯斗はこみ上げるものを我慢しきれなかった。


「っ、おれ、このままで、いいのかな、」

「ああ。俺が認めよう」


人に零落させられた神が、人もどきの機構だと思っていた唯斗を、それは違うと否定して、ありのままの唯斗を肯定してくれた。だからこそ、唯斗は初めて、本当は自分を機械だと思って生きていくことが苦しかったのだと気づいた。
そんなことをしなくていいのだと、自覚することができたのだ。

そうやってしばらく抱き着いていたときだった。

廊下の先から、ゴツゴツと金属製のブーツの音が聞こえてくる。騎士の足音だ。カストロが先に顔を上げたため、唯斗もようやくカストロから少し体を離して様子を窺う。

やってきたのはランスロットだった。カストロに肩を抱かれながらも姿勢を戻した唯斗の前に、おもむろに跪く。


「っ、ランスロット…?」

「マスター。数々の無礼、改めてお詫びを。私は、あなたのような優しく誠実なマスターにはふさわしくないサーヴァントです。かの北米の暴虐王の言葉通り、もはや私がいなくてもカルデアは安泰です。ならば、私は退去した方がよろしいかと」

「ほう?暇を許されに来たということか」


ランスロットの言葉に、頭が真っ白になる。カストロは分かりやすく意図を尋ね、ランスロットは頷く。
先ほどのオルタの言葉通り、退去することにしたというのだ。


「そんな、ランスロットは悪くないだろ。これは本心だ、ランスロットは正しかった。俺の方の問題だっただけで」

「いいえ。これ以上、あなたの心を煩わせたくはありません」

「いいだろうマスター、この男はもはやカルデアには不要だ。退去すると言うなら退去させればいい」


カストロはそう言うが、唯斗はつい立ち上がる。跪いているランスロットとはさらに距離ができたが、言葉が出てこない。
あのブルターニュの屋敷を思い出す。静謐な湖に浮かぶ霧が脳裏に浮かぶ。あの日々に、唯斗が心の支えにしていたものは、歴史だけではなかった。

しかし唯斗の方がむしろ不躾で非礼だったのも確かで、そもそも引き止めることができる立場なのかと思ってしまう。

頭がグルグルとして、そして、気づけば、頬を伝うものが空気に冷えて冷たくなる感覚があった。


「…え、あれ…」


頬を次々と伝う水滴は、唯斗の感情とは関係なく流れてくる。明確に悲しみなどを感じているわけではないのに、まるであふれ出した処理しきれない感情そのもののようだ。
慌ててぬぐうと、ランスロットは目を見開く。

次の瞬間、ランスロットは吹き飛ばされていた。まったく残像すら負えない速さでカストロのチャクラムに吹き飛ばされ、正面の壁に激突したのだ。
轟音とともに壁は穴が開いて、空室になっている居室にランスロットは突っ込んでいく。バラバラと廊下の壁が崩れるのを無慈悲に見つめるカストロに、唯斗は唖然とする。

すかさず、カストロの隣にポルクスが現れた。その手には剣が構えられている。


「唯斗を泣かせたな」

「マスターを泣かせましたね。兄様とお二人仲良くされておられるのを見て胸を高鳴らせていましたのに」

「っ、ポルクスよ…それほど俺のことが…」

「いえ、そうではなく。兄様とマスターが寄り添っているその光景を見ていると、不思議とドキドキとしてくるのです。なので、これからもマスターとの身体的一次接触を促進することを提案します」

「そ、そうか…?」


いったいポルクスが何を言っているのか分からなかったが、カストロはとりあえず立ち上がって瓦礫から出てきたランスロットに視線を移す。


「今はこの男だ」

「ええ兄様。マスターを傷つける者は、たとえカルデアのサーヴァントであっても容赦しません」

「ちょ、二人とも、大丈夫だ、びっくりして引っ込んだから、」



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