華胥は隣に−17


黄飛虎の采王登極から、100年が過ぎた。
治世100年が続いたのは随分と久しいことであり、同じくらい長く続いた荒廃の傷跡は、もはや国内に見出すことはできない。

奏や範など他国に逃れていた民はすべて帰還し、漣からはむしろ、国情不安によって逃れてきた漣の民を受け入れている状態だ。

荒れ果てていた大地は緑に覆われ、ひび割れていた田畑は実りをもたらし、飢えていた民は酒や菓子を楽しみ、廃墟同然だった揖寧は多くの人で賑わう。
1年にかけて続いていた治世100年を記念する行事の数々がようやく終わったことで、どこかお祭り気分が続いていた才の民は、ようやく仕事に戻り始めたようなところだ。

長閑宮の官吏たちも十分にその力を発揮しており、もはや兼任職は燕青の内宰と内小臣のみとなっている。このままでいい、という王と麒麟たっての希望だ。

夏官長は呼延灼が担い、登極前に兼任していた秦良玉は禁軍左将軍に戻っている。冢宰は太公望となり、兼任していた蘭陵王は天官長として、やたら距離が近い王と麒麟にあてられた護衛たちの精神衛生の維持に頭を悩ませているそうだ。


唯斗は美しい庭園の一角、数十年前に燕青が用意してくれた様々な種から栽培している花たちに水をやる。最近はすっかり節州候としての仕事も日々の基本業務だけとなり、暇な時間が増えている。


「ここにいたか、唯斗」

「おかえり、主上」


儀礼から戻ってきた黄飛虎は、帰ったその足でここまで来たらしい。唯斗の肩を抱いて饅頭を差し出す。手ずから食べさせられるのももう慣れたもので、ぱくりと口に含んで咀嚼する。


「うま」

「そうだろう。もう少し持って帰ってきている。内宰に預けてあるからあとで食べるとしよう」


当然のように一緒に食べようとしてくれるのも、もう当たり前になっていた。


「揖寧で話題の舞を見てきたんだろ?」

「あぁ。それは素晴らしいものだった。荊軻、という女性だったが、常人にはできぬような動きの数々。武芸にも秀でているのではなかろうか。だが加えて面白いことに、女性でありながら大酒豪ときた。酩酊しながら、剣舞をし、終わったと思ったらまた酒を一気に飲み干し、見事な詩を吟じる」

「なんだそれ、めちゃくちゃだな」

「久しぶりに笑い転げるところであったな。太公望に見せようものなら、腹を抱えて笑うあまり椅子から落ちるだろうよ」

「ふは、想像できるな」


剣舞であっても麒麟には刺激が強いため、今日の式典は王のみでの参加だったが、9割がたの式典や行事は黄飛虎と唯斗の二人で参加した。こうして土産話を聞くのも楽しいものだ。


「唯斗に似合いそうな帯ももらってきている。どうしても台輔に、ということで商人から受け取ったが見事なものだった」

「主上と対になってるんじゃないか、それ」

「その通りだ。よく分かったな」

「そういうの、やたら多かったし」


そんなことを話すうちに、先ほど饅頭を一つ食べたせいで、なんだか甘いものと茶をとりたい気分になる。もう少し話も聞いておきたい。今日は揖寧を歩き回ったそうで、その土産話も気になっている。


「む、そろそろ茶にするか?」

「…、よく分かったな」

「もう100年、共にいる故なぁ」


くつくつと笑う黄飛虎の言葉は先ほどの唯斗の言葉のちょっとした意趣返しのようなものだ。それに唯斗も小さく笑ってから、肩から腰に回った腕に促され歩き出す。


「そうだな。100年も一緒にいるんだ、茶も入れるのうまくなったと思うぞ、初めて会った時より」

「知っているとも。そして、あの時とて美味しかった。特別だった、ということでもある。思えば某は、奏で其方と出会ったその時から、きっと其方に心奪われていたのだな」

「俺は王気を感じた時からだから俺の勝ち」

「それは天帝の意思だろう、ズルというものだそれは」


そんなくだらない会話に、思わず揃って互いの目が合い、小さく噴き出す。

そうして、二人は並んで正寝へと歩き出した。最近はずっと、唯斗は黄飛虎とともに正寝で寝泊まりしているし、燕青たちもそれを当たり前のようにして世話をしてくれている。

もう二人の枕元に、華胥華朶は置かれていない。100年の節目に、宝物殿に片づけてしまったのだ。
理想の国を実現したから、というだけではない。お互いがそばにいれば、華胥の夢を見ずとも理想をいつでも確認できるからだ。

立香をなくした時の悲しみも、失われた民の命も、きっと何百年経っても忘れることはないだろう。
それでも隣に主がいてくれるのなら、唯斗はそれだけで、前を見ることができる。過去ではなく未来を見つめることができるのだ。

二人の華胥は、隣にある。



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