華胥は隣に−16
翌朝、バタバタとする音で唯斗は目を覚ました。暖かな日差しが玻璃の窓から差し込み、鳥の鳴き声が外から聞こえてくる。
いつもと寝ているときの感覚が違うため、目をこすってよく見てみると、唯斗は逞しい腕に頭を乗せており、すぐ目の前には新しい主上その人がいた。
一瞬動きを止めた唯斗は、外の騒がしさをよく聞いて、そうなるはずだとため息をついた。
「なぜ主上が」「いったいどうすれば」「起こすなどとんでもない」「内宰か冢宰をお呼びするしか」などといった天官たちの声が聞こえてくる。
燕青は今頃、正寝の方に向かっているだろう。まずは王を起こしに行くからだ。そして王がいないことに気づき、あちらもあちらで慌てるに違いない。
「…、主上。起きてくれ」
「…ん、おはよう唯斗。朝か」
黄飛虎はすっと目を覚ます。ひどく寝起きがいいらしい。唯斗は、今朝は驚きが第一だったからこそ目が覚めているが、普段はもっと起きるのに時間がかかる。
「…なんで、あんたまでここで寝てるんだよ」
「すまぬ、つい寝てしまった。路寝を騒がせてしまっているだろうか」
「当たり前だろ。まったく…俺が先に一声かけてくる。燕青は正寝に行ってるはずだから、こっちに戻ってきたら朝の支度をしよう」
「承知した」
唯斗は先に寝台を出て、居室に出て扉を開ける。廊下で右往左往していた女官たちは、一斉に伏礼した。
「台輔!」
「おはようございます、台輔。お体は大事ございませんか」
管理職らしい女官に聞かれ、寝違えていないか、という意味かと捉える。
「問題ない。つい、主上とは話しているうちに寝てしまったらしい。迷惑をかけた。内宰に伝えてくれ。内宰がこちらに到着次第、主上とともに正寝へ向かわせる。俺の支度はそのあとでいい」
「かしこまりました」
女官たちは一斉に廊下の壁際に立って控える。一人が急いで正寝へと小走りで向かってくれた。
唯斗はそれを確認して寝室に戻る。黄飛虎はすでに体を起こし、寝台の淵に座っていた。少し乱れた着物の間から覗く胸筋は、朝日で影ができている。
「じきに燕青が来てくれる」
「うむ。それにしても、登極したばかりだからだろうか、不思議な夢を見た」
「っ、」
黄飛虎の言葉に、唯斗は動きが止まった。さっと目線を寝台に向けると、枕元の台座に花瓶と、玉でできた桃の枝が座している。そういえば、華胥華朶を差したままだった。
禅譲直後、夢でなら立香に会えるのでは、なんて思っていたためそのままにしてあり、空位期間は民の移動を行うために本質を見失わないよう、自戒としてずっと枕元に置いていた。
そして昨晩、唯斗も華胥の夢を見た。それはいつもと違う夢だった。
「農民たちが豊作を喜んで祭をしていたと思ったら、揖寧の人々が市を開いてにぎわっていた。永湊では他国からの貨物が頻繁に扱われ、新鮮な魚介を酒とともに楽しむ男たちが騒ぎ、穏やかな海がどこまでも広がっている。そして、そんな国の景色を、騶虞に乗って唯斗と見ていたのだ」
「…え、」
黄飛虎が語った夢の内容は、なんと、唯斗とほとんど同じだった。
平穏な才の国を見たことがない唯斗は、漠然と、幸福そうな民の様子をいつも見ていただけだった。立香がいたころは隣に立香がいて、禅譲後は、一人でそれを眺めていた。
しかし今回は、長閑宮の庭園で、黄飛虎から聞かされる下界の華やかな様子に相槌を打ちながら、花に水をやっていたのだ。
「こんな国になればいい。そう思った」
「…、そう思うのは当然だ。それは華胥の夢、才の宝重たる華胥華朶が見せた、主上にとっての理想の国の光景だから」
「ほう、まさかこの枝の形をした宝玉が、かの華胥華朶か」
「前王から託されてそのままにしてたんだ。寝るときに枕元に差すと、理想の国の姿を見せる。それは、本人にとっての理想だ」
「であろうよ。理想とは普遍的なものではないからな」
黄飛虎は唯斗と同意見のようだ。そのため、普通は人によって見る夢が異なるはずなのである。しかし、唯斗が今日見た夢も、きっと本質はまったく同じだ。
「…俺も、華胥の夢を見た。主上が民の様子を面白おかしく話してくれるのを、俺は庭園で花に水をやりながら聞いていた。平和になったら、俺、庭園で花を育ててみたいって思ってたから」
「ということは、某も唯斗も、互いに互いの姿を理想の中に見出していた、ということだな」
そう言って黄飛虎は笑うと、唯斗を抱き寄せる。自身の右膝の上に唯斗を座らせるようにして腰を抱く。黄飛虎の膝に座っている状態であるにも関わらず、やっと目線の高さが揃ったような身長差だ。だが、おかげでその翠眼がよく見える。
その瞳は、優しく緩んでいた。
「この理想、なんとしても現実にしてみせよう。平和な国の姿を見ながら隣に其方がいる、そんな理想を未来とするのだ」
「…ん、分かった」
「ただ…とりあえず、随分と怒っているであろう内宰への言い訳をして、よからぬ疑いを晴らすところから始めなければなぁ」
「良からぬ疑い…?」
どういうことかと聞く前に、居室の扉が開かれる音が大きく響いてくる。この足音は確かに燕青だ。
黄飛虎の言葉通り、燕青はにこやかに、王相手に説教をしてから、ついでに唯斗にも「危機感が足りない」とひどく優しい説教をしてきたのだった。