brise de printemps 2−13
サンペドロ・デ・アタカマ市に着いた頃には、空は太陽が傾き、荒涼とした大地は山々の影で暗くなっていた。空は明るくとも、山が近いため地表は暗い。
市内に入り、適当なホテルをとってから、適当なバルに入る。
エンパナーダやチョリソーなど肉料理メインで食べてワインも飲んだ。ちなみに、英霊は酒を飲んでも運転できる。
食事を終えたころにはさすがに空も暗くなりつつあり、稜線の向こうに濃いオレンジが見えていた。
「そろそろ行くか〜。南西の方に向かう道を進めばいいよな」
「あぁ。街の明かりが見えない高台まで行こう」
高台といっても、この辺りは標高2500メートルほどの高原だ。すでに相当に高い位置にいる。
車に乗り込むと、市街地から南西へと続く一本道を走り始める。小さな街のためすぐに市街地は途切れて、何もない山道へと続く。
ごつごつとした岩肌に、植物のない荒れた地表。そんな道をライトで照らしながら走ること10分ほどで、道は丘へと入っていく。
複雑な地形は、雨のない風だけの地表で削れたものであり、辺りには気を付けて走行する必要がある。
やがて、道からなるべく開けた場所へと外れて、丘の合間の平らな場所を進む。
「どっか目的地あるのか?」
「おー、さっき見えてた場所なら見晴らしいいかなって」
すでに暗くて人間の目では判別がつかなかったが、シャルルの目には、ちょうど良さそうな場所が見えていたらしい。
やがて車は停車し、シャルルはエンジンを切る。夏とはいえ、砂漠のため最低気温は1月の平均で8度まで下がる。すでに気温が下がってきており、唯斗は慌てて上着を羽織った。
「太陽が沈み切るまであと30分くらいだな。唯斗、寒くないかい?」
「…ちょっと寒い」
「ん、じゃあ後部座席移動するか。フラットにしてあるし」
荷物を置くため、後部座席は背もたれを倒してフラットにしている。たまに、座り疲れた時に横になることがあった。
運転気と助手席から後ろへ移動し、シャルルが先に左側で横になる。左腕を差し出して、「おいで」と呼びかけた。
唯斗はその声に応じるまま、シャルルの腕に頭を預けるようにして横になった。目の前にシャルルの鎖骨と首筋があり、胸元に顔を埋めると、シャルルに抱き締められる。
温もりが伝わって、足元から這い上がる寒さがあまり気にならなくなった。
しばらくそうしていると、シャルルが息を飲む音がした。
「っ、唯斗、唯斗。外、見てみろよ」
「…、え、うわ……」
すでに太陽が完全に沈み、空は夜の帳に覆われていたらしい。小一時間は横になっていたようだ。
おかげで、窓の外にはとてつもない光景が広がっていた。
「…星空で、明るくなってる……」
なんと、あまりの星の輝きの多さに、足元が微かに見えるほど照らされているのだ。月明りには負けるが、それでも十分な明るさである。
「外出てみようぜ」
「ん」
唯斗はシャルルとともに後部座席から車外に出る。乾いた土を踏みしめて空を見上げると、途方もない星空に呼吸すら忘れた。
まさに、満天の星空。空を埋め尽くす無数の星、そして空に横たわる天の川。
天の川に向かって星が集中し、光の帯が空を横断している。離れるにつれて星の数がまばらになってはいるが、それでもぎっしりと空には星が満ちていた。
真っ暗な大地と山の稜線がくっきりと星空によってコントラストになっており、丘の合間ではあるものの、平野を見渡せる切れ目にいるようで、広大な大地からの風が吹きつけていた。
なんとなく、シャルルに触れたくなった。手を握ろうとしたとき、シャルルの方から唯斗の肩を抱き寄せてくっついてくる。唯斗はシャルルの腰に手を回し、ぴたりとくっついた。
「…月でも星空は見た。そもそも月は地球より宇宙が近いしな。でも…これほどの美しさじゃなかった。月自体が明るかったからだろうな。こんな…こんな、美しい景色が、地球に存在したなんて、思わなかった」
「……あぁ。信じられないくらいだ。こんな場所があるなんて」
あまりに壮大な景色に、唯斗はつい、目じりに滲んだものを拭う。美しいものを見て涙を流すなんて初めてだ。それほどまでに、ただただ、この星空は美しかった。
きっと、死ぬまで忘れないだろう。こんなにも美しいものを、忘れることなどできない。
「…シャルルといると、大切なものが増えてくな。写真も、思い出も、この景色を見た記憶も。絶対に失えないような、そんな大事なものが」
「唯斗。それが、生きるってことなんだ」
意志の強い声で返したシャルルに、思わず唯斗はシャルルに目を向ける。すぐ近くにあるシャルルの綺麗な紺碧の瞳には、星空がそのまま映り込んでいるようだ。端正な顔の背後にも、星空は続く。
「大切なものが増えていって、大事な記憶が重なっていく。それが人生だ。生きるってことだ。俺だってサーヴァントだけど、パタゴニアの地平線も、唯斗が作ってくれた料理も、300メートルのビルからの景色も、この星空も、俺の中に積み重なってる。そういう意味では俺も生きてるんだ」
「…あ、そう、か。おれ……」
「うん」
「……やっと、生きてる、のか」
やっと生きてる、なんて不自然な言葉だ。それでも、その意味は正確にシャルルにも伝わっている。生きてるか死んでるかも分からない人生だった、カルデアに来る前の唯斗とは違う。
パタゴニアで見たどこまでも広がる真っ平らな地平も、サンティアゴのビルからのパノラマも、アタカマ砂漠の星空も、初めて二人で囲んだ食卓やスーパーでの買い物、料理を失敗してしまった経験や何気ないソファーでの時間すらも、すべてが大切で、積み重なっていく。
カルデアを脱出して、シャルルとの逃亡生活を送るようになって初めて、唯斗は真に生きていた。
「あぁ。そんで、俺と一緒にこれからも生きてくんだ。もっといろんなものを食べて、いろんなものを見て。感動して、興奮して、笑って。そうやって生きていくんだぜ。楽しみだろ?」
「…うん、楽しみだ。これからも、ずっと」
これから続く日々を楽しみだと思うなんて、人生で初めてのことだ。
胸が締め付けられるようなじんわりとした温かさが広がる。これを幸福と呼ぶのだろうか。
人生で一番幸せな時期を春に喩えるというが、それもよく分かる気がした。
この胸の温かさが、堪らなく、愛しかったのだ。