アンデスの一時−1
「brise de printemps 3」番外編
ペルーから国境を越えてエクアドルに入り、パンアメリカンハイウェイを北上してクエンカに向かっているときだった。
常夏のアマゾンの都市ピウラを出て5時間が過ぎて、アンデス山脈に入っているが、ロハ市を超えたあたりから、道路は恒常的に標高2500メートル前後になっている。
普段より急に眠気が強くなってきて、唯斗はうとうととし始める。運転しているシャルルは横目にそれを見て、「寝てていーぜ」と優しく声をかけてくれた。
ここから先は特に迷うでもない簡単なルートとなる、唯斗も頷いて目を閉じた。
思えばそれが最初の症状だったのだ。
頭痛となんだか息苦しい感じがして、唯斗は1時間ほどで目が覚める。
「…シャルル、いま、どのへん?」
「サラグロを過ぎたとこだけど…どうした?具合悪い?」
頭が締め付けられるように痛み、息がしづらい。呼吸が荒くなってきて、くらくらとする。まるで貧血のときの眩暈のように視界の端が暗く感じられて、ひどい倦怠感があった。
「唯斗?おい、大丈夫?」
答えようにも声が出せない。ひどく喋りづらく、思わず目を閉じる。いよいよシャルルは焦ったようで、一度車を路肩に停車する。
「唯斗!?」
「あー…わるい、たぶん、高山病、とかだと、思う…」
恐らくこれは高山病だ。まったく意識していなかったが、そういえばエクアドルの東部はアンデス山脈によって標高が2500メートルを超えるため、訪問時には高山病に注意しなければならない。
先日、ペルーのアレキパを訪れたときは2500メートルちょうどくらいの標高であり、特になんともなかったため、油断した。
恐らくこの辺りは、サラグロを超えて一時的にこの道路が3000メートルに達するエリアだ。
本来、1000メートルごとに1日の休息日を設けることが高山病対策としては有効であり、また3000メートル以上の地に行く場合は前日に300メートル以上の移動をしない方が良い。富士山の登山で一泊することが推奨される理由の一つでもある。富士山の周囲の標高は低く、高低差が激しくなってしまうためだ。
たった6時間で3000メートルまで走ってしまったことが最大の要因だろう。
「ど、ど、どうする!?」
「ここだと、この先の、オーニャって小さな町まで、進んだ方が、いい…」
「分かった!飛ばすから休んでてくれ!」
シャルルはすぐに車を発進させ、さらにスピードを出す。ほかの車の姿がないのをいいことに、とてつもない速度が出ているようだ。
それにより、あっという間に車はロハ県からアスアイ県に入り、県境を超えてすぐの小さな田舎町・オーニャに到着する。
県境に差し掛かるころから車は斜面を急に下っており、すでに標高は2400メートルを切っている。
呼吸はだいぶ楽になり、頭痛も引いた。
目を開けると、牧歌的な街のはずれで車がちょうど停止するところだった。
「唯斗!大丈夫か!?」
「驚かせて悪い、今は大丈夫」
「良かったぁ…!」
大仰にほっとした様子を見せるシャルルに、ひどく焦らせてしまったな、と己の迂闊さを反省する。もっとちゃんと考えておくべきだった。運転中、気が気でなかったことだろう。
シャルルも聖杯から高山病についての知識を得ているようで、車を発進させる。
「ちょっと街中でアセタゾラミド買って来る。多分、これくらいの小さな町でもあると思うんだよな」
「ごめんな、油断して」
「謝る必要はねぇさ。無事で何より。それに、こっからもっと標高が上がる。移動方法考えなきゃだな」
ここからクエンカまでは1時間ほど。しかしその道中のほとんどは3000メートルを超え、一時的に3400メートルに達するところがある。間違いなく、ピーク時にはかなりの症状が出るだろう。
高山病は山酔いという初期症状として、頭痛や眩暈、吐き気などがあり、続いて高所肺水腫の症状が出ると呼吸困難や歩行困難に至り、最後は高所脳浮腫となって意識が朦朧となり、放置するとそのまま昏睡状態に陥り死に至る。