chapter. 1−1
かつて暮らしていた王宮に比べると、ひどく質素で武骨な廊下、その窓を開け放し、春の風を受けながらラウルは立っていた。
窓の外には、崖から50メートル以上眼下に川が見えており、その川沿いに住宅街が狭苦しく並んでいる。崖の下の川沿いにある市街地と、この崖の上にある王宮周辺の市街地では、住んでいる人間は実はそう変わらない。
何せこの新しい王都にいるのは、まさに王だけで、貴族の大半は旧首都に残っているのだから。ここにいるのは各貴族の代表だけで、華々しい宮廷社会はいまだに旧首都が舞台となっている。
そのわりに王権直属の近衛兵団は数が多く、兵士たちの人口の方がはるかに多いとあっては、街そのものが武骨になるのも無理はない。
道行く人々は色味の乏しい服装だが、ラウルはそれなりに華美な服装をしなければならない立場だ。
肌着は絹のシュミーズという白く足首まである丈のもので、その上にコットという濃紺のウールでできたチュニックを纏う。コットの袖には金糸刺繍のふんだんに施された豊かな生地が使われている。コットも同じく足首くらいまで丈があり、僅かに下からシュミーズが覗く。
下半身はブレーという白麻のぴったりとしたズボンを履いており、それも少しだけシュミーズとコットの裾から足首だけ見えていた。
白いシュミーズ、濃紺のコットの上には、袖がなく脹ら脛までの丈のシュールコーという上衣を着ており、ビロード製の濃緑色の生地だ。こちらも金糸刺繍が施されており、襟元には毛皮がつけられている。
シュールコー、コット、シュミーズをすべてまとめて腰でベルトによって留め、上半身はぴったりと、下半身はゆったりとする形である。
さらにその上に、真紅のマントを羽織って体の正面、鎖骨あたりでサファイアのブローチによって留めている。
足下の裾には白いシュミーズと濃紺のコット、濃緑のシュールコーと色が三段階になっており、袖も濃紺のコットに金糸刺繍の袖、襟元は濃緑のシュールコーと金糸刺繍の濃紺のコットと相当にうるさいのに、極めつけは真紅のマントだ。
無骨な街と城で、自分だけが浮いているように思える。
しかしラウルは、緑豊かな森林を多く残すこの複雑な地形の渓谷が好きだった。この景色を見ていると、心が安らぐのだ。
「ここにいたのか」
するとそこに、低い声がかけられる。年齢はラウルより一つ下の15歳であるはずなのに、ラウルよりずっと低い声で、そして逞しい図体をしている少年だ。
ラウルは振り返り、その綺麗な金髪を見上げる。
「…どうした、カストロ。ポルクスは一緒じゃないんだな」
ラウルより5センチほど背の高いカストロは、白麻のブレーと絹のシュミーズという肌着は同じだが、コットも白いウールでシュールコーは黒、シュールコーの襟元は白い絹の織り返しという白黒の色合いをしている。
鍛錬中だったのだろう、シュミーズごと袖を捲っているが、本来コットは袖を縫うものだ。縫わずにラウルと会っているあたり、カストロらしい。
「ポルクスは鍛錬中だ。知らせを預かったから俺だけここに来た」
「知らせじゃなきゃ俺のとこには来ないって?」
言ってからすぐに、今のはあまりに甘えたことを言ってしまったと反省する。すぐにでも「忘れろ」と言いたかったが、カストロは呆れたようにため息をついてから、ラウルの肩を抱いて隣に立った。
並んで窓の外の渓谷を見つめることになり、ラウルはじわじわと恥ずかしさで顔を上げていられなくなる。
「お前こそ、俺やポルクスの元へだけ来ればいいものを、ロビンフッドやコンスタンティノスのところへ行くだろう。我ら双子だけで本来は充分だろうに」
「…恥ずかしさで死にそうだから追撃やめろ……」
「ふっ、それなら身内相手に気が緩んで考えなしなことを言わないよう気を付けるんだな。まぁ、それもまたお前の可愛さだが」
「カストロ…っ!」
右隣に立つ男に肘打ちをしようとしたが、カストロは簡単にそれを防ぐと、すぐに体勢を変えてラウルの腰を抱いた。
正面から抱き締められるような姿勢になり、ラウルは息を飲む。美しい金髪に碧眼、青銅にエナメル質の塗装をした髪飾り、神話にでも出てきそうな造形の顔立ちは、さすがに至近距離で拝むにはインパクトが強い。
「俺にとって、この王国や周りの国々がどうなろうと知ったことではない。ただ妹とお前がいれば満ち足りる。いや、お前たち以外、この世界にはいらないのだ。俺がそう思いながらお前の隣にいること、ゆめゆめ忘れるなよ?」
「わ、分かったから!それで、知らせってなんだ?」
慌ててラウルが本題に入るよう促すと、カストロは先ほどの言葉通り、大して興味もなさそうにしながら知らせの内容を伝える。
「あぁ…先ほど、アンティオキアが陥落したという知らせが入った。東ラバルム帝国は名実ともに滅亡した」
「……そうか。皇帝は?」
「皇帝本人の安否は不明だが、その傍系を含む親族は全員処刑されたそうだ。大方、皇帝本人は海にでも逃れているのだろう」
「明日は我が身、だな」
ラウルはそう自嘲気味に笑うと、カストロの肩に目元を埋めるようにして凭れた。カストロは何も言わずにそれを受け入れてくれて、ラウルの後頭部を撫でる。
本当にこの男は、ラウルと双子の妹ポルクスにはこれほど甘いにも関わらず、他人に対しては鋭利なナイフのような態度をとる。
ここまでしてもらうようなことを、ラウルが二人にした自覚はないのだが、それを言うと二人はひどく怒ってしまうため何も言わずに二人の優しさを享受するようにしていた。
「心配せずとも、いざそうなれば俺とポルクスとでエトルリアにでも亡命すればいい。むしろその方が俺としては好ましい結末だが…それを防ごうとするお前の努力に、今は力を貸そう」
「…ん、ありがとな、カストロ」
「そのための我らなれば」
ここまで言ってくれる者たちのためにも、ラウルは強くあらなければならない。そう思っていても、結局彼らはラウルをこうして甘やかそうとしてしまうのだ。
それなら、少しでもラウルは、彼らが安心して暮らせる国を作ろうと、そう奮起できるのだった。