騒乱と亡命、そして出会い




よく空港はその国特有の臭いがするというが、思ったよりも羽田空港ではそういったことは感じられなかった。
清潔で先進的、日本の伝統建築をモチーフした様式の建物は、世界第3位の経済大国にしてアジア最大の先進国に到着したのだということを再確認するのに十分だった。

それにしても、とシオンは引率のNGOに連れられながら思う。


銃声も、迫撃砲の炸裂音も、戦闘機の轟音も、一切ここには聞こえない。



***



シオン・S・ギマゼトディノワは、いわゆるハーフというヤツで、母が日本人だった。

出身は中央アジアのソグディアナ共和国の首都で、世界でも珍しい二重内陸国という、海に出るまで国境を2回以上超えないと行けない国だった。しかし海はなくとも、ソグディアナ共和国は豊かな天然ガス資源に恵まれ、歴史的にシルクロードの重要な中継地だったことからも豊富な文化資産を有していた。

そんな母国の欠点は、独裁制だったことだろう。独立してからずっと、ソグディアナ共和国は独裁政権が続いており、選挙などは誰も経験したことがなかった。それは確かに、少しの息苦しさを与えたが国民は概ねそれでもよかった。
豊かな資源のおかげで税金はほとんど払っていないし、インフラも教育も医療も無料だった。文化振興にも熱心で、世界遺産の制定や博物館・美術館の建造などが進められていた。
首都の街の至る所に独裁者の姿が描かれた巨大な肖像画や銅像があったり、公共の場で独裁者に対する悪口を言うと秘密警察に捕まるということはあったが、それでも比較的自由だった。

シオンは地元の父親と日本の母とのハーフで、薄い金髪に紫の瞳という少し珍しい外見だった。中央アジアは概して混血が多く、このような遺伝はよくあることだ。
日本語を話すことはできたが、いつか18歳になったら日本国籍は捨てるつもりだった。それだけ、この国への帰属意識が高かったからだ。弟たちに至っては日本語を使うこともできない。
そうやって、特に不自由ない生活をしていた。


雲行きが怪しくなってきたのは、シオンが10歳になったころだった。

南の隣国トランスオクシアナ王国で発生した民主化運動がこちらへも波及し、反体制派が独裁政権に対して反旗を翻したのである。反体制派の中には、国民の間で頭がおかしいと評されていた過激思想を持った者たちもいたため、多くの一般市民にとっては迷惑な話であった。
しかし反体制派は、北の隣国、南シベリア共和国がこの地域の覇権を目論んで支援しており、十分な戦力を持っていた。
結果、トランスオクシアナ王国の首都を含む東部地域は反体制派によってホラーサーン共和国に改称、ソグディアナ共和国の革命にも干渉してきたのだ。

こうしてソグディアナ共和国の独裁政権は崩壊し、反体制派が政権を取った。
西の隣国ホラズム共和国も同様に反体制派との内戦に陥るも、こちらは内戦が泥沼化し国家が崩壊しつつある。ソグディアナ共和国とホラーサーン共和国は南シベリア共和国の傀儡政権の体裁となっており、国際社会は南シベリア共和国に対して干渉を弱めるよう圧力はかけつつ、両国における早期の総選挙の実施を平和的に求めると宣言するにとどまった。

これらがすべて、10歳の半年間に怒った出来事である。


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