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シオンにとっての最初の試練こそ、この首都を巡る攻防戦の日々だったように思う。
政権軍にとっての最後の砦でもあった首都は、反体制派が占領する地区と政権側が押さえる地区とで分断され、インフラは破壊されていた。
水も電気もない中で、食料を確保するのにも精一杯。そして父親は政権側で戦うべく徴兵に志願し、戦地に向かった。
母は、姉、シオン、弟2人の合わせて4人を女手ひとつで空爆の絶えない街で育てることになった。父はかつて独立戦争を経験しているし、他の国民もそうだが、彼女は日本で育ったため戦争を知らない。苦労でみるみるやつれていった。
戦闘が長期化すると、母は幼い弟たち2人を集団疎開に出すことにした。NGOが子供たちの避難を行っており、国連からもそうしたNGOに対する攻撃は国連の集団安全保障の対象になると警告されていたため、人々は信頼して子どもたちを託した。
母は、シオンと姉も避難させようとなんとか努力していたが、その前に首都は陥落し、反体制派の本体がやって来た。
人々は静かに、不気味なほど静かにその隊列を見守り、処刑された独裁者の首が邸宅に飾られた。銅像は引き倒され肖像画は燃やされた。
そして、恐怖政治が始まった。
反体制派、もとい新政権は、過激な人物たちが穏健な人物たちを次々と処刑していき、過激な人物たちでまとめられた。
次にその新政権は、「無個性保護法」という法律を制定した。彼らの過激さのひとつは、個性が神による人類への慈愛の表象であり、それを受けられなかった人々、つまり無個性は、個性を持つ人々によって守られるべきだということだった。
この法律では、無個性の人々は「神の慈愛を受けられず加護がない」ために「世界の不条理を受けやすく」、また、個性を持つがゆえに「他者を虐げる可能性のある者もいる」ことから、「善良な有個性者の保護のもと約束された生活」を送り、「神の加護を特に強く受けた優性個性を持つ者による加護の共有」を享受するというものだった。
平たく言えば単なる無個性差別である。
そしてそれは、この国において政策的に行われることとなり、強制移住と監視生活を余儀なくされるという、人権の制約をともなったものだった。
すでに人々の個性は中央政府に登録されているため、新政権はそれを使って無個性の者たちの「保護」を始めた。中にはそれを本当に言葉通りに思っている者もいたが、ほとんどがそれは「無個性狩り」であると考えていた。
そして、その対象の1人がシオンだったのだ。
母はこの法律の意味するところを正確に理解し、即座にシオンの亡命に向けて動き出した。幸いにもシオンはまだ、未成年であるために日本国籍を持っている。母は友人の外交官の伝手で、何とか即席のシオン名義の日本国旅券(パスポート)をつくった。
姉は個性を持っていたが、これ以上は危険だということで、一足先に欧州へ留学という名目で渡った。
一応は法治国家として機能しているうちに、と母はシオンの亡命、もとい日本への一時帰国手続きを始めるのだが、それは間に合わなかった。
家の玄関を乱暴にノックする音。母の息を飲む声。
恐る恐る母が扉を開けて応対したが、パスポートを見せても新政権の親衛隊は取り合わなかった。
むしろ、新たな法律に則って居住するすべての外国人に対する帰化を迫っていると言った。
それならばシオンは日本国籍を選択すると母は食い下がったのだが、今度はパスポートに有用性がないと拒否。
結局、シオンは「無個性保護区域」に移住させられることに決まった。しかも、その場で。
10分間の猶予で、シオンは荷物を準備する時間を与えられた。母は涙を流しながらも、家を取り囲まれていることを察して荷物の準備にかかった。
「このリュックの底にパスポートを隠して置くから、もし日本や欧米、NGO、国連に助けてもらえそうになったら見せなさい」と、母はリュックの底を急いで縫ってパスポートを隠した。
中にいくらかのものを入れて親衛隊のところに戻ると、今度は母に手錠がかけられた。シオンは、用意されていた粗末なバスへ。
書類偽造による隠ぺいと、それをもっての政権の反逆という罪状らしい。叫ぶ母に、幼いながらに理解したシオンも叫んで連行されるのを止めようとしたが、母に止められた。
「だめ!!おとなしくしなさい!絶対に生きて、生きて、生き抜くのよ!!」
あえて日本語で叫ぶことで、母は親衛隊に分からないようにした。その言葉は、政権を敵とみなしていることが丸わかりだからである。
そのあと、母がどうなったかは分からない。
弟たちが逃げおおせたのかも、姉が出国できたのかすらも分からなかった。