I've got you−4
夜。
都心の高級ホテルのビルは、完全に閉鎖されていた。データはジェラルミンケースに入れられて高層階の部屋に鎮座し、部屋や廊下には警官が待機する。臨時で自家用ジェットを動かすことに成功したバレット氏の家族が羽田空港に到着しだい、ヘリでデータを屋上から運んで空路にて米国へ移送される。それまでの監視が警察の仕事だ。
ホテルの外、地上には警察車両が蠢いており、データのある部屋を地上から投光器によって照らしている。周辺ビルはすべて営業を停止させられ、周辺道路も1キロ圏内が封鎖。
国家レベルの警戒態勢が敷かれていた。さすがにここまでの権限が応利にあるはずもなく、これらのほとんどの指揮は警視庁トップが行っている。応利はデータのある階を防御する担当である。緑谷も来てくれていて、攻撃力にも問題はなかったし、ケースは緑谷の10%の力まで耐えられる仕様だ。
ケースは応利が持つことになり、すぐそばに緑谷が控え、2人を守るように郷豪が立つ。あとは部屋の入口に2人、廊下に10人がいる。さらに上下階には警察が集まっており、まさに上下左右を完全に守られた布陣だった。
「ここまで強固な守りであればさすがの怪盗も入ってこれませんね」
「ここにはな。問題はヘリでの移送から航空機への搬入…そこは俺たちの管轄じゃないけど」
郷豪は手に拳銃を構えて笑う。かつてない規模の防衛にテンションが上がっているのだろうか。管轄外に出てしまえば応利の知ったことではない。
緑谷は無言で立っていた。
10分おきに異常がないか報告するほどの徹底ぶりに辟易としそうになるが、耐えて空港からのヘリが到着するのを待つ。
やがて、そろそろ到着時間というときになった。
「…この時間には来ない、か」
「そうみたいですね」
怪盗はまったく姿を見せない。通信の緊張感も少しずつ薄れてきた。窓からは煌々とライトで照らされており、せっかくの夜景も楽しめなかった。
「これでもし盗まれても俺の責任だもんなぁ」
「そうなんですか?」
「まあ。作戦全体の指揮を上層部がとってても責任取らされるのは現場の俺。そのために俺がこの職についてるわけだし」
ここで盗まれなかったとしても、遅かれ早かれ怪盗に何か別のものを盗まれれば応利は晴れて警視庁からお払い箱だ。すでに人生の節目が近い。
それを聞いた郷豪は俯いた。少し落ち込ませてしまったかもしれない。フォローしようとした、そのとき。
「…じゃあ、いつまでもこんなクソみてぇなところにいる道理はねぇよなぁ?」
「……は?」
突然聞き覚えのある声でそう言うと、郷豪は入口に向けて銃口を向けた。止めようとする暇もなく、郷豪の銃から放たれた銃弾はサイレンサーによって音もなく扉へ向かい、そして扉の手前で炸裂。立っていた部下2人ごと、扉をピンクの粘着質なものが封じてしまった。
「郷豪!?」
「発目に作らせた拘束銃だ。扉も固まって開かねぇよ」
物音に気付いた廊下の警官が入ろうとするも、扉は固まってしまってガタガタ鳴るだけだ。警官もピンクのものに包まれて顔も見えなくなっている。
「………勝己」
「久しぶりだなぁ、応利?」
ニヤリ、勝己はそう言って笑って見せた。
同時に、外からヘリの爆音が近づいてきた。まだ到着には早いのにビルに接近するヘリは、バレット氏の家のものでも国のものでもない。
しかも屋上のヘリポートではなく、この階の近くでホバリングを始めた。さすがの高層ビルの窓ガラスでも風圧で揺れている。いよいよ扉を破壊しようとする音が激しくなり、応利への通信の声も荒い。
呆然とする応利の側で、緑谷は静かに口を開いた。
「…かっちゃん、約束忘れないでね」
「ったりめぇだろが死ね」
それに驚いて振り返ると、緑谷は微笑む。まったく勝己の登場に動揺した様子はなく、今の会話からしても、分かっていたと考えるのが自然だった。
「いったい、これは…」
「おい、ケースから早くデータ出しとけ」
緑谷は頷くと、応利の手からケースを奪い取る。応利はもはや抵抗もできなかった。緑谷までグルになって、これはいったいどういうことなのか。
「…なんで、」
「俺が盗みに来たモンがやっと手に入る」
勝己はそう言って窓へ向かう。そして手をかざし、個性で強化ガラスを爆破した。鋭い音とともに、途端にヘリからとてつもない風が吹きつけて部屋のものが飛んでいく。一瞬目をつぶり、うっすらと開けて窓を見ると、警視庁のスーツを着た勝己が泰然と立っていた。
投光器の明かりを浴びて逆行になっているが、その赤い瞳はしっかりと光って見える。その勝己は、ゆっくりとこちらに手を伸ばした。
「お前を、盗みにきた」
「か、つき…」
まるでプロポーズでもするような真摯な目だった。風によって黒いウィッグは飛ばされて本来の白金色の髪がたなびく。
「応利君には、こんなところにいて欲しくないんだ。だから、僕はかっちゃんに協力することにした」
緑谷もそう言って、応利のスーツのポケットにケースの中にあったUSBを入れた。そして、優しく、しかし強く背中を押される。思わずたたらを踏むと、勝己に抱き留められた。
「へっ、ちょ、」
「お前を救け出すっつー目的だが、ま、大いに下心もある。ただそれは後でじっくり教え込んでやるから、まずは逃げんぞ」
2人はつまり、警察に冷遇され続ける応利をここから救け出すために協力していたということか。なぜわざわざ怪盗という形なのか、下心とは何なのか、どうやって郷豪に化けていたのかなど謎は尽きない。
このあと経歴に傷がつく緑谷や、国際的信用を失う日本のことも、内通者を見抜けなかったと扱われる警察トップだってどうなるのだろうか。
しかし同時に、勝己が力強く応利を抱きしめてくれていること、そして「盗みに来た」と言ったあの真摯な瞳が、応利を揺れ動かした。そう、どうせここは変わらない。それこそ、日本を揺るがすような失態でも仕出かさない限り変わることはできなかったのだ。応利はどのみち警察にはいられない。
そう思うと、勝己の手を取ることの魅力を素直に受け止められたのだ。
勝己のことだ、どこかに亡命して、このUSBのデータを使って投資で安定収入を得て暮らしていくつもりなのだろう。それはつまり応利の人生が勝己とともにあることを強制されているようなもの。
「…あぁ、盗むって、そういう。俺の人生ってことね」
「やっと気づいたのかよおせぇな。丁寧に暗号化してメディアも報じてただろうが」
「…英語のヤツ?でもこれ宝石じゃ…あ、」
Imperial topaz、Violet sapphire、Emerald、Green garnet、Opal、Turquoise。
今回盗まれるのは、USB。そして応利自身だ。
「…I've got U」
宝石とUSBの頭文字を取った英語が耳元で低く囁かれる。直訳すると「お前を手に入れた」ということであり、意訳すれば「俺の勝ちだ」とも訳せる。まさに勝己らしい。どこまでも用意周到な勝己に、思わずくすりと笑ってしまった。もう、どうでもいい。
緑谷は実績があるから、今回の件はそう響かないだろうし、人質扱いされた応利を前に動けなかったと言い訳が効く。責任を問われるのは警察のトップだけだ。
それなら、もうどうでも良かった。
「…盗むなら責任取れよ」
「一生責任取ってやる、特別にな」
その日、最後の「宝物」が盗まれた。以降、事件は起こらなくなり、警察は責を問われ、そして、2人の行方を知る者はほとんどいなくなった。
唯一それを知る平和の象徴は語る。
「盗人猛々しいというか、南国の島でホテル経営してるラブラブな暑中見舞い送ってくる度に捕まえて突き出せば良かったって思うよ今は」