木曜2限のヒューマニズム−8



応利はそんな夏雄の白い髪の毛をそっと撫でた。その手つきも仕草も、初めての類いのもので、夏雄は顔を上げて応利を見上げる。


「…俺さ、夏雄のそういう柔らかい優しさが好きだよ」

「ッ、応利…?」


突然の言葉に夏雄は驚いていたが、宥めるように髪を梳きながら言葉を続ける。


「いつも周りに気ぃ配って、誰かを思いやって、相手の立場になって考えられる。だから、お姉さんの気持ちや、焦凍君やお母さんの気持ちも理解できる。理解できるから、それが自分の感情とぶつかって苦しいんだよな。でも俺は、そういう夏雄の優しさが、めちゃくちゃ好きだなって思う」


夏雄の人好きのする柔らかい笑顔は、いつも相手の視点で考えて配慮ができる夏雄だからこそできる優しさの発露だ。そんな優しさが、今は夏雄を苦しめてしまっているのだろう。家族になろうとする家族と、もういない家族をいつまでも大事に思える自分の心とが、今、ぶつかっている。


「夏雄がエンデヴァーの息子で、ぐちゃぐちゃになった家庭で育って、頼れる家族がどんどん減っていった環境にいたって事実は変わらない。昔も今もこれからも、夏雄はエンデヴァーの息子だし、普通の家庭を知らない」

「…うん」

「でもさ、それが今の夏雄の優しさや人格を作る土台の一つなんだよ。俺は夏雄のそういう優しさが好きだ。だから、それをつくったものに、そういう家庭の事情や心の葛藤、つらい経験があるのなら、俺はそれすら好きだと思えるよ」

「っ、」


誰にでも、消したい過去や戻りたくない記憶はある。今もなお夏雄はその延長で生きていて、それが苦しめているけれど、しかし応利は夏雄の人格形成の重要な要素であった家庭がそうであったというのなら、今の夏雄が好きである以上、そうした過去のこともすべて好きだと思えるのだ。


「すげぇ苦しいと思う、つらいと思う。だけど、それでも変わらずに優しい夏雄のことが、俺は好きだよ」

「応利、応利…ッ!!」


夏雄は唇を震わせたかと思うと、思い切り応利を抱き締めてきた。当然、その大柄な体を支えることはできず後ろに倒れ込む。床に頭を打つ前に夏雄の大きな手のひらがすっぽりと応利の後頭部を覆ってガードしてくれて、応利の顔は夏雄の鎖骨あたりに押しつけられた。のしかかられているような体制で抱き締められているが、体重はこちらにかけていないようだった。


「すき、俺も好きだよ、応利…!夏からずっと好きだった。男同士だし、これ以上はまずいって思って少し離れて彼女つくってみたりしたけど、結局、最後にやっぱり自分に嘘つけなかった…!」

「あぁ…そういうこと。俺も、お前が彼女できたって言ったとき、ほんとは内心祝ってなかったよ」

「ううう……すき……」


半泣きで声を震わせる夏雄は本気で応利を好きだと言っていて、縋るように抱き締めてくる筋肉質な体を、応利も応じるように抱き締め返した。


「応利が、体育祭のあとに俺のこと助けてくれたのも、そのあともずっと俺との時間を大事にしてくれたのも、いろいろ察して支えてくれたのも、全部、全部好きだった。エンデヴァーの息子とか、兄とか弟とか、そういうんじゃなくて、俺を俺として尊重してくれて、だから俺も俺でいられた…応利といるときは、家のこととか家族のこととか考えなくて良かった…だから応利と過ごす時間が好きになって、すぐに、応利自身のことも好きになった」

「じゃあ、ずっと両想いだったんだな」


そう言うと、ようやく夏雄も少し笑って、「遠回りしちゃったな」と答えた。やはり夏雄には笑顔が似合う。家族のことはすぐに解決するようなことではない。まだしばらくつらいこともあるだろう。それでも、今までと違うのは応利にできることがあるということだ。
それはすなわち、夏雄の隣にいるということだ。

ちらりとスマホを見れば深夜をとっくに回っている。明日はちょうど木曜日だった。


「…とりあえず、明日の2限はサボるか。そんで、またオムライス作ろうぜ。俺はまた夏雄が作った方食うから」

「…じゃ、俺は羽根つき炒り卵ライスだ」

「もう炒り卵にはなんねぇから」


そんないつものやりとりを思わせる会話をすれば、二人の間にはくすくすと笑いが落ちる。
そして、夏雄は一際強くぎゅっと抱き締めてきた。そのまま横に倒れ、夏雄の右腕に頭が乗る姿勢になって、逞しい胸元に抱き込まれた。


「夏雄…?」

「…今日から、この姿勢で一つの布団でも、大丈夫だから」


初めて夏雄が来たときのことを言っている。確かに同じように腕枕になって、こうなってもいいのかと聞いた。


「…お前さ、あのときなんか言いかけてたよな」

「よく覚えてんね」

「お前も覚えてんだな?何言おうとしてたんだよ」


あのとき夏雄は、こういう姿勢になって寝ることになっても大丈夫だと言ったものの、理由を聞いた応利に対して「だって」と言いかけてそのまま黙秘してしまった。あのときのことを覚えているらしい夏雄に改めて聞いてみると、夏雄は今まで「友人」として向けたことのないような、柔らかくも、堪らなく愛しいという感情を爆発させた優しい笑みを浮かべた。そんな笑顔を至近距離で見てしまい、応利は顔に熱が堪るのを感じた。あのときと顔を赤らめているのは逆だった。
そして夏雄は、その笑みよりもさらに深い愛情の籠もった声で言った。


「だって、応利のことが好きだから」


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