木曜2限のヒューマニズム−7


年が明けて1月、学校が始まって少ししてから唐突に夏雄から「今晩泊まっていい?」という連絡が来て、夕方のうちに了承を返すと、すぐに夏雄が家にやってきた。応利はバイトだったため夜は家を空けていたが、帰ってきて暗いままの部屋で一人カーペットに蹲る夏雄を見て、休むべきだったとすぐに後悔した。

どうやら限界らしい。


「…夏雄」


部屋の明かりをつけて声をかけると、夏雄はまぶしさに目を細めてこちらを見上げた。ぼんやりとしており、半分寝ていたのだと分かる。
応利は濡らしたタオルを電子レンジにかけながら夏雄に声をかける。


「飯は?もう食った?」

「…食った」

「ん、じゃあお互い寝るだけだな。ほら、」


応利はレンジからタオルを取り出す。蒸らしタオルとなったそれを夏雄の顔に押し当てて拭いてやると、さすがにすっきりとしたのか、はっきりとした目で応利を見上げた。そして一言口を開く。


「別れた」

「彼女と?」

「うん」

「なんで」


どうやら彼女と別れたらしい夏雄は、その理由を訥々と話し始めた。
昨年の秋から付き合い始めた彼女とはうまくいっていたようだったが、暗い表情をする日が増えた冬の入り口あたりからギクシャクとし始め、クリスマスも年末年始も家族と過ごすことを優先した夏雄に彼女は怒り、何度か話し合いの場をもったものの、今日別れを切り出されたらしい。
クリスマスは姉が一人だから、年末年始は寮生活になった焦凍が帰ってくるからという理由で実家にいたそうだ。


「…俺、この前さ、敵に襲われたんだよね」

「え、マジ?」

「そう。それを、焦凍と、あと体育祭に出てたクラスメイトの爆豪君と緑谷君に助けられた。そんで、その3人がインターンしてた、あいつにも」

「怪我はなかったんだよな?」

「それは大丈夫」


敵に襲われたなどかなり衝撃的な話だ。しかもそれを、エンデヴァーとその下でインターンをしていた雄英生3人に助けられたという。
カーペットに座った夏雄の左側に応利も腰を下ろして話を聞く。わざわざここに来たのは、夏雄のSOSに他ならない。


「…あいつ、改心したのか知らねぇけど、態度変わってて。福岡の事件以来なんだけど」

「良くなったってこと?」

「そういうこと。家族ってものにこだわり始めてさ…母さんは少しずつ前を向こうとしてる。焦凍も許せるように様子を見てる。姉さんは家族に憧れてるからすげー喜んでて…俺だけ、許せないし、認められないし、一緒になんていたくなかった」

「うん」

「本当は、もう一人兄弟がいたんだ。兄貴が一人。でも、その兄貴はあいつのせいで死んだ。母さんはおかしくなって心を病んで、焦凍に熱湯浴びせて、あいつはそんな母さんを無理矢理入院させた。焦凍は毎日きつい修行させられて、俺たちを失敗作って言って焦凍から引き離した。燈矢兄はあいつのせいで死んだのに、あいつは惜しかったって言いやがった。俺はそれが許せない。それをなかったかのように家族ごっこ始めたのが、どうしても…どうしても許せなくて……」

「…でも、許したかったんだ。お姉さんや、直接の被害者だったお母さんと焦凍君が前を向き始めたから」

「ッ、……だって、漫画とかでもよくある話じゃん…俺があいつを許しさえすれば、少しずつハッピーエンドに向かってくんだろ。分かってんのに…俺がここで許したら、燈矢兄が報われねぇじゃん…ッ!」


膝に顔を埋めたくぐもった声は本当にギリギリで、はちきれそうな夏雄の心境が伝わってくる。恐らく、彼女を大事にする心の余裕がなかったのだろう。もしかしたらそれもまた夏雄を苦しめていたのかもしれない。


「…あいつが変わって、母さんと焦凍が変わって、姉ちゃんは喜んで。友達はみんな俺のこと心配して遠慮して、彼女は俺を助けられないって言って離れていって。なんか、俺、すげぇ一人じゃんって思ったら、応利に連絡してたんだ」


応利は何もできないと思っていた。ただ、いつも通りに振る舞うことしかできないと。しかしそれが大事だったのだ。夏雄は、どんなときも変わらずいつも通りの時間を過ごした応利との昼休みを、ことさら大事に思っていたようだ。
そして、本当にきつくなった今日、連絡をしてきた。一人になってしまったように感じた今、そうではないと実感したくて。
あまりに重い過去、苦しい葛藤。他人の強い感情に触れることはそれだけでストレスになるが、一時的に夏雄の周りはいろんな人のいろんな感情に溢れていて、自身も相反する感情をいくつも抱えていて、いっぱいいっぱいだった。


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