春と繋がる
明朝、目覚まし時計がなるよりも早く目が覚めた。
もぞりと毛布を剥ぎ取ると、目に飛び込んだのは所々赤くなった自分の肌。昨夜のできごとがフラッシュバックし、慌てて散らばった浴衣を掴み取って袖を通した。
漆間くんは、まだ起きない。その眠りを邪魔しないようにこっそりと布団から抜け出し、開けっぱなしのトランクから日記帳を手に取る。
――くしゅん。
寒さから小さくくしゃみがでて、日記帳を持ったまま布団へと戻った。そろり、そろりと。再度彼の隣に体を滑り込ませてから、最後のページを開く。
――死ぬまでにやりたいこと。
『彼氏をつくる』『デートをする』書かれた項目の大半は既に果たしており、上から二重線で消されている。残っていたのはふたつだけだった。『キスをする』『一度でいいから好きなひとに抱かれたい』それももう、昨日してもらった。
他と同じように、ボールペンで線を引いて消していく。
(たくさん、付き合ってもらったなあ……)
漆間くんの寝息を聞きながら。愛しい記憶を思い出すように、その文字をなぞってみる。一緒に登下校することも、夏祭りに行くことも。寝る前の他愛ない通話、手作りの弁当を食べてもらうこと。ぜんぶ、叶えてもらった。
最初は、お金をあげたらお願いを聞いてくれるかもしれない、それだけの理由で声をかけたのに。彼との日々を思い出すだけで胸がいっぱいになるなんて、いつのまにこんなに好きになっていたんだろう。
泣きそうになるのをぐっと堪えていると、不意に「何見てんの」と掠れた声がした。反射的に日記帳をとじて、わたしは笑顔で取り繕う。
「起きたんだ」
彼はというと、普段より幾分か厳しい表情をして再度尋ねた。
「何見てたんだよ」
「……日記帳だよ。見せないけど」
「嘘つけ」
ぴしゃりと言われて、思わず肩が跳ねる。
これは、完全にバレているやつだ。どうしよう、誤魔化せない。怒られる?呆れられる?何で死にたいか詰められる?嫌だ、それには答えたくない。思考が乱れる。息があがる。喉が渇いて、うまく言葉が出てこない――。
漆間くんは何かを思案するように瞼を伏せる。それから、たっぷりの間のあとに、「おまえ、死にたいの」率直に、問いかけた。同じように、長い空白の時間のあと。わたしは、そっと頷いて。
「……」
長い沈黙。
その後、彼はぽつりと零した。
「ボーダーにでも入れば」
え、と。思わず聞き返す。どういう意図で告げられた言葉か理解ができなかった。
首を傾げるわたしに、彼は淡々と、
「普通に死ぬよりはマシだろ。たぶん」
その言葉に目を見開く。
「責めないの」
そう、問いかける。
漆間くんはどこか遠くを見るような瞳で、
「生きてれば絶対にいいことがあるなんて無責任なことを言えるほど、おれは馬鹿じゃない」
希死念慮とか、自殺願望とか。世の中の多くがが否定するだろうその感情に、彼は怒ることも責めることも、まして理由を聞くこともしなかった。もちろん、その感情を肯定したわけでもないけれど。それでも泣きそうになるくらい嬉しくて、どうせなら人の役に立つ戦いの中で死んでやろうかと本気で思った。
「……ありがとう」
震えた声で零すと、彼は「べつに」と呟いて布団の中から滑り出る。その背中をちらりと見てから、わたしは枕に額を押し付けた。じわりと目頭が熱くなる。漆間くんは一度もこちらを見ることがなくて、きっとそれは彼の優しさなのだと分かるくらいには、長い付き合いをしている。
そんなことをしていると退室はチェックアウトのギリギリになってしまって、結局残りの庭を堪能できなかったことを少しだけ悔やんだ。
昨晩の雪が嘘のようによく晴れた一日だった。太陽の光を浴びてきらきらと輝く銀世界が美しい。
下腹部に微妙な違和感があって、普段より幾分か遅い速度で歩いていることを、漆間くんは何も言わなかった。ただ横に並んで歩幅を合わせてくれて、送迎車に乗り込む際は荷物を預かってくれる。
駅からは電車に乗り換え、休憩を挟みながら数時間かけてようやく地元へ戻る。三門市は、宿泊した地域よりいくらかあたたかい気候だった。
最寄り駅で降りた後、彼は珍しく交差点を過ぎてもついてきてくれた。驚いて瞬きを数度すると、彼はこちらを見ようともせず「送る」と一言。「うん、ありがとう」にやけそうな顔を隠して、わたしはそう言う。
特に何かを話すわけではなかったけれど、漆間くんの視線はとてもやさしくて、それがくすぐったくて仕方がなかった。
彼は家の前まで来てくれて、「じゃあまたな」と告げて踵を返す。その裾を掴んで、呼び止めた。
「漆間くん」
「……何」
「あの、さ」
しどろもどろに視線を泳がせていると、何かを察した彼が呆れたように息を吐いた。それから一歩近づいて、徐に顔を近づける。わたしは目を閉じた。すぐに唇に柔らかい感触があって、それが離れると同時に目を開ける。
ちょっと憧れていた、お別れのキス。へにゃりと頬を緩めたわたしを「へらへらすんな」と彼が小突く。それから、「またな」と今度こそ去っていく背中を見届けて、夢のような心地のまま玄関扉を開けて。リビングでスーツケースを開け、浮かれたままソファにダイブしたら、外から車のエンジン音がしてどきりとした。聞き慣れた音だった。おそるおそるカーテンの隙間から覗いたら、車庫に赤い車が止まるところだった。さっと、血の気が引く。
三が日は過ぎるって、言っていたのに。
慌てたところでどうにもならない。落ち着け、スーツケースを隠せば、まだ、希望はある。
転がしていたスーツケースを抱え、二階に向かって駆けあがる。自室の扉を開けると同時に、下から玄関のドアが開く音がした。大丈夫、今まで部屋の中に入って来られたことはない。
深呼吸をひとつして、階段から顔を覗かせる。
「おかえり、早かったね」
「……うん。ただいま。……どこかに行ってたの?」
叔父の目が蛇のように細くなる。「えっ、なんで?」どうしてそんなこと言われるのか分からないといったように聞き返したら、「かわいい服を着てるから」と笑われた。
「友だちと遊びに行ってただけだよ」
「へえ。年があけてすぐに?」
「うん。初詣」
距離を開けたままというのもおかしいので、階段をゆっくり降りながら答える。
大丈夫、怪しまれるようなことは、言っていない。
「そっか」と叔父が頷いて、ほっとする。とりあえず、誤魔化せた。そう思って気を抜いた瞬間だった。
「僕に嘘つくんだ」
え、と。驚きが、口に出ていたかは分からない。
髪を掴みあげられて、短い悲鳴があがる。そのまま引き摺られるようにしてリビングのソファに押し付けられた。
「男と歩いてただろ」
「……っ」
一体いつから見られていたのだろう。喘ぐように呼吸をするわたしを冷たい目で見下ろして、叔父は続ける。
「スーツケースなんか引き摺ってさ、泊まりだよね。何してたの?」
「叔父さんには、関係な――っ!」
「は?」
低い声とともに服が引き裂かれた。ひゅ、と喉が鳴る。嘘、なんでこのひと、ハサミなんか持ってるの。
恐怖で身動きが取れなくなったわたしの体を叔父がなぞる。昨日、漆間くんが優しく触れてくれたところ。赤い痕を遺してくれたところ。
「ああ、やっぱりしたんだ。酷いなあ、僕は卒業まで待ってあげてたのに。ねえ、なんで?あんなに優しくしてあげたのに」
「ひっ」
いやだ、見ないで、触らないで。嫌悪感で吐き気がして、嗚咽が漏れる。叔父は暗い目でこちらを見下ろして、「傷つくなあ」と抑揚のない声で言った。
「ああでも君の顔、やっぱり母親にそっくり。本当はあの人にこういうことしたかったんだけど」
身を捩り、足をでたらめに動かすと、一瞬叔父の体が浮いた。這いつくばるようにして逃げ出し、ポケットからスマートフォンを取り出す。恐怖で腰が抜けて、立ち上がることすらできなかった。ロック画面の緊急SOSボタンをスライドして、110番をタップ。繋がってすぐ、「助けて」と叫んだ。その、直後。
「きゃあ!」
ガン!と鈍器のような何かが振り下ろされて、スマートフォンに直撃する。画面が割れて、通話が切れる。
「何してんの?」
「ひっ……」
ゆらり、と。叔父が近づいて、徐に手を伸ばす。震えたままそれを受け止めると、彼は満足げに笑って、
「全部君が悪いんだよ」
「ちが、う……」
「違わないよ。僕はずっと優しくしてただろう?それなのに、君が他の男に触らせたりするから」
「や……」
「ああ、怯えなくていいよ。君が言うこと聞いてくれたら、ちゃんと優しくするから。そうだよね、ちょっと怖かったよね。ごめんね。ハサミもこっちに置いとくね。これで大丈夫でしょ?酷くされたくなかったら、いいこにして?」
先程とは打って変わって穏やかに微笑まれて、それが尚のこと恐怖を煽る。怖い、気持ち悪い。ぼろぼろと生理的な涙が零れる。指が頬をさすり、頸をなぞり、鎖骨を撫でる。
昨日は、こんな風に触れられてあんなにも幸せだったのに。記憶の中に、漆間くんを思い出す。彼からもらった熱が、全部奪われてしまうなら、それなら、いっそ。
唇を噛み締めて、恐怖で震える体に力を入れて。それから、叔父の手を、思い切り振り払った。
一瞬、戸惑ったように彼の目が開かれる。瞳の奥に暗い色が広がる。
「あんたに、好き勝手されるくらいなら……っ」
懸命に、振り絞る。からからの喉で、それでも叫ぶ。
なんにも怖くないと言い聞かせて。もう、やりたいことは全部叶えてもらったから。思い残すことは、ひとつもないんだから。たとえもう一度ハサミが向けられたって、屈したりするもんか。
「死んだ方が、マシ……!」
激昂した叔父が思い切り頬を殴った、のだと思う。鋭い痛みが走って、口の中に血の味が広がった。
「やめろ、やめろやめろ!彼女と同じことを言うな、そんな目で見るな!」
「げほっ」
呼吸がしづらい。視界が霞む。たぶん、半狂乱になった彼に首元を押さえつけられている。
ああ、ほんとうに。ぜんぶ、おわる。
目を閉じたら思い浮かぶのはやっぱり漆間くんで、少しだけ笑ってしまった。
その時、不意に、玄関先が騒がしくなった。複数人の足音と、男のひとたちの声。ああ、そういえば。わたし、警察に連絡したんだっけ……?
目線だけを動かして様子を伺っていると、
「苗字!」
「……っ、うる、しま、く……?」
ぼやけた視界に、たしかに、愛しいひとの姿が映った気がした。
・
薬品のような独特な匂いが漂っている。体の節々が痛い、気がする。
「ん……」
うっすらと目を開けると、見慣れない真っ白な天井だった。瞬きを数回。その後、ゆっくりと首を動かして辺りを見る。白い壁、白いベッド。とても静かな空間だった。
「病院……?」
誰に問いかけるでもなく呟きながら体を起こす。腕に痛みが広がって思わず目線を落とすと、手首辺りに青々とした痕ができてしまっていた。どくん、と心臓が鳴る。叔父からされた暴行を思い出して、呼吸が早くなる。そういえば、あの後どうなったのだろう。最後に漆間くんの姿を見た気がしたけれど。
胸元をぎゅっと握りしめながら記憶を巡らせていると、がらりと扉がスライドした。
「!」
部屋の向こうに、漆間くんが立っていた。飲み物を買いに行っていたのか、ペットボトルを片手に持っている。
どういう顔をしていいのか、何と言ったらいいのかも分からず、軽く手を振るような所作をした直後、不意に視界が暗くなった。
体中が温かくて、もしかしなくてもわたし、漆間くんに抱き締められてる?
「……よかった」
頭上から安堵の息が零される。どうしようもなく泣きたくなって、でも面倒くさいと思われたくなくて唇を噛んでいたら、一層強く抱き締められるから困惑した。「……くるしいよ、漆間くん」わたしの言葉を受けてようやく、彼は抱擁を解く。
病室の壁時計で時刻を確認した。もう夜の八時前だった。おそらく、面会時間ぎりぎり。随分寝てしまっていたらしい。
「……警察呼んでくる」
少しだけ疲労感を漂わせて、漆間くんが言った。どうやら外に待機していて、意識が戻り次第簡単な事情徴収をすることになっていたらしい。といっても、わたしが襲われたところを彼らは既に確認していて、叔父は暴行罪で現行犯逮捕。いつから暴行を受けていたかとか、何をされていたかとか、あまり話したくないことを聞かれ、鬱々としつつも返答する。そんなことよりも、これからの生活が不安なのに。お金の管理は一応叔父がしてくれていたわけだし、わたしひとりでは収入もないわけだし。ああでも、漆間くんと別れてお金を渡すのを辞めたら普通に生活はできるのか。
そうやって一通りの事情を話し終えた後、彼らと入れ替わりで漆間くんと看護師さんが入ってきた。念のため検査が必要とのことで、わたしは一泊しなければならないらしい。確かに体は痛いけど平気なのにと思いつつ、そんな駄々をこねても仕方がないので物分かりの良い顔をして頷いた。
漆間くんが「明日、終わったら迎えにくる」と言って部屋を出て行く。ボーダーは大丈夫なのかなと不安になりつつも、彼の好意に簡単に甘えてしまった。誰もいなくなった真っ白の空間はひどく静かで、もの寂しい。早く明日になれと念じて、わたしは目を閉じる。
翌日、検査が終わると、宣言通り漆間くんが迎えに来てくれていた(検査結果はやっぱり異状なしだった)。病院の前には既にタクシーが止まっていて、わたしと漆間くんはそれに乗り込む。
わたしの家は昨日から現場検証が入っていて、ひとまず漆間くんの家へ泊めてもらうことになっている。彼の部屋へ訪れるのははじめてだった。不謹慎だけど、正直、少し嬉しい。
漆間くんが住んでいるというアパートは、正直言ってボロかった。廃屋並とはいかないけれど、女の子ひとりで住むには危なそうなところ。アルミでできた階段をあがり、建付けの悪そうな扉を開けて中へ。1Kの手狭な部屋だったけれど、よく整理をされていてとてつもなく狭い感じはしない。
漆間くんは終始無言だった。「適当に座って」と素っ気なく告げた彼へ、恐る恐る声をかける。
「……漆間くん」
「……なに」
「怒ってる?」
呆れたように溜息がひとつ。それから、「怒ってる」とストレートな返事があった。
「ごめんなさい」
間髪いれずに謝ると、彼の目がすっと細くなる。それから、「それ、何に対して謝ってんの」と。わたしは少しだけ思案して、
「家に泊めてもらって、邪魔してるから」
「ちがう」
「……ボーダーに行けなくしちゃった」
「そうじゃなくて」
否定ばかりされてぐるぐると悩んでいると、彼はもう一度息を吐いた。それから、「なんで」と零す。どこか責めるような口調でもあった。
「なんで言わなかったんだよ。叔父にそういうことされてるって」
苦しそうな声だった。辛そうな
表情だった。息を呑むわたしに、彼はなお続ける。
「死にたいのも、あいつが原因だろ」
確信めいた言葉で言われて、わたしは頷くしかない。
はじめて触られたのは、叔父がわたしを引き取って一ヶ月ほどした時だった。お風呂上がりに、「乾き切ってないよ」とわたしの髪に触れた手がそのままうなじをなぞって、その触り方が妙に気持ち悪かったのをよく覚えている。それは徐々にエスカレートしていって、ただ、唯一マシだったのは、直接的な体の関係はわたしが高校を卒業するまで待とうとしていたこと。彼はそれを「僕は優しいから」と繰り返して満足げに目を細めていた。理性的で優しさがあるみたいに演じる自分に酔っていただけだろう。理解できないし、する気もないけれど、少なくともそのおかげでわたしは初めてをあんなやつに奪われずに済んでいる。
「……うん」
短く返事をしたら、漆間くんが静かにわたしを抱き寄せた。震えた息が首筋にかかる。何かを告げたのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。けれど、彼の気持ちは不思議と伝わる気がした。
「……漆間くん、わたしに死んでほしくないの」
彼はそっと抱擁を解いて、部屋の隅にある机の引き出しから菓子箱の缶を取り出した。
「開けろよ」
「?」
ぱかりと蓋を取り、目を丸くする。缶の中身は、大量の福沢諭吉が描かれた紙幣。
「あんたがくれてたやつ。途中からずっと取ってた。いつか返そうと思って」
「は?え、なんで……っ」
「分かれよ」
「分かんないよ。分かんない、だってそんなの」
そんなの、お金を貰うためにわたしの我儘に付き合っていたんじゃないとしたら。今までの行為が全部、本物の恋人だったみたいになってしまう。
漆間くんは、わたしが重い缶を受け取ってから、「死んでほしくないに決まってるだろ」それは間違いなく、さっきの問いかけの答えだった。
思わず、「変なタイミング」と零すと、
「これ返さずに生きててほしいとか言っても、金づるとしか見てねえみたいだろ」
どうやら漆間くんなりの配慮だったらしい。
「……嬉しいけど、これはいらない」
「は?受け取れよ。おまえの金だろ」
「もうあげたやつだもん。いらない」
「ふざけんな」
どちらも引かないそんなやりとりを、数回繰り返したあと。漆間くんは諦めたように溜息をついて、
「……じゃあ二人で、また旅行にでも行くか」
うん、と。強く同意したはずの言葉は震えていて、わたしはここ最近何度目になるか分からない涙を零す。「おまえって、泣き虫」ちょっと困ったように、ちょっと馬鹿にしたように。いろんな感情の混じった声音で漆間くんはそう言って、それからわたしを抱き締めた。あたたかな掌が、背中をなぞる。このひとと一緒に生きていたい。そんな風に思って痛いくらいにその体を抱き返すわたしを、漆間くんはひたすらに優しく撫でてくれた。
暫くしてようやく泣き終えたら、段々と羞恥が湧いてきた。目も腫れているに違いなくて、なんとなく漆間くんと距離をあけたけれど、彼はわたしの気なんておかまいなしにこちらをじっと見つめ、「今言うことじゃないかもしんないけど」と切り出した。
「こないだの、ボーダー入るって話。あれ、どうする?アイツは警察に捕まったわけだし、入る必要もなくなったと思うけど」
アイツ、とはわたしの叔父のこと。元々叔父からの行為が原因で死にたいと思っていて、ボーダーに入る話は、どうせ死ぬなら人の役に立ってヒーローっぽく死んだ方がマシじゃないかとかそんな流れで出てきた話だった。根本的な要因がなくなった今、彼の言う通り、入らなくても支障はないのだろうけど。
「……でも、お金はどうにかしなきゃいけないことだし。やっぱり、入ろうかな」
「……そ」
「なんか。隊があるんだっけ。漆間くんとおんなじとこ入れる?」
「さあ。うちはもうオペいるから、最低でも戦闘員じゃないと無理。あと弱いやつも無理」
漆間くんらしいな、とわたしは笑う。それから、頑張るね、と告げて何とはなしに身を寄せる。温かくて、くすぐったい。もっとちゃんと触りたいと思うのは、はしたないことだろうか。もっと触ってほしいと思うのは、変?
微睡によく似た心地よさに身を委ねながら、そんな風に考えていたら。漆間くんがおもむろに顔を寄せたので、わたしは目を閉じる。けれど、期待していた感触はなくて。おそるおそる目を明けたら、彼は面白そうに目を細めて、「分かりやすすぎだろ」と笑っていた。
恥ずかしい。逃げ出したいくらい。でも、そんな態度を取るのはなんだか悔しくて。
きっと顔は真っ赤だったに違いないけど、わたしは強気に「駄目だった?」なんて口にする。
漆間くんが一瞬、目を見開く。けれどそれはすぐ、いつもと同じように僅かに弧を描いて。
「駄目じゃない」
そうして、今度こそ優しく口づけてくれた。
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