春と言祝ぐ
数日後、わたしは叔父と縁を切ることになった。元々、彼とわたしの父は血縁関係にありながら相当な不仲だったらしい。叔父はわたしの母に叶わぬ恋をしていて、ひどい迫り方をしたこともあったのだとか。結局母に見向きもされなかった彼は姿を眩ませたけれど、両親ともに他界したわたしの話をどこから聞きつけたのか、わたしの親権者になるまで根回ししたのだから恐ろしい。それも、最終的に、母によく似たわたしを、母の代わりに愛するために。もう少しわたしがしっかりしていればよかったのかもしれないと悔やみつつも、あの頃は天涯孤独になったと思い込み、精神的に相当参っていたことを思い出す。きっとかつてのわたしは、叔父に縋る選択しかできなかったに違いない。
警察の人が教えてくれた話を思い返し悩んで、途中で考えることを辞めた。どれだけ後悔しようが、それらはもう過ぎ去ったことだ。二度と戻ることなんてないのだから、深く悩んでも仕方がない。
それに、わたしは今、孤独じゃない。血の繋がりがあるひとがいなくたって、大切なひとがいるから。ちゃんと、生きていける。
叔父がいなくなったことで、まだ未成年のわたしには財産管理のための後見人とやらがつけられることになった。家庭裁判所で選任されたのは、母の友人で元弁護士でもあった女性で、目元にある笑い皺が特徴的だった。
後見人がつくといっても、その人と生活を共にするわけではなかった。あくまでもわたしが成人するまでの間、大切な財産が騙されて奪われたりすることのないように支援してくれるだけ。わたしは今、叔父と暮らしていた臙脂色の屋根の家を離れ、1Kの小さなアパートで一人暮らしをしている。
諸々の手続きを終え一休みをした数週間後、ボーダーの入隊日がやってきた。戦闘に必要なトリオン量とやらは特別多いわけではなかったけれど、無事試験は合格している。
ボーダー本部長の忍田さんから歓迎の挨拶があった後、ボーダー隊員と思しきひとたちが4名並んだ。全員、赤色の隊服を着用している。並んだ彼らは順に、生駒、水上、隠岐、南沢と名乗った。差後のひとり以外はこてこての関西弁。そういえば、各地からスカウトをすることもあると、漆間くんが話していた気がする。
物珍しさに薄目を開ける中、生駒さんが「ほんなら早速やけど」と
入隊指導を始めた。ポジションごとに分かれるよう指示されて、
攻撃手、もしくは
銃手を選択している人たちは生駒さんの元に残り、
狙撃手を選択している人は隠岐さんに着いていく。
狙撃手志望の女の子が小さく歓喜の声を上げたのは、隠岐という彼がイケメンだからに違いない。優し気な目元にある泣き黒子は憎らしいくらいに色っぽい。
漆間くんと同じ、
銃手トリガーを選んでいるわたしはその場に残る。新入隊員の5分の1程が去る様子を見ながら、水上さんが「今期は
狙撃手少なめやん」と零した。やっぱり、イントネーションも全然違う。
B級への昇格条件――左手の甲に出ている数字を『4000』まで上げること――を説明してから、生駒さんは隊員を移動させ、大きく開けた空間へと辿り着く。そこには、ボックスのような施設がいくつか立ち並んでいた。
「さて、最初の訓練やな。対
近界民戦闘訓練やで」
告げられた言葉に、辺りがざわついた。
仮想モードとはいえ、まさかいきなり戦闘訓練だとは想定している人の方が少ないだろう。トリオン切れもないし怪我もしない、初心者レベルの敵だといわれても、動揺するのは仕方ない。
順番に訓練室に入り、5分の制限時間で奮闘するも、あまり振るわない戦績で出てくる同期たち。いや、どのくらいのレベルだと優秀だなんて知り得もしないわけだけれど、システムを動かしているボーダー隊員は頬杖をついてるし、水上さんも心なしか興味の無さそうな目をしているから、今のところ目ぼしい人材がいないというのはあながち間違いじゃないはずだ。
「次、交代や!頑張り」
明るく呼ばれ、一歩前に出る。「難いよ、コレ」肩を竦めて友人の元へ向かう男の子とすれ違う。訓練室の中に入ると、周囲の音がぴたりと止んだ。『4号室用意』機械的な声がする。瞼を閉じて、深呼吸。……うん、きっと、大丈夫。
『――始め』
声と同時に、地面を蹴った。
自分の体の何倍もある
近界民が一瞬で目の前に現れる。不思議と、怖くなかった。
ハンドガンを構えて、引き金を数回。軽快な発砲音で放たれた銃弾は、視線に誘導されるように弧を描き、口の中の丸い部分へ命中する。
でも、致命傷には弱い。
投げやりに飛んできた尻尾を躱し、
近界民の頭を踏みつける。そこから落下するタイミングで、至近距離でもう三発。
近界民の頭が大きく揺れて、それから、ずどんと重たい音が響いた。
『記録、17秒』
淡々と告げられた結果に、ほっと息を吐く。今までこの記録を出せた人はいなかったはず。結構いいところまでいったんじゃないかなと思っていたら、スペースを出ると同時に「すごいやん!」と声をかけられた。見ると、生駒さんが拍手しながら褒めてくれている。
「戦闘訓練、初めてやんな?」
「えっと、はい」
「すっげ!初めてなら1分切ればいい方っすよね」
と、今度は南沢さん。お調子者っぽい声と表情から年下のようにも見えるけれど、どうだろう。
ちょっと照れくさい思いをしながらも、その後の合同訓練を受けていく。地形踏破訓練に、隠密行動訓練、探知追跡訓練。満点だと訓練ひとつで20点。合同訓練は週2回だから、満点を取り続けたとしても4000点になるためには19週間ほどかかるわけだけど。
「一気に稼ぐんだったら、やっぱり『ランク戦』!仮想
戦場で個人戦をやって、勝ったら相手からのポイントを貰えんの」
合同訓練後、C級ランク戦のブースに移動した後、そう説明してくれたのは南沢くんだった。どうやら彼は同い年だったらしく、「海でいーよ」と眩しいほどの笑顔を向けられたけれど、流石に一気に距離を埋めることは、わたしにはできなかった。とりあえず、「南沢くん」と呼ばせてもらっている。
時折、水上さんがこちらを見てくるのに、南沢くんは多分気づいていない。あれは「ちゃんと説明できとんやろな」っていう感じの目だけれど、わたしの方が気になるってどうなんだろう。そんなことを思っていたら、
「ところで苗字チャンはもう部隊決まってる?」
唐突に聞かれて思わず「え」と聞き返した。南沢くんは「あ、他意はないよ!オレらの部隊、もう人数マックスだし」と前置きしてから、「何人かに誘われてたけど、全部断ってたからさ」と述べた。
「うーん……。これから次第では入れてくれるみたいだけど」
これには、曖昧な返事をするしかなかった。
実際漆間くんにも「弱いやつはいらない」と公言されているし、何より彼女がいるだなんて、きっと漆間くんは誰にも言っていない。下手なことを言って、その関係を根掘り葉掘り聞かれる事態は避けたかった。
幸いにも、南沢くんは「そっかぁ」と頷いた後、「入れるといーな!」と白い歯を見せて笑ってくれた。太陽みたいだ、と真っ先に思う。漆間くんとは正反対。
「あれっ?」
と、不意に彼がただでさえ丸い目を大きくして、ロビーの入り口を見た。つられて目を向け、ぎょっとする。
「珍しー!C級のとこに何の用だろ。おーい、漆間チャン!」
南沢くんが手を大きく振りながら駆けて行って、わたしも慌てて後に続いた。漆間くんはというと、光のないジト目で南沢くんを睨んで、「うるせえ」と呟いた。
どうしよう、声をかけてもいいのかな。
存外背の高い南沢くんの後ろに隠れるようにして様子を伺っていると、漆間くんが「おい」とこちらに投げかけた。「は、ハイ」思わず敬語で返事をしたら、「何で敬語だよ」と言わんばかりの視線が向けられる。
「おまえ、結局
銃手用トリガーにしたのかよ」
「う、うん」
「あっそ」
素っ気ない会話だった。それでも、周囲の人間を驚かせるには十分だったらしい。
いつの間にか水上さんまで近くにやってきていて、信じられないものを見るみたいな目をして漆間くんを見ている。「知り合いだったん!?」とこちらを振り向く南沢くんの横で、水上さんが「うそやん。どういう関係?」と呟いて。
「……別に。ただの彼女」
淡々と告げられた事実に、わたしも、南沢くんも、水上さんも。近くで話を聞いていた漆間くんを知るボーダー隊員全員が固まって、数秒。
「は、はぁぁ!?」
誰からともなく悲鳴みたいな声があがって、「あ、ちょぉ、生駒さん!」ふらりと倒れかけた生駒さんを水上さんが支えた。
「カップルで同じ部隊って……うらやましすぎるやろ……」
「いや、部隊一緒になるかはまだ分かんないですけど」
「なんでや!一緒に組むべきやろ!」
「はぁ……」
南沢くんも、「はぇー」とか「ほぇー」とか何度も感心したような声をあげて、「漆間チャンと付き合うって、苗字チャンすごいね」と最後にそう締めた。
「ちなみに漆間チャン、彼女、対
近界民戦闘訓練の記録17秒だったよ」
南沢くんがそう伝えて、漆間くんは少しだけ目を見開いた。
「それなら結構早めにB級あがれるかもな」
「ほんと!?」
思わず、浮かれた声で聞き返す。
「いや知らねえけど。おまえ運動神経もいいし」
「うん、わたし頑張るからね」
「はいはい」
おれもう行く、と、相変わらず素っ気ない感じで彼は背を向け、手をひらひらとさせながら場を去っていく。
「びっくりしたー。入る部隊って漆間隊のとこだったんだ」納得したように告げた南沢くんに頷くと、その隣で水上さんが「ほんまびっくりやわ。失礼かもしれへんけど、大変ちゃう?」そう尋ねるから、ボーダーでも学校でもイメージが一貫しているようで何だかおかしかった。
「漆間くん、意外と優しいから」
照れくさくなりつつもそうはにかむわたしに、「青春やなぁ……」と生駒さんが目頭を押さえた。
・
それから程なくして、わたしはB級にあがり、漆間隊に入隊した。噂によると入隊した初日にB級になったひともいたらしく、そのひとと比べると時間はかかったものの、平均よりはずっと早い昇格だったとのことだった。
わたしの入隊に六田ちゃんは大喜びしてくれて、初戦で無事に勝利を収めたら抱き締めてくれたくらいだった。六田ちゃんはそれ以降も、試合に勝つたびにハイタッチを求めてくる。ひとつ年上だという風に聞いていたけれど、何だか守ってあげたくなるような、癒される存在だった。
漆間隊の活動は、数年後、六田ちゃんが短期大学を卒業するまで続く。その頃には漆間隊はA級にあがっていて、後任のオペレーターの話も出たけれど、わたしも漆間くんも六田ちゃん以外と組むのに乗り気になれず、彼女の卒業と同時に隊を解散、わたしたちは揃ってボーダーを辞めた。
それから、また数年。互いに大学を卒業し、漆間くんは三門市の公務員に、わたしは市内のスーパーに就職が決まって、忙しなく日々を過ごしている。
「やっぱりここにいた」
夕暮れ時、警戒区域の有刺鉄線前。声をかけられて振り返ったら、仕事帰りの漆間くんが立っていた。スーツ姿だった。何度見ても慣れないくらいに眩しくて、抱きつきたい衝動を懸命に抑える。少しだけ緩めたネクタイは、就職祝いにわたしが渡したもの。
「おまえ、ほんとここ好きだよな」
呆れたように言いながら、漆間くんもわたしの横に並び、有刺鉄線の向こうを見た。
はじめてきちんと会話をしたのは七年も前になるけれど、あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。この有刺鉄線の向こう。瓦礫が崩れて漂った硝煙の匂いも、砂埃の向こうから飛んできた舌打ちとげんなりした声も、面倒くさそうに向けられた瞳も。あの始まりを、わたしはきっとずっと、忘れられない。
「……あの日のこと、覚えてる?」
「……覚えてるよ」
彼の声音はとても優しい。それから、あの日のことを懐かしむような眼差しで、「記憶措置させることにならなくてよかったって、今なら言える」なんて続けた。
「もしこの中に一歩でも入ってたら、記憶措置してた?」
「してただろうな。ボーダーに連れてくのは面倒だけど、バレて後からペナルティ食らう方がしんどい」
「漆間くんらしい」
くつくつ笑いながら、「ほんと、入ってなくてよかった」と零す。
ボーダー隊員ではなかった当時のわたしは、警戒区域の中に勝手に入ったら記憶措置をされて一連の出来事を忘れさせられたうえで日常に帰されることがあるなんて知らなかった。正隊員になってそういう対処法があると知った時は、驚くと同時にあの日のわたしを褒め称えたい気持ちでいっぱいだったものだ。もちろん、今でも。だって、あのきっかけがなければ、わたしは漆間くんと今日までの日々を過ごしていない。こんなに愛しい感情に出会えていない。
「そういえば、諏訪さん昇進したんだって」
「へえ。まあ、昔っからまとめるの上手い人だったしな」
「分かる。憧れの上司って感じが当時からしてたもん。三雲くんもボーダーに就職してるし、あくどい提案されてるかもだけど」
「あー……、あのメガネ」
「あと……、あ、そういえばこないだ小南先輩に会ってね」
浮かれて話して、ふと、漆間くんがじっとこちらを見つめていることに気づく。何だろうと首を傾げたら、「おまえ、すごいよな」唐突にそう言われ、思わず瞬きを返した。
「ボーダー辞めてからも、色んなやつと連絡取ってんじゃん」
「え、そうかな。基地から割と近いスーパーだし、みんなに会うことも多いけど」
「わざわざ会いに行ってるやつもいるだろ。南沢とか」
「あ、南沢くん!こないだお菓子いっぱい買って帰ってた。というか、南沢くんは漆間くんの方が会うでしょ。おんなじ市役所なんだから」
「建物違うけどな。よく絡んでくる、ほんとうるさい」
うるさい、と言うけれど、その言葉に突き放すような冷たさはない。
漆間くんにやたらと絡む南沢くん――手を振りまくったり、大声で名前を呼んだり、お菓子を配りにきたり?を想像して笑っていたら、「この間なんか」とそこまで零して、漆間くんが口を噤んだ。
「この間なんか?」
「……なんでもない」
「え、何、気になるんだけど」
「まだ教えない」
「もう」
唇を尖らせて拗ねたわたしに、「そんな顔しても駄目だから」と釘を刺した後、漆間くんは、
「つーかさっさと帰るぞ、おまえ明日仕事だろ」
と、ぶっきらぼうに言った。だけど、その奥にある優しさを、わたしはもう、ずっと知っている。
「うん」
頷いてその隣に駆け寄るわたしに、漆間くんが右手を差し伸べてくれる。西日が差し込む。彼の薬指にあるわたしとお揃いの指輪がきらりと光って、それが、たまらなくしあわせだった。
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