無題
夢主ちゃんが自分のSEををカミングアウトするおはなし。
感情を殺し、自分を偽って過ごせば過ごすほどに、心が摩耗していく。自分が一番よくわかっていた。感情が消えていくような気がしていたのも、実際は「気がしていた」のではなく、心の表面に入った罅の隙間から、じわりじわりと染み出だしていたに違いなかった。
「どうしよう、大事なものなのに、忘れちゃったみたい」
吐露した私の顔は、くしゃくしゃに歪んでいたことだろう。私と向かい合う迅は私の顔をまじまじと見ながら、困惑した表情を浮かべていた。何を?と言いたげな迅は、口をぱくぱくと開閉させ、結局何も言わないまま唇を結んだ。
それは懸命な判断だったと思う。何を、と聞かれたところで、私もその問いに対してはっきりとした答えを導き出せそうになかった。それほどに薄れていたのだ。何に対して苦しんでいたのか、喜びを感じていたのか、ただその気持ちひとつに涙するほどの感情が、どんなものであったのかを。
お互いが言葉を発せないまま、沈黙が二人の間に留まっている。迅は相変わらず何か言いたげにしていたが、時間だけが過ぎ、沈黙を壊そうと私が深く息を吐くと迅は肩を揺らし、なまえ、と一度私の名前を呼んだ。
その声に駆り立てられるように、私は口を開いた。
「私、サイドエフェクト、ふたつもってたの」
「…は?」
迅は瞠目した。
当然だ。人間がサイドエフェクトを2つ所持しているという事例は今までに一度も報告されていない。話の流れが見えないまま、今日の出来事を幼い子供が話すかのように、私がさらっと口にしたのだ。驚かないわけがない。迅の表情を見て、私の顔には複雑な笑みが浮かんだ。
「いやいや、笑い事じゃあないだろ。」
「そうだね、笑い事じゃない。だからといって、笑い事にするために話したわけでもないよ」
「それくらい、俺だってわかるさ」
苛ついたように迅は言う。その苛立ちも受け止めて、私は一呼吸置いてから口を開いた。落ち着かないと、うまく話せる自信がない。
「ひとつは、迅も知るように、姉のSEだった”狭窄性未来視”。これは第一次近界民侵攻後に姉から継いだものだってことは、みんな知ってる」
「そうだな。……おいおい、ってことは、あれか?お前まさか、先天性のサイドエフェクトを持っていたってことなのか…?」
「うん、そういうことになる」
疑いをもった眼差しが向けられる。真意を探ろうとする目だった。私はそんなようすの迅から、目を逸らさずに答えた。
すると迅の方から目を逸し、迅はそのまま頭を抱えて溜息を吐きだした。長い長い溜息だった。事実として受け止めた上で、自身の気持ちの整理をしているのだろう。私は何も言わなかった。
「城戸さん…ボーダー上層部の人はそれを知ってるのか?」
「うん、限られた人だけではあるけれど。林藤支部長と、忍田本部長は知ってる。おふたりには、旧ボーダーに所属した際に報告したからね」
「……聞き方を変えるぞ。お前が2つサイドエフェクトを所持しているという事実を知らない人は?」
「……今挙げた人と、こなみ、それと、私の姉以外の、ほかの人はみんな知らない」
私が言い終わると同時に、背中に衝撃が走った。迅に胸ぐらを掴まれ、壁に押し付けられたのだ。痛みは少ないものの、胸元への圧迫感に息が詰まる。些か暴力的な迅の行為を、私は抵抗せず受け入れた。その衝動がわからないわけではなかった。
「なんで」
迅が泣きそうに顔を歪める。何で言わなかったと、今にも怒り出したいのをこらえているような表情だった。当然だろう。赤ちゃんの時から一緒に育ってきた幼馴染だ、自分だけが知らない、知らされていないという事実は、迅を傷つけた事だろう。
幼い頃からお互いに寄せ、深めてきた信頼を跳ね付け、私が裏切ったようなものだ。黙っていた、その事実に対して迅が怒るのは当然のことで、それだけの行為を、私はしてきた。とはいえ、ごめん、と謝ることも筋違いに思えた。私は唇を結んで、迅の行動を全て受け止める覚悟をしていた。
長い長い沈黙が下りる。
「…なまえ、大事なものを忘れてしまったみたいだって、さっきそう言ったよな」
だが、迅はこの期に及んでも冷静を保っていた。怒声を浴びることを覚悟していたために、うん、などと気の抜けた返事をしてしまう。それを見透かしたかのように迅は眉尻を下げて言う。
「今ここでなまえを怒ったところで、なまえが過去に覚悟してそう決めていただろうことに対してなまえが反省するとは思えないし。ま、許せないことにかわりないけどな、幼馴染の俺だから、わかるんだよ」
迅は、仕方ないなというように笑うから、私はスンと鼻を鳴らした。泣くまい、と唇を噛んだ。
「察するに、大事なことと、それを忘れてしまったことに、関係してくるんだろ。その、もうひとつサイドエフェクトが」
迅の言葉に、私はこくりと頷く。
「でも、そのサイドエフェクトがなんなのか、俺には言えないと」
この言葉には、頷くことを躊躇した。迅の言葉は間違っていて、私は言おうと、言ってしまおうと、思っていたからだ。
押し黙る私の様子を見て、迅は胸元を掴んでいた手の力を抜いて私を開放した。私の次の行動を待つと決めたのだろうと、そう思った。空気を肺いっぱいに取り込んで、迅、と名前を呼ぶ。腹は括った。
大事なものは確かに摩耗して薄れていた。きっと、私がこれまでにひた隠しにしていたものは何一つ伝わらないだろう。だって、私自身がわからないのだ。わかっていないのに、隠し通そうとする意味など無いし、伝わるはずもない。ただ、その気持ちをあらわす言葉だけは、ずっと頭に残っていた。それだけが、空っぽになってしまった私の感情をかろうじて守ってくれていた。
「私から目を逸らさないで」
「うん」
「そしたら、私の未来が見えてくる」
「…まじか。……今まで少しも見えなかったんだぞ」
「……またひとつ重荷を背負わせちゃったかな」
「や、それは今更ってもんだろ」
「そういうものなんだ」
「そういうもんだ」
そう言う迅の声があまりに優しくて、いよいよ私が泣きだすと、迅はだまって私の頭を撫でてくれた。
「どんな未来が見える?」
「とりあえず、死にそうにないから安心しとけ」
「そっか」
姉から継いだサイドエフェクトのお陰で知っていたことではあるけれど、迅が私の未来を見たのだという事実がなんだか切なくて、そして、なんだかあったかく思えた。
それから、私は言葉を続ける。
「私のサイドエフェクトは、自分の感情や存在を隠ししたり、無いもののようにことができるというもの」
「どうりで。なまえの未来が見えないわけだな」
「それで、ずっと隠してきたものはもうひとつあってね」
「ん?」
「私、迅のことがずっと好きだったの」
突然の告白に、迅は、ぅお?と素っ頓狂な声をあげる。何年もずっと言えなかった言葉を言えて、憑き物が落ちたかのように、自然と笑みが浮かぶ。切ないけれど、ここちの良い切なさだった。
「好き”だった”、なんだな」
私の言葉を反復して、迅は小さく笑った。