「―シギル」
夏休みの選択講習。
休み時間にノクトがやって来た。
「ノクト、どうしたの?」
「今日来るだろ?先部屋入っててくれ、イグニスもすぐに来るだろうから伝えとく」
そう言って最新のピッキング防止が施された鍵と、カードキーを渡された。
「えー、いいの?見ちゃいけないモノ見たらどうしよ..」
「んなもんねーし!」
じゃあな、と言ってノクトは教室を出て行った。
◆
講習が終わり、ノクトの家へと向かった。
預かった鍵を使い部屋の中へと入り、クーラーの電源を入れる。
≪部屋着いて、クーラー入れたからね〜!≫
≪おー。テキトーに寛いでて≫
≪終わったらすぐ行くね!≫
プロンプトとノクトのグループラインにメッセージを入れて、シギルは今日の講習のノートを見返した。
「やっぱりここわからない...イグニスに聞こう」
ソファに座りノートに夢中になっていると足元に温かいものを感じ、驚き視線を足に向けるとそこには懐かしい姿があった。
「アンブラ!」
ルナフレーナの元に居るふさふさとした黒い毛が特徴の見た目の犬で、いつもノクトとルナフレーナの手帳を運んでいる。
どこからどうやって来るか不思議だが、神の使いとして神凪の家系であるフルーレ家に居るのかもしれないとシギルは思った。
「久しぶりだね、懐かしいなぁ」
そっと手を伸ばすと耳を下げて触れる事に抵抗しなかった。
ふかふかとした頭の感触は昔と変わらない。
アンブラは撫でられている間、小さく揺ら揺らと尻尾を振っていた。
背中を見ると、手帳が括り付けられていた。
「ノクト...まだ帰ってきてないんだ。待てるかな?」
そう言うと少し離れたところで伏せをして、そのまま顔を手に付けて目を閉じていた。
手帳は必ずノクト本人に渡すのだ。
シギルはクッションをアンブラの傍に置いて一緒に寝そべった。
「アンブラ、ルナフレーナ様とゲンティアナ...レイヴス様は元気かな?あと、プライナも」
目を閉じているアンブラの横顔をそっと人差し指で撫でていると、眠気が襲ってきてそのまま意識が遠のいた。
◆
「シギル、綺麗な場所でしょう」
12歳の頃、両親と共にテネブラエを訪れた。
ここには3週間ほど滞在する予定で、王族であり神凪の一族であるフルーレ家が住まうフェネスタラ宮殿へと招待されていた。
広大な峡谷と森林に囲まれた都市で不思議な場所だったが、深く深呼吸をすると体がすうっと軽くなるような感覚がした。
とても美しく、シギルはずっと上を見ながら歩いていた。
時折鳥たちが鳴きながら行き交う姿はインソムニアでは見かけない光景だった。
「ようこそいらっしゃいました」
迎えに来た護衛兼案内人に連れられ宮殿へと入ると、元首であるシルヴァが笑顔で出迎えてくれた。
「初めまして、ルナフレーナ・ノックス・フルーレと申します」
シギルより4つ年上であるルナフレーナは16歳だった。
「は、初めまして...シギル・ウィンクルムと申します」
すらりとした高身長のルナフレーナを見上げながらシギルは挨拶をした。
にこやかな笑顔で出迎えてくれて、ふとルナフレーナの足元を見ると、2匹の犬が大人しく居た。
「アンブラとプライナと申します。シギル、後程一緒にお茶を飲みましょう」
シギルへと目線を合わせてしっかりと目を見て話すルナフレーナの瞳は、凛として芯の強い女性を思わせた。
「シルヴァ様とルナフレーナ様とお話をしてくるわね」
両親たちはそう言って大広間へと案内され、シギルは侍女に連れられ別室へと向かった。
「何か、必要な物があったら遠慮なく仰って下さいね」
侍女は深く頭を下げて部屋を出て行った。
室内は薄いブルーを基調とした落ち着く色合いの広い部屋だった。
ピアノがあり、壁一面には大きなガラス張りの扉が付いた本棚があり、色んな本が収められていた。
取っ手は美しい模様が施されていて、近代的というよりも宮殿に相応しい見た目の家具や室内模様だった。
天井まで届く大きな窓ガラスは部屋全体に丁度良い日光を招き入れ、気持ちが良い。
バルコニーへと出られるようで、そっと取っ手を押すと鍵はかかっておらずそのまま足を進めた。
「すごい...」
眼下には先ほど自分が通ってきた場所は勿論、美しい木々たちが生い茂り、駅が見えたりと絵本の中でしか見たことないような景色が広がっていた。
手摺がある目の前に大きな幹の樹齢何百年も経っているような木があった。
そこには不思議な色合いの実がなっていて、光の当たり具合によって表面が薄らと虹色のような輝きを放っているように見えた。
シギルは思わず手摺へと両膝を着く様な態勢で上り、すぐ手に届く実へと手を伸ばした。
丁度、掌に収まるほどの大きさの実を掴めて枝からもぎ取った瞬間
「わっ...!」
思い切り後ろへと引っ張られ体が浮いた。
誰かが抱え込むように自分を手摺から下し、支えられるように立っていた。
驚き斜め上に顔を上げると、左右の色が違う瞳と視線が合った。
「初めまして...シギルです」
一体何をしているんだ、と言いたげな表情だったがシギルはひとまず挨拶をした。
「あぁ、ウィンクルム家の...」
自分を抱きかかえ下した人物は、ルナフレーナの兄レイヴス・ノックス・フルーレだった。
レイヴスはシギルから腕を離し立たせると、片膝を付き屈んで手摺に上った時に付いた汚れを掃ってくれた。
「...ごめんなさい」
顔を下に向け小さい声で謝ると、レイヴスは立ち上がりシギルの頭を撫でた。
「令嬢としてはいかがな行動かとは思うが...これくらい元気があったほうがいい」
見上げると目を細め優しい笑顔を向けてくれた。
「シギル...お兄様!戻ってらしてたのですね」
ルナフレーナとアンブラ、プライナがやって来た。
「お茶の準備が整いました、皆で頂きましょう」
「あぁ。ルナフレーナ、あの実を幾つか取って剥いてもらってくれ。」
レイヴスは先程シギルが取った実が成っている木を差した。
「食べごろですね、とても甘くておいしいんですよ」
ルナフレーナは笑顔でそう言って手を引いて中まで連れて行ってくれた―。