episode 11
拾式

 舗装もされずに土がむき出しの超人墓場は足音さえも吸い込まれて、踏まれた落ち葉が破れる湿った音が微かにするだけだ。地上帰りの私は同じ遠征に行った同僚と鈍い灰色の空の下を一言も発さず歩いている。
 今回の下等超人との戦いは結果についてはもちろん私の勝ちだ。ここを歩いている私の存在が証明している。ただ、完璧超人である私が感情による超人パワーの増幅を土壇場の試合でやったことについて師匠であるサイコマンは何と言うだろうか。少なくとも褒められることは無い。数千年の付き合いはそれなりに正確なシミュレーションを叩きだす。本当に良くて追放、十中八九命は飛ぶだろう。とはいえ後悔も無い。勝つために必要だったからやっただけだ。悔やむべきはあの力に頼らないと勝てなかった自分の鍛錬の至らなさである。
 
「サイコマン様に報告に行く」
「達者でな」
 
 同僚は何とも言えない疲れ果てた目で私を見送る。彼も馬鹿ではないから私の行く末くらい分かっているはずだ。彼とも数百年以上の付き合いだが、気のきいた辞世の句など出るわけもなくただ一度手をあげて答えの代わりとしサイコマンの研究室へと繋がる道へと足を進める。結局、背後からもただの一言も聞こえなかった。
 
「ただいま帰還しました」
「おかえりなさい」
 
 サイコマンはサグラダファミリアの研究室で私を出迎えた。華奢なカップでそれはそれは優雅にコーヒーを嗜んでいる。入り口から一歩中に踏み込めば珍しくコーヒーの香りがこちらまで漂ってきた。いつもの定位置、サイコマンの座る椅子から少し離れた場所に私が立てば、ごくりと喉を動かしコーヒーを飲み込んだサイコマンは口を開いた。
 
「あなたは自分がやったことを分かっていますか」
「はい」
「申し開きは?」
「ありません」
「馬鹿正直な人とは思っていましたがこれほどとは」
「お言葉ですが後悔はありません。勝利に必要だと考えたのでやりました」
「後悔しているなどのたまったらどうしてくれようかと思っていましたが杞憂だったようです。ご自分の意志でやったということで間違いないですね?」
「はい。私の意思でやりました」
「……あなたまでもこんな醜態を晒すなんて随分こけにしてくれましたね!! よほど私にうらみでもあるのですか?」
「いえ、全く。ご恩はありますが恨みなど何一つ」
「大真面目なのも考えものです」
 
 突然声を荒らげたサイコマンは私の答えに勢いをそがれたのか俯いてはぁと大きく息を吐くと顔を上げた。弧を描くはずの口元はきっと結ばれていてそこんじょこらの超人なら卒倒するような威圧感だ。サイコマンが指をほんの少し動かしただけで野生の本能というべきものがここから逃げろとガンガンと警鐘を鳴らす。そんな私から目線を外すことなくサイコマンが机上に置かれていたスイッチを操作するとゴゴゴと遠くで何かが動く音がした。
 
「不肖の弟子の始末も師匠の仕事ですから」
 
 ◇
 
 まるで葬列のようだ。のろのろとひどくゆっくり階段を登るあいだ、ふといつか参列したそれを思い出した。あの時は訳も分からず黙って前を行く母だったか誰かの後ろをただずっとついて歩いた気がする。前を行くサイコマンの服は喪服というには白すぎるけれど、彼は私の喪主ではなく死をもたらす死神になろうとしているのだから白いのが案外あっているのかもしれない。何千年の命がもうすぐ終わろうというのに私の頭はとりとめのないことばかり考える。サグラダファミリアという完成しない教会がそういうことを考えさせるのか、人としての理を超えて不老不死となってしまったから死に対しての感覚も鈍っているのか、それとも直面するのが恐ろしくて現実逃避のために考えているのだろうか。いざ、死ぬ直前になれば何か分かるのかもしれない。
 ようやく視界の端に射した日光が意識を急激に現実へと引き戻す。ついについてしまった。何万年もの幾多の超人の血のしみ込んだ石のリングはいつ見ても背筋がピンと伸びる。するはずのないしみ込んだ血のにおいが私をいざなっているようだ。サイコマンは軽やかにリングに飛び乗ると早く来いと言いたげな目で私を見ている。
 正直リングの上で死ねるとは思わなかった。サイコマンは最後まで師匠として私を殺そうというらしい。破門にされた上に超人レスラーとしては恥辱の極みである場外での処刑が関の山だろうと思っていたが、どうやらサイコマンは破格の対応をしてくれるようだ。
 ……勝ち目はない。
 下等超人と連戦したばかりの私と、万全の完璧超人始祖のガチンコ殺し合い勝負。第一、数千年で星の数ほどスパーや模擬戦をしてきたがただの一度もまともに勝てたことがない。間違いなく殺される。それを骨の髄まで理解しているのに思考はひどく透き通っていた。やるべきことはただ一つ。リングにあがること。他の選択肢なんて存在の余地すら無い。私はサイコマンの弟子であり完璧超人なのだ。彼が私を不肖の弟子としてリングで処そうと言うのならば背中など絶対に見せられない。レフェリーも観客もセコンドもいない私とサイコマンだけの最初で最後の殺し合いは教会の鐘の音とともに始まった。
 
 ◇
 
「うめき声一つ上げない所は評価してあげます」
 
 鋭く飛んでくる蹴りやパンチといった基本技をいなして攻撃が最大の防御とばかりにガンガン攻めていく。体格で負けている私は押さえこまれた時点で勝ち筋の多くが消える。それゆえ絞め技に繋げられないように攻撃の手を休めることはできない。その戦法ゆえ、完全に体力勝負だ。そういうわけでどうあがいても数十分ほどが限界だった。ほんの一瞬の隙をつかれて捉えられ、ネックハンギングツリーで吊り上げられた全体重が首にかかる。人よりだいぶ頑丈な体が功をなしたのか、あだとなったのかひどい呼吸の苦しさはあれど意識だけははっきりしている。でも、どうしようもない。始祖の中でも随一を誇るサイコマンの握力を今ここでどうにかする手段なんて思いつかない。あと数分地獄の苦しみを味わうのだろう。下等超人にやってみせた超人パワーの底上げの兆しも感じないし、そもそもサイコマン相手にはおそらく出すことができない。あれは下等超人に弟子が負けたと聞かされるサイコマンのことを考えた気力でできたものだ。それをサイコマン相手に再現するのは不可能というのはやらずともわかる。そんな不確かなものに頼るしか無かった私はその時点で完璧超人として失格だったのだ。
 師匠を超えられなかった。それに関しては本当に申し訳ない。こんなにも目をかけてもらった割に今まで一度もダウンをとれなかった。
 
「突然しおらしくなって。地獄でのバカンスのことでも考えてらっしゃるんですか?」
 
 抵抗の力が弱まった私を前にサイコマンは小馬鹿にした笑い声をあげた。何か言い返してやろうと口を開いても絞めあげられた喉からは微かに空気が漏れる音しかしない。
 どうやら走馬灯というのは本当に見るものらしい。本格的に死を目前とした私の頭はここから脱出する未来ではなく過去に救いを求めているみたいで、数千年が一気に記憶を駆け抜ける。地上で怪獣退治をしたこと、完璧超人のうわさを聞いてためらいながらも海に入ったこと、ミラージュマンの試練、それからサイコマンによる毎日の指導。……そうだ。完璧超人の試合は相手の心臓の音が止まるまで続くのだ。逆に言えば心臓が止まるまでは何があっても試合を放棄してはいけない。完璧超人として失格の私でもその矜持くらいは捨てられない。今の私にできるか? どうやっても一発だけだ。
 三、二、一。思いっきりぶち込んだ膝が完全に油断していたサイコマンの顎に入る。少しだけ緩んだ拘束から蹴りの反動で抜け出し、後ろに飛びのいて距離を取る。
 
「私を本気にさせるのがお上手なことで」
 
 蹴りの勢いでのけぞったサイコマンが機械仕掛けと思うかのなめらかさで起き上がる。唇から垂れる口紅とは違う赤を手袋で拭う、嘲笑の微笑みすら消えたサイコマンがそこにいた。あの人が血を吐くのを初めて見た。完璧超人始祖と言えど血は赤いのだなと酸欠で回らない頭で考える。私をギリギリと睨みつけるサイコマンは下等超人を粛清する時の楽しそうな顔ではなく、ひどく冷たい目だ。
 
「馬鹿ですね。あのままでいたほうが楽でしたよ? せっかくの私の気遣いを無下にするなんて何でもかんでも血の気の多い人は損ですよ?」
「あんなネックハンギングツリーなんかじゃ死んでも死に切れませんから」
「ニャガニャガ! あなたがお望みなら。ええ、いいでしょう。やってさしあげますとも」
 
 サイコマンが動いたと認識した時には彼の気配は後ろにあった。ぜいぜいと酸素を求める体はよけろと命令を出す意識と裏腹に言うことを聞かない。抵抗の体力がほとんど残っていない私に簡単に馬乗りになったサイコマンがこちらを見下ろす。今ので腕は折れている。固められた足は変な方向に曲がっていて力が入らない。確かにさっきのまま呼吸苦だけで死んだほうがずっと楽だったかもしれない。
 
「いつまでその生意気な顔をしていられますかね」
 
 言葉だけ聞けば楽しそうな口ぶりだがサイコマンは全く笑っていない。嘲笑ってるのか怒っているのか、それとも呆れているのか。逆光でよく見えないが初めて見る顔だ。数千年生きてきて死ぬ数分前に初めて見るものがあるとは思わなかった。
 
「何かお言葉は? 一応は数千年のよしみです。なんでも聞いてあげましょう」
「地獄でまたやりましょうよ。何万年先でも待ってます。首洗って来てください」
「最後の最後で冗談が言えるようになるとは」
 
 冗談なんかじゃない。でもサイコマンは地獄になんか来ないか。眉間に何重ものシワを寄せ、サイコマンの手の力が強まる。今度は両手だ。さようならサイコマン、私の師匠。どうかお元気で。裏切り者の私に祈られるなんてきっとたまったものでは無いというだろうけれど。
 ゴキュ
 首のあたりから鈍い音がした。神経回路が強烈に痛みを訴え、叫んで地を転がりまわりたいのに喉は空気を通す一つの隙間もなく体の自由はとうに失われている。
 
「痛いですか? 痛いですよね。当然です。首の骨をいくつか折りましたから。でもまだ死にません。完璧超人として最低のことをしたあなたへの罰です。全くどうして自分から完璧を汚すようなことを……だから下等超人を迎え入れるなんて私は反対だったんですよ!!」
 
 あ、私じゃない人のことを見てる。サイコマンの瞳は地べたに這いつくばり指一本動かせない私を見ているはずなのに、多分サイコマンは私の向こうの誰かに話を聞かせようとしている。
 
「……やはり下等超人ではダメですね。私の結論を裏付ける材料としてはあなた、優秀でしたよ」
 
 後悔なんてないといったのは間違いだ。私はあそこで下等超人に負けて死んだほうがマシだった。数千年も師匠と慕った人が私のことをなんとも思っていなかったこと、私の存在がその心のほんの端っこにでもいると思っていたのに何にもなかったなんて知りたくなかった。私をリングで処刑したのは師匠としてというより実験の片付け位の気分だろう。そしてそれ以上にとんでもないことをしでかしてしまったという恐ろしさが私の心を支配した。何がまずいのかはよく分からない。でも、引き金を引いてしまったというのは理解できる。
 
「サイ……」
「もう結論は出たのでいいです」
 
 何か言わねばとどうにか声を絞り出そうとする喉に再び手がかけられる。
 ゴキュ
 今度こそ視界が回った。リングに広がった自分の血を認識するかしないかのあたりで私の意識もぷつりと切れた。最後に見たのは深海のような暗い目をしたサイコマンで、こんな顔を見たかったわけじゃないと凡庸な考えしか浮かばなかった。

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