episode 2
壱式
『支配には研究が必要である。
如何に力を持っていようと、
其れを扱う頭脳がなければ話にならない。』
一生の中で初めて下野というものをしたゴールドマンは、かつて完璧としての名を冠し、何物にも代えがたい調和を誇っていた『完璧超人始祖』組織への僅かな哀惜と共に地上を散策していた。
「己自身が地上の超人を先導する」
そう豪語して降りてきたからには妥協は許されなかった。手当り次第、又はその優れた直感を元に、ゴールドマンとしての矜恃に恥じない軍団を作り上げるのだ。
*
悪魔将軍と名を改めてから数ヶ月。地上は時の流れに併せて随分忙しく移り変わっていた。田舎臭くはあるが、生温い環境でもない此処では幾分かマシな人材も多く、順調に配下を増やしていく。だが、未だ『ゴールドマン』として呼称する者もいた。
大抵が悪魔将軍という人物を過度に軽視した物言いだったが、その超人は確かに敬意と崇敬を以て『ゴールドマン』を持て囃した。
あまり情というものに興味は出なかった。
ただ、力による心の支配と、心による力の支配。どちらが効率が良いかを確認するという名目で一種の休憩を取ったのだ。
その超人の名は知らない。戦闘センスは並。忠誠心は人一倍。
手始めに気絶させない程度にスパーを行い、それを理由に身近に付けた。馬鹿の一つ覚えのように喜び跳ねて、再度『ゴールドマン』への忠誠を誓ったその者の顔や態度をいくら眺めたとて、悪魔将軍には其れに可愛げというものを見いだせなかった。
「ゴールドマン様に栄光あれ!」
不快ではない。同時に、快でもない。
気色の悪いこの感覚は、師であるザ・マンが地上に干渉するようになった頃にも感じたものだった。得体の知れないものに割いている時間はない。悪魔将軍たりえる軍団を育てなければならない。
それでも、『ゴールドマン様』と呼ぶ声が飽きずに鼓膜を叩く。
心根に咲いたたった三文字の違和感がムクムクとその芽を開いていくのを感じた。終ぞ訂正してやることもなく、悪魔超人軍として名高い城を持つまでに月日は過ぎていった。
例の超人は相変わらず弱かった。力加減をするだとか、何パーセントの力で戦うだとかの話ではない程に弱かった。それは悪魔将軍や悪魔超人軍が日々成長するが故に生まれ広がっていった差ではあるし、例の超人には特別訓練も強いていなかったのだから急激に成長する訳もない。
ただ、物悲しいほどに闘う超人としてののびしろは見えなかった。だから、訓練をつける必要もなかったに過ぎなかった。
そもそも多少毛が生えた程度の力を持ったとて、悪魔将軍の『休憩』が終わればもう傍に付ける理由もない。所詮使い捨ての玩具以下でしかなかったのだから。
*
「ご、ぉるどまん、さま」
悪魔将軍がその超人の首を締めようと思ったのは、その超人が「首を長くして待っておりました」と言って、やけに甘ったるい洋菓子に火を灯して呑気にほけほけと笑っているのを見た時だった。
怒りでは、ない。その時の男の心境といったら何とも形容しがたい不快感に溢れていた。
ケーキと呼ぶ菓子の上、白い絨毯の上にぽつんと佇むカカオ製の板にはこう書かれていた。解せない黒い感情の全てがそこにはあった。
『ゴールドマン様に捧ぐ』
その文字列を咀嚼してやっと、追いついた感情がその者の首を掴み引きちぎろうとしていた。潰して、二度とその声でかの己を呼ばぬようにせんがために。呼吸を塞き止められて喘ぐ様に興奮するほど悪魔に染まったわけではないが、それでもいくらかの溜飲は下がる。
黄金色のかんばせを寄せて、悪魔将軍はようやっと声帯を震わせた。
「おまえは愛くるしいまでに脳が足りない。よって、わたしの求める軍団におまえの立つ瀬など無い。」
「、っ…るどまん、さまぁ…ったくし、めは、何か、…っ粗相、を…」
「嗚呼、愚図でも従順だったおまえのことはきっと忘れぬだろう。」
今更何を言おうが構いやしない。悪魔将軍の手に力がこもる。超人同士とはいえ圧倒的な力の差が、哀れにもその超人の死期を早めていた。
悪魔将軍には、その超人を辱める気も、虐める気も、ましてや苦しめて殺そうという気も無かった。ただ、消してやりたかっただけかもしれない。長年悪魔将軍に違和感を与え続け、遂には不快感として花を咲かさせた功績を称えてやりたかったのかもしれない。
男の頭の中でその超人をただ遠方に配属するという判断に至らなかったのは、過ごしてきた経験から此処《悪魔将軍の隣》以外ではとても生きられないような貧弱さを知っていたからのように思える。
しかし、それ以上にここまで一貫して『ゴールドマン』を崇拝した超人に対し、尽くすべき礼儀のような、果たすべき義務のようなものを感じた。
悪魔将軍にとっては、それが最もこの超人を殺し切るに至るに十分な理由だったのだ。
「忘れないだろうさ…」
親指の腹が触れた首の骨に、決定的なヒビが入る。
「おまえが、死に絶えるまではな!!」
豪奢な音を立てて超人の首は砕けた。同時に、悪魔将軍は手を離し、その身体を解放する。崩れ落ちた超人の首は、割れた骨が傷つけた血管から溢れる血で真っ赤に染め上げられていた。
人間であれば即死だっただろう。奇しくも、しぶとく生き残ることに関してのみ才能があったらしい超人は未だその双眸を悪魔将軍へと向けて打ち震えている。
類まれなる才がたった今発覚したとて、後の祭り。
あまりに無惨で無益な死に様に、雀の涙ほどの同情心が悪魔将軍の背中を押した。
「最期に教えてやろう。
おまえに足りなかったのはただ一つ。わたしへの忠誠心だ。」
そう言葉を吐けば、死に体のままの超人は目を見開く。
冒頭あたりで記述したように、力も権力もないこの超人の唯一の取り柄は人一倍ある忠誠心だった。それを悪魔将軍も認めていたから、これまでの月日がある。今更それを否定されて、途方もない絶望感が超人を足先から冷やしていく。
そんな様子を見下していた悪魔将軍は、言葉の分からなくなった生き物を愛でるように、鼻で笑ってその腹を踏みつけた。
「わたしの言葉の何処か間違っている? おまえは言った筈だぞ、『ゴールドマンに栄光あれ』、と。」
悪魔超人軍に属する者なら、知らぬはずもない。この超人も例外なく、『ゴールドマン』は『悪魔将軍』であることを知っていた。ただ、その逆も然り。超人にとって、あの日初めて見た瞬間から忠誠を誓った『ゴールドマン』はあの日のままだっただけだったのだ。
同じであるから、着いてきたのに、と。
超人の目尻に浮かんだ水に、悪魔将軍はなんの感慨もなく手を伸ばした。
「まだ分からないようだな。想像の通りだ。」
「おまえはどこまでも、わたしの癇に障る。」
硬い皮膚がその眼に触れる。
ぷちゅ、と水っぽい音を立てて指先が眼球の傍を滑った。頭蓋を鷲掴むようにして、悪魔将軍がその首を―――――引きちぎった。
「しかと聴け。」
「此処にいるのは『ゴールドマン』ではない。
悪魔超人軍を率いる、『悪魔将軍』だ。」
*
血潮が飛び散る部屋の中、呼びつけた悪魔超人にその肉塊の処理を任せた。見覚えのある顔の無惨な姿に目元をひくつかせる様子をよそに、悪魔将軍には一切の後悔も愛惜も無い。
『力による心の支配』
研究の結果判明した、何よりも己に向いているものとして。
心中の記帳にそう書き付けたのだった。
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