episode 3
弐式
――自分はもう、とっくの昔に血を浴びることになんの抵抗もなくなってしまったのだな、そんなことを彼は今更ながら考えた。
「はあ」
白銀色の顔に、西日を浴びながら彼……シルバーマンは小さくため息を漏らす。足元にはひとつ、首があらぬ方向に折れ曲がった死体が転がっている。彼は再び小さくため息を漏らすとそれの足首の部分を乱雑に掴み、引きずるように歩き出す。何度、こういう事があったろうか、こちらが優しいうちに目の前から消えてくれれば、こうして痛めつけてしまうこともないのに、どうしてそうしてくれないのだろう。そんなことを考えながら、西日に背を向けてシルバーマンは黙々と歩みを進めていった。
……下野し、弟子たちを育て始めてからそれなりに経つ。その過程で、夜を共にする女性も何人かあった。自分の教えをずっと未来の子々孫々まで伝えるために、子を遺しておくのは有用なのではないかと考えたのもある。当然ながらきちんと同意は取っているし、生まれた子はきちんと認知している。野心を持って自分に近づく女がいないわけではないが、むしろむき出しにして来てくれる方が割り切った関係を構築するうえでは楽だった。しかし。
(なぜ取り繕って僕に取り入ろうとするんだろう)
引きずるその骸を見下ろしながら、シルバーマンはまたひとつため息を漏らす。彼女が彼の傍に現れるようになったのは数ヶ月ほど前からだ、弟子のひとりが暴漢に襲われているところを助けたのだという。礼をしたいと言って、いつのまにかシルバーキャッスルに居着いて端女のように働いていた彼女は、ある日こう告白した。
「私、知っているんです。あなたがどんなに素晴らしい方かって、どんなに素敵なお方かって」
そう言って自分を見つめる目は輝いていて、シルバーマンは困惑した。そして、本能的にこれはなにか打算があるなと直感した。
「あなたは、私の事をどう思いますか?」
「どうと言われても」
シルバーマンの言葉に、彼女は少し悲しげに目を伏せた。そして、こう続けた。
「……私では、あなたのお傍にいるには不足でしょうか?」
ああ、またか……と、シルバーマンは内心舌打ちした。またこうして自分を慕って寄ってくる女がいた。
「私は、あなたの事をお慕いしているんです」
彼女はそう言ってシルバーマンの手を取る。その細い指は震えていた。
「どうか……私では駄目でしょうか?」
彼女の目は潤んでいて、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。その目と、自分の手を包み込む彼女の手を交互に見ながらシルバーマンは考える。野心や目的があるのなら、それを話せばいい。それで自分が協力できることがあるのなら、微力ながら力を貸すだろう。だのに、こういう手合はなぜ自分を偽るのだろうか。
(まるでガンマンみたいなことを考えているな)
我ながら笑ってしまう、別にうわべを取り繕うのが悪いとは思わないけれど、内にある野心を薄っぺらな善意で覆うのは意味があるのだろうか? そう思いながらも、シルバーマンは自分を見上げる彼女の顔を見ていた。その顔が歪んで見えるのは、逆光による影のせいだろうか? それとも。
「……なにか目的があるのならそう言ったらどうだい? 僕はそういうところを取り繕われるのはあまり好ましくない」
なるべく優しく言ったつもりだったが、言葉の端に棘を感じて彼女は途端に怯え始める。
「目的などありませんわ! ただ……私は」
そう言って再び自分の手を握り込んだ彼女の指は、やはり震えている。シルバーマンはその手を振り払うこともせず、そのままにさせていた。
「ただ、あなたの傍にいたいのです」
そう呟く彼女の目は、やはり悲しげだった。しかし、その目の奥になにか別の感情が宿っているのをシルバーマンは見逃さなかったし、それは自分が今まで何度も見てきたものだったからすぐに分かった。
「欲しいものは何? 私の正妻の座、とか? それとも……」
シルバーマンの声は、変わらず優しかった。優しかったが、底冷えするような冷たさを孕んでいて、彼女は思わず身震いする。そして、いつの間にか彼の手は彼女の首に添えられていた。
「それとも、僕自身かな?」
シルバーマンの指は、彼女の首にゆっくりと食い込んでいく。彼女は苦しげな呻き声を上げながら彼の腕を引っ掻くが、彼はそれを意に介する様子もない。
「私はね、別になにか求めるものがあって、その手段として私を利用する……ってことを隠さないなら、割り切って相手をすることもできたんだよ? だけど君はまるですべて私のためというように偽って、自分の欲を満たそうとする。私はそういうのが大嫌いだ」
彼女は苦しげに呻くだけで何も答えられない。首から上の顔は既に真っ赤になり、今にも破裂しそうだ。
「自分に素直な人間なら、私はそれをそういうものだと受け入れてあげられたのに……どうしてそんないい人ぶるんだろうね?」
シルバーマンは冷たく微笑むと、更に指に力を込めた。彼女はもう声すら上げられず、ただ苦しげにもがくだけだ。そして、とうとう彼女の体が痙攣し始め、その目から光が失われていくのを彼は静かに見つめていた。
(ああ……)
またやってしまった、と彼は思った。別に自分は加虐趣味があるわけでもなければ、殺人嗜好があるわけでもない。しかしなぜかこういう手合は自分にすり寄ってきて、そして自分のためにと言いながら自分を利用しようとするのだ。先述した通り、彼はその野心を隠さずに寄ってくる相手なら自分も上手く利用していける。しかし。
「残念だよ」
その言葉とともに、女の首の骨が嫌な音を立ててひしゃげ、同時にぶちっと首がちぎれて血が吹き出す。その血が、シルバーマンの顔を濡らしていった。
(……結局、慈悲の心というのは僕に宿らないのかもしれないね)
そう自嘲しながら、彼はその骸を崖の下へと放り投げた。
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