002 偽りの出会い
大学を出たあと、閑散とした商店街を進んでいると唯からメールが届いた。「ちゃんと昼飯食えよ」とほとんど手付かずのトレーを持って立ち去った私を心配してか素っ気ないながらも優しさに溢れたメールに唯らしいなと苦笑を浮かべる。

「そうだ…有希子ちゃんにもメールしなきゃ」

思い出したように今日の帰りに工藤家に寄ってもいいかとメールを送信するとすぐに絵文字いっぱいの可愛らしいメールが返ってきた。美味しいごはんたっくさん作って待ってるからねとハートマークがいくつも重なったメールを見て思わず笑みが漏れる。ちらりと腕時計を見れば時刻はまだ午後2時過ぎ。お昼時を過ぎた商店街は人もまばらでどのお店も混み合っている様子はない。工藤家に向かうまでお茶でもしていようかな…なんてのんびりと考えていたその時だった。

「ッ……!」

急にドクンッと激しい動悸に襲われ胸のあたりを押さえる。

商店街の大型モニターに流れる午後のニュース、国会議事堂から出てくる政治家の男の顔を見た瞬間、まるで昨夜のメールを開いた時のように次々と知らない映像が脳内に溢れる感覚に見舞われた。この政治家のことなんてまったく知らないはずなのに住所、名前、年齢、電話番号まで頭に流れてくる。

「なに…これ…」

ぐらりと揺れる視界に思わず近くの電柱に手を伸ばした。知らない、こんな記憶知るはずもない。まるで他人の頭の中を覗き見ているような感覚に吐き気に近いものが込み上げる。最後に脳裏に浮かんだのは男が黒いスーツを着た男たちと怪しげな取引をしている現場だった。

今すぐこの場から離れたくて片手で顔を覆いながらふらふらと歩き出す。狭い路地から商店街を抜けて車道に出た瞬間、けたたましいクラクションとブレーキ音の前に晒された。もう少しで車体と接触するというギリギリのところで止まった車に思わず腰が抜けてその場にへたり込んでしまう。一拍半置いて車から降りてきたのは黒いニット帽を被った若い男だった。

「大丈夫か?」

近づいてきた男に声を掛けられているのはわかったが、立て続けに起きたショックな出来事に私は完全に放心していた。瞬きも忘れてあらぬ方向を呆然と見つめる。

「おい、しっかりしろお嬢さん…」

ぺちぺちと軽く頬を叩かれてようやく私の顔を覗き込むように跪いていた男に視線を合わせた。

「怪我はないか?」
「あ…はい…すみません、わたし…」
「無理をするな。病院へ送っていこう」
「いえ、もう大丈夫なので…」

おかまいなくと立ち上がろうとしたがうまく足に力が入らない。再びへなへなとその場に崩れ落ちそうになったところを男の逞しい腕に抱きとめられた。

「大丈夫なようには見えないが」
「いえ、ほんとに…少し休めば大丈夫なので…」
「だが顔色があまりよくない。病院が嫌ならあそこのカフェで休んでいかないか?お詫びにコーヒーでも奢らせてくれ」
「は、はぁ…」

男はお詫びに、と言ったが不用意にも車の前に飛び出したのはこちらの方だ。にも関わらず怒るどころか心配した様子の男に申し訳なくなりその申し出を受け入れた。徐々に落ち着きを取り戻しながら目の前の顔をちらりと見上げると目つきは悪いが随分整った顔立ちをした男だった。どこか陰りのあるその翡翠の瞳から感情は読み取れない。



***



「俺の名前は諸星大。東都大学の工学部で院生をしている」

男が入った店はカフェと呼ぶには少し年季の入った雰囲気のある喫茶店だった。ちょうどお昼時を過ぎた時間帯、まばらに空いていた席の中で窓際の隅にあるテーブル席に選んだ男はジャケットから煙草の箱を取り出しながら自己紹介をした。

「え…それじゃあ私の先輩ですね」
「ほー、では君も?」
「はい、法学部の四年です」

同じ大学の学生だと知っただけで不思議と親近感が湧いた。どこか日本人離れした諸星さんの姿は一度でもキャンパス内で見かければ忘れそうにないだろうと思ったが記憶にないのが少しだけ不思議だった。

「どうだ、気分は落ち着いたか?」
「はい…さっきは突然車の前に飛び出したりしてすみませんでした」

ぺこりと頭を下げると諸星さんはいや…と今時珍しいマッチで煙草に火をつけながら顔をあげた。

「こちらも不注意だった。しかし君は随分と何かに動揺していたようだが」
「え…は、はい…最近、どうも体調が悪くて…」

先ほど起きた謎の現象を正直に話したところで変な奴だと思われるに違いないと誤魔化すように苦笑いを浮かべると諸星さんは私の顔をじっと見つめてきた。どこか探るようなその眼差しに思わず視線を彷徨わせる。

「あの…諸星さん?」
「よければ君のことを聞かせてくれないか?」
「へ…」

思ってもみない言葉に大きく目を見開く。諸星さんは自分の顔面レベルを理解していないのか君のことがもっと知りたいだの、君に興味があるだのと恥ずかしげもなく言ってのけた。ここはアメリカか、と突っ込みたくなったが私はまんまと絆された。さっきまでパニックになりかけていたことなどすっかり忘れて思いつく限り自分のことを話した。

「ほぉ…兄が一人いるのか」
「はい、世界中を飛び回ってて滅多に…というかほとんど帰ってこないんですけどね。自由気ままなものですよ。妹を幼馴染の家にあずけたまま自分は遊びまわってるんですから」
「なるほど、な…」

大学の単位は粗方取っていることや、興味本位でとった語学の授業について話したあと、家族について聞かれたので兄のことを話すとふと諸星さんは真剣な顔つきで考え込むような素振りを見せた。顎に手をあてたままじっと目の前のコーヒーを見つめる姿にしまったと口を噤む。こんな話、面白くなかったに決まっている。

「あの、すみません。私のことばかり話してしまって…」
「いや、君のことを聞きたかったんだ」

ストレートに、何かで射抜かれるような視線に私は無意識に頬を赤く染めた。本当に日本人なのかな諸星さん。そんな疑問が湧き上がる。

「それで、お兄さんから連絡がきたのは昨日が最後だったのか?」
「え…」

そんなこと話したっけと首を傾げたが諸星さんがあまりにもナチュラルに聞いてくるものだから気にすることなく続けた。

「ああ、はい…珍しく連絡してきたと思ったらわけのわからないメールを…」

昨日届いた奇妙なメールについて会ったばかりの人に話すべきか迷っていると突然、窓ガラスごしにダンッと激しい音が響きわたり顔を向ける。
私たちが座っていた席の真横のガラスに張り付いていたのはさっきまで大学のラウンジで一緒にいた二人組だった。

「ま…松田さんに萩原さん!?」

べたりとガラスに張り付いてこちらを見下ろす二人の何かを訴えるような視線に思わず引きつった笑みを浮かべる。これはあれだ、お前本当に彼氏いたのか…という顔だ。

「あ、あの…すみません。大学の知り合いが…」
「邪魔が入ったな」
「え…」
「いや、もし君さえよければ明日昼飯でも一緒にどうだ?」
「私とですか?」
「他に誰がいる…」

スマートに伝票を持って立ち上がった諸星さんはわずかに口角をあげてこちらを振り返った。不覚にもその笑みに再び胸を射抜かれる。あまり感情を露わにしない男前が笑うとここまで威力があるのかと私は胸を押さえたまま数秒固まった。かっこいいなちくしょう…

「あの、そしたら明日は私に奢らせてください」

会計を済ませた諸星さんの背中を追いかけるとやっぱり穏やかな笑みを向けられる。これはもしかしなくても初めて彼氏ができるチャンスかもしれないとそんな期待につい頬が緩む。

店を出ると諸星さんと連絡先を交換して別れた。家まで送っていこうかという申し出はやんわりと断りどこまでも紳士な背中を見送る。連絡先を交換しているあたりから痛いほどに視線を感じていたが彼の姿が消えるとタイミングを見計らったかのように松田さんと萩原さんがが駆け寄ってきてそのまま首に腕をまわされぐえっと変な声がでる。

「なーにが出会いがないだ…詳しく聞かせろよ?」
「ぜったいに嫌!二人に言うとすぐにみんなに広まるんだから…」
「俺を萩原と一緒にするな」
「おい、どういう意味だ松田!」

ぎゃあぎゃあとうるさい二人に囲まれてため息をついていたが、ふと視線を感じて顔を上げた。諸星さんが消えた先、商店街に続く薄暗い路地には誰の姿もない。しばらく小首を傾げていたが松田さんの「これは降谷に報告案件だな」という恐ろしい発言にすぐに意識は奪われた。見れば手先が器用な彼はさっそく何かを携帯に高速で打ち込んでいて真っ青になる。

「やだ…松田さんメール打つのはやいはやい」
「降谷、驚くなよ。ついにナマエに彼氏ができたぞっと…」
「ちょ…ほんとにやめて!」








────その時の私は知らなかった。

別れたばかりの男がじっとこちらを観察しながら手首の時計に隠された通信機で誰かと連絡をとっていたなど。

「計画通り、ターゲットとの接触に成功…」
『奴らも動くかもしれん。明日にでも保護を』
「もし彼女が逃げるようなことがあれば?」
『可哀想だが奴らの手に渡る前に始末するしかないな』
「了解…」

ピッ…と電子音と共に通信を切った男は再び賑やかな学生たちに視線を向けると薄暗い路地の奥へと消えていった。


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