003 幼なじみ
兄が消え、幼馴染の有希子ちゃんの家に預けられたのは10歳の頃。

突然、何も告げずに消えた兄に毎日泣いて過ごしたが、そんな時いつもそばにいてくれたのは有希子ちゃんだった。当時、女優として数々の賞を受賞していた有希子ちゃんの姿は眩しかったけどそれ以上にマイペースで明るい有希子ちゃんが大好きだった。だから突然結婚を機に芸能界を引退した時も彼女らしいなと私は応援した。
優作さんと結婚した後も、このままナマエを藤峰家にはおいてはいけないと有希子ちゃんは私の面倒を見てくれた。新一が生まれてからは本当の弟のように可愛がったし工藤家は私にとってもう一つの家族になった。

「この家を出てもう3年かぁ…」

久しぶりに訪れた大豪邸を見上げる。

大学に入ると同時に一人暮らしを始めたけど当時は有希子ちゃんを筆頭にだいぶ揉めた。一番驚いたのは新一が珍しく泣きじゃくって反対したことだ。絶対に認めないとあれやこれやと策を講じていたのが懐かしい。私もみんなと離れるのは寂しかったけどいつまでも迷惑をかけるわけにはいかなかった。

「もう、ナマエってば随分久しぶりじゃない。なかなか顔を見せないからこっちから押しかけようと思ってたのよ」
「ご、ごめん有希子ちゃん。最近忙しくてさ…」
「あら、もしかして彼氏でもできた?その辺詳しく教えなさいよ〜?」

玄関の扉を開けるのと同時に有希子ちゃんはすごい勢いで出迎えてくれた。ようやく彼氏の一人でもできたんじゃないかと疑う有希子ちゃんに笑って誤魔化しているとタイミングよく優作さんがリビングから出てきた。

「こらこら、有希子…ナマエが困ってるじゃないか。玄関で話し込んでも仕方ないだろう」
「それもそうね。さぁ、はやくあがって…今日は泊まっていけるんでしょ?今日だけじゃなくてずーっといてもいいんだからね」
「もう、有希ちゃんってば…」

相変わらずな有希子ちゃんに思わず笑みが漏れる。やっぱりここに帰ってくると自然と笑顔になるな…なんてそんなことを考えながら靴を脱いでいるとあることに気づいて足を止める。いつもだったらすぐに顔を見せるあの子がいない。

「…あれ、そういえば新ちゃんは?」
「それがねぇ、あの子ってばまた…」

有希子ちゃんが困ったようにため息をついた瞬間、背後のドアが静かに開いた。ただいまもなしにそろりと入ってきた姿から察するにこっそりと帰ってきたつもりなのだろうけど、さっきまでニコニコ笑っていた有希子ちゃんの顔が鬼の形相に変わった。

「こら、新一!一体、何時だと思ってるの!」
「わっ、忘れ物を取りに…って母さんに父さんに…ナマエ姉ちゃんまで!?」
「新ちゃん久しぶり」

ひらひらと手を振ってみると新一の顔はわかりやすく歪んだ。もう子供じゃねぇんだから新ちゃんはやめろよと不満が漏れたが、私にとってはいつまで経っても可愛い弟なのだとその小さな体をぎゅっと抱き締め久しぶりの再会を喜んだ。



***



工藤家での食事は楽しくてあっという間に時間は過ぎていった。優作さんの次回作の話や新一がナイトバロンシリーズを読破したこと、有希子ちゃんが久しぶりにファンに話しかけられたことなど話題は尽きなくて楽しい時間はいつまでも続くと思われた…のだが、ソファに移動して食後のコーヒーを楽しんでいる頃、一本の電話がリビングを凍りつかせた。

「…うんうん、わかった。いつもごめんねぇ、えりちゃん。おやすみ」

ピッと電話が切られたのと同時に新一はそろりと逃げ出そうとしていたがすぐにその首根っこは掴まれた。えりちゃん、ということは新一の幼馴染である蘭ちゃんのお母さんから電話がかかってきたのだろう。

「こーら、逃げられると思ったら大間違いよ!蘭ちゃん連れて今度はどこに行ってたのかなぁ?」

全部ゲロするまで寝かさないわよと詰め寄る有希子ちゃんに新一は顔を真っ青にして首を横に振ってみせた。

「だ、だから言っただろ。忘れ物を取りにって…」
「それで答えになってると思ってんの」

ぐりぐりと米神に拳をねじ込まれる新一の姿を見てそういえばこんなことが前にもあったなと苦笑が漏れる。その時も幼馴染の蘭ちゃんを連れて夜の小学校に忍び込んだ新一は有希子ちゃんにこっ酷く叱られたのだ。事件の気配がするとすぐに首を突っ込んでしまう新一の好奇心旺盛な性格は相変わらずのようだ。

「まぁいいじゃないか二人とも…今回も無事に帰ってきたんだし。それに今日はせっかくナマエが来ているんだから…」

な?と微笑まれて思わずうなづく。新一はこのチャンスを逃すものかと有希子ちゃんの腕から飛び出すと私の背中に隠れた。有希子ちゃんはまだ納得していない様子で頬を膨らませていたけど最後はきまって笑顔に包まれる。久しぶりに訪れた工藤家は相変わらず賑やかで、心落ち着く場所だった。




「えっ…本当に帰っちゃうの?」
「うん、ごめんね。明日は朝から授業もあるし…また泊まりにくるからさ」
「絶対よ?」
「うん…約束する」

残念そうに肩を落とす有希子ちゃんに後ろ髪を引かれる思いがしたが明日は朝から授業が入っていたし、今日出会ったばかりの男前との約束もあるため帰って服を探さなければならないわけだが、そんなことを有希子ちゃんに話せばお泊まり確定なので固く口を噤んだ。玄関で靴を履きながら次は必ず泊まりにくるからと約束するとそのまま出て行こうとして慌てて引き止められる。

「それにしたってこんな時間に一人で帰るなんてダメよ。今、車まわしてくるから待ってて」
「大丈夫だよ、ここからアパートまで遠い距離じゃないし…それに歩いて帰りたい気分だから」
「ナマエ…」
「なら、オレが送っていってやるよ」

有希子ちゃんの背後からひょっこりと現れた小さな名探偵に思わず新ちゃん!と声をあげる。驚いた様子の私に新一は得意気に笑ってみせたが、ダメダメと思いきり首を横にふる。

「こんな時間に子供の新ちゃんが出歩く方が危ないでしょ」
「バーロー俺はもう子供じゃないっての。…なぁ、母さんいいよな?」
「そうね、新一…しっかりナマエを送り届けてくるのよ?」
「わあってるよ…」

そう言うと新一はそそくさと靴を履き始めた。こうなるとこちらが何を言っても無駄だとわかっていたので諦めたように肩を落とす。よく見ると新一の靴は一回りばかし大きくなっていたし以前より背も伸びているように見える。いつの間にかすっかり頼り甲斐のある背中に成長した弟の姿にどこか感慨深い気持ちになって小さく息を吐き出した。兄も今の私を見たら成長したと思ってくれるだろうか…なんてことを考えて思い出したように有希子ちゃんを振り返った。

「あ…そういえば、お兄ちゃんから何か連絡あった?」
「昴ちゃんから?特にないけど…」
「そっか…そうだよね…」
「大丈夫、そのうちまたけろっと顔をだすわよ」
「うん…ありがとう有希子ちゃん」

有希子ちゃんの笑顔には昔から心が落ち着く不思議な力があった。見慣れたその笑顔に今日一日胸の内を支配していた嫌な胸騒ぎも少しだけ和らいだ気がして今度こそ笑って工藤家を後にする。

兄が誰よりも信頼している有希子ちゃんにも連絡がないということはやはりあのメールは何かの間違いだったのでは、とそんな風に考えながら歩き出した。



***



月明かりとわずかな街灯だけがあたりを照らす夜道を進む。こんな風に新一と並んで歩くのは随分久しぶりで、学校やテストのことを話しながら進んでいたけど新一の口から出てくるのはほとんど蘭ちゃんのことばかりで思わず声を出して笑ってしまった。

「相変わらず蘭ちゃんと仲良しなだね」
「なっ…あいつが勝手についてくるだけだよ」
「ふーん?」

少しだけ頬を赤くしてそっぽを向く新一にやっぱり笑みが漏れる。二人は小学校にあがるまでいつも一緒にいた仲良しだ。

「幼馴染かぁ…」

すぐに零と唯のことが頭に浮かんだ。だけど私たちは新一と蘭ちゃんみたいな仲の良い幼馴染ではなかった。お互い預けられた家に遊びに行ったことはないし、中学まで学校も違ったから頻繁に連絡をとっていたわけでもない。14年前の事件をきっかけに強い絆で繋がってはいるけど、子供特有の楽しい思い出なんて一つもなかった。いつも集まっていたのは互いの住む家の中間地点にある図書館。休みの日には朝から晩まであの事件について調べてたっけ。普通の幼馴染だったら私たちも新ちゃんと蘭ちゃんみたいな関係になれたのかな。

…なんてそんな風に考えてしまう自分に苦笑が漏れる。少し先を歩いていた新一がそれに気づいて怪訝な顔で振り返った。

「なんだよ、突然…」
「ううん、ちょっと昔のこと思い出してさ…」
「昔のこと?」
「そういえば新ちゃん、昔はナマエ姉ちゃんと結婚するんだーって言ってたのに、今じゃそのポジションはすっかり蘭ちゃんだもんね」

寂しいなぁ…と考えていたことを誤魔化すように泣き真似をしてみれば新一の顔は一瞬にして赤く染まった。

「だ、だから蘭とはそういう関係じゃ…」
「ねぇ、新ちゃん覚えてる?私のこと昔はアイリーンみたいだってよく言ってくれてたでしょ」
「ああ、そんな時期もあったな…確か父さんが出す推理ゲームの答えを毎回俺より先に当ててからで…」
「…あれね、実は私の幼馴染の入れ知恵だったんだ」
「はぁ?」

突然のカミングアウトに新一は驚いたように足を止めた。工藤家にいた頃、優作さんが私と新一を楽しませようと時々出していた推理ゲームという名のなぞなぞ。いつも新一より先に答えにたどり着く私を新一はキラキラとした瞳で見上げては当時から好きだったシャーロック・ホームズに出てくるアイリーン・アドラーみたいだと言ってくれたものだ。それが嬉しくて私は何度も同じ人に協力を頼んでいたのだ。もちろん優作さんは気づいていたみたいだけど。

「もっと大きくなったら種明かししようと思ってたんだけどねぇ…」
「そういうしたたかなとこ、やっぱナマエ姉ちゃんはアイリーンだよ…」

ハハ…と、乾いた笑みを浮かべる新一に有希子ちゃん仕込みの笑顔で返す。

「あ、この辺でいいよ。これ以上送ってもらったら今度は新ちゃんが心配になっちゃうから」
「わかったよ…」

小さなボディーガードにお礼を言って歩き出そうとすれば、新一はふいに真剣な表情で私を呼び止めた。

「なぁ、ナマエ姉ちゃん、さ…」
「うん?」
「警察になるのやめたって本当?」

その言葉に大きく目を見開く。今日工藤家で一度も出なかった私の進路の話。みんなおそらく心配してくれているのにあえて言葉にすることはなかった。その心遣いに心から感謝していた。こうして気になって最後の最後に聞いてくる新一の優しさを含めて。

「うん…私にはなんだか違うなって思ってね」

そう、零たちとは違うと気づいてしまったから。

「そっか…」
「新ちゃん、蘭ちゃんをしっかり守ってあげてね」

それだけ伝えると今度こそ新一に背を向けて歩き出した。私たちのように、すれ違うことのないように、二人には幸せになってほしいからと心から願いながら。


1/8
prev | next
back