007 いつか交差する
ここで死んでもらうと言った赤井さんの顔はどう見ても冗談を言っているようには見えなかった。淡々とこれからの国外逃亡についての計画を説明する彼は、まるで旅行のスケジュールでも伝えるかのように簡潔に言葉した。

「本来であれば証人保護プログラムを勧めるが、今回ばかりはそうはいかない。君の頭に落とされたデータは我々FBIも喉から手が出るほど欲しいものなんでね」
「そ、そんな…国を出るって日本を出るってことですか?」
「ああ…」
「無理です…大学だってあるし」

命が関わっているこの状況で、そんなのどうでもいいだろうと言われるかと思ったが、意外にも赤井さんはそうだな…と初めて顔を曇らせた。

「できれば大学は卒業させてやりたかった。スバルは…彼は妹を大学に行かせるとはりきっていたからな」

赤井さんの口から出た兄の名前に大きく目を見開く。

「赤井さんは…お兄ちゃんのこと知ってるんですか?」
「ああ、新人の俺に色々と教えてくれた人だ。日本人らしい真面目な男だった…」

無意識に涙がこぼれ落ちる。遊んでいるように思えた兄は時々、大金を送ってきた。ラスベガスで一山当てたとか株で儲けたからとかどれもふざけた内容だったけど、本当はFBIという組織の中で危険を冒しながら稼いでいたお金だったんだと今更ながらに思い知らされる。

「残念だが大学は諦めろ…君が生きていると奴らに知れれば命の保証はない。それは彼の望むところではないだろうからな」

そんなのはわかっていた。自分が今置かれている状況はただごとではないし、兄の安否も気になる。この男について日本を出るのが一番の選択だとわかってはいたけど…

だけど…
頭に浮かんだのは昨夜の余裕の無い顔をした幼馴染の姿で、固く拳を握りしめる。

「やっぱり私、行けません…」
「なぜだ…」
「幼馴染と約束してるんです。彼のそばから離れないって…バイバイって絶対に言わないって」

それはもうずっと昔の約束。零はすっかり忘れてしまっているかもしれないけど、それでもあの約束だけは破るわけにはいかなかった。そんな私に赤井さんは困ったように眉根を寄せた。

「このまま君が残れば周りの人間にも危害が及ぶかもしれないんだぞ。その彼にも、君がこれまで世話になった家にも、だ」
「え…」

すぐに工藤家の皆が浮かんだ。いつもあたたかく迎え入れてくれた大好きな人たち。幸せそうに笑う有希子ちゃんにいつも寄り添う優作さん、いつの間にか成長していた新一の背中。あの温かな家族だけは壊してはいけないと、ぎゅっと両手を握り締める。

「少しだけ…時間をもらえませんか?」
「君は……今がどれだけ差し迫った状況かわかっているのか」

無理を言っているのは分かっていたが、それでもこのまま黙って行くわけにはいかない。

「5分…いえ、3分だけでいいんです…」

お願いします、と縋り付くように見上げると赤井さんはどこか呆れたように息を吐き出した。そして諦めたように胸ポケットから自分の携帯を取り出す。

「そんなに辛いなら別れを告げることを許してやる。ただし、この先の計画が知られるような発言だけは控えてくれ」

そう言って差し出された携帯を受けると胸の前で祈るように握りしめた。同じように海水に浸かったにも関わらず電源が入っているのはFBIのものだからだろうか。ようやく出た車道にポツンと設置されていた自販機に新しい煙草を買いに行ったであろう赤井さんの背中を見送るともう何度もかけているよく知った番号を震える指で押していった。

────もうすぐ日は沈む。打ち寄せる波も砂浜も、あたり全てをオレンジ色が支配する中で耳に当てた無機質な携帯から聞こえるコール音だけがやけに耳の奥に響いた。

はやく、はやく出て…お願い…。

「………はい、」

知らない番号からの着信だったからか零は何度目かのコール音のあと、警戒したような声で出た。それでも聞き慣れたその声にほんの少しだけ泣きそうになる。

「零…?」
「ナマエか?お前…番号変えたのか?」
「ううん、知り合いの人の携帯を借りてて…」
「ああ、そういえばデート中だったな」

松田から聞いた…と、そのいじけたような声にさっきまで泣きそうだったのも忘れて少しだけ笑ってしまった。だけど本当は今にも声が震えそうになるのを必死に堪えていた。それが電話の向こうにまで伝わらないようにと、ほんの少しだけ携帯を離すと気づかれないように深呼吸をする。

「零、あのね…わたしも見つけたよ」
「見つけた?」
「うん、この前聞いたでしょ。お前に自分の進むべき道はないのかって」
「ああ…あれか…あれなら俺は…」
「私も自分の運命から逃げないって決めたから」

本当はずっと気付いていた。自分自身から逃げていることに。そしてそんな弱い自分を零や唯にだけは気付かれたくなくて誤魔化し続けていたことも。もし今回の事件が零たちが解明しようとしている過去に繋がるのなら、私ももう逃げたりはしない。逃げるわけにはいかない。

「零みたいに頭がいいわけでもないし運動もダメだし…自分に何ができるかわからないけど…」

目の前で煙草を吸う赤井さんをちらりと見上げると自分の腕時計を叩いて時間だと合図してきた。

「それでも出来ることはやろうと思うから…」
「おい…」
「約束どおりバイバイは言わないよ」
「なんだよ突然…」
「零は絶対、すごい警察官になれるって…信じてるから」
「本当にどうしたんだよ…熱でもあるのか」
「いいでしょ、たまにはこういうのも」

そう、こんなことになるならもっと早く本音で話すべきだった。本心をちゃんと伝えるべきだった。そんな後悔に苛まれて泣き出してしまいそうになるのを必死でこらえる。

「またね、零…」

通話ボタンを押すのと同時に俯くと唇を噛み締めたが涙はこぼれ落ちた。それを誤魔化すように赤井さんに携帯を押し付ける。本当はもっと言いたいことがたくさんあった。勘のいい幼馴染に気づかれないよう、涙声にならないように必死だったからうまく言葉にできなかったけど。

これはバイバイじゃない。
絶対にまた会えるから…

そう、祈りにも似た思いで遠く水平線を見つめると涙を拭った。



***



翌日、私と赤井さんの乗った車が海に転落したというニュースは大々的に流れた。名前と顔写真付きでしっかりと。諸星大の顔だけまったく別人に差し替わっていたのはきっとFBIが裏で手を回したからなのだろう。ああ、これはもう引き返せないなと思う瞬間だった。

みんな、どう思うだろうか。きっとたくさん悲しい思いをさせるだろうな。それでも危険な目に合わせるよりはずっといい。私が生きていると知れればまた命は狙われ、周りの人達にも危害が及ぶかもしれないのだから。

赤井さんはすぐに日本を出たかったらしいが、他の仲間との合流を待ってきっちり24時間後に彼らが所有するジェット機で国外に出ることになった。日本を出ると聞かされたのはつい数時間ほど前なのに、自分とはまったく別人の名前が記載されたパスポートを用意され目を丸くしたものだ。それに加えて、ウィッグや帽子サングラスとこれでもかと変装を施されて空港に立つ。手続きをしてくると待たされていたロビーのベンチで私はすっかり電源の入らなくなった携帯を見つめていた。水没した携帯はFBI本部に持ち帰り解析するためあまり触るなと言われていたけど、どうしても気になり再度電源ボタンを長押ししてみた。

ピッと軽快な電子音と共に光るディスプレイに思わず肩が跳ねた。

奇跡的に一瞬だけ復活した携帯を手に思わずあたりを見回してしまった。だって赤井さんにバレたらきっと怒られる。それでも誘惑には勝てずすぐに電源を落とすようなことはしなかった。再度ディスプレイに視線を戻すと新着メッセージの通知にメールを開いて息を飲んだ。


『俺は諦めない
お前は絶対に死んでなんかいない』


短いそのメールから静かな決意を感じてまた涙が溢れそうになる。零は届くはずのないメールを送ったのだ。

まだ全ての真相は分からないが兄がFBIに入ったのは14年前に両親が死んだ事件と関わりがあるはず。ならば零たちが向かう先と、わたしが進む道はいつかどこかで必ず交差する。だからこれはきっと別れじゃない。静かに携帯の電源を落とすと、ゆっくりと立ち上がった。顔をあげた先、こちらに向かって歩いてくる赤井さんの姿を確認すると自分もまたゆっくりと歩き出した。

「そうだよね、零…」

そんな独り言はすっかり人もまばらになった夜の空港に消えていった。





INTERSECT 第一部完
(2017.7.13)
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