ハンジ団長+部下/20220328







 ナマエがいつものようにノックをして団長室へ入ると、ハンジはやっぱりデスクにいた。もう真夜中なのに、小さな灯りを頼りに執務をしている。デスクの背後にある窓は、暗闇然としてぽっかり口を開けていた。今宵は月が見えない。

「また来たのかい?」

 言いながらも、ハンジは顔をあげない。寝間着姿のナマエを見ることなく、カリカリとペンを走らせる。片肘をデスクに着き、その手で頭を支えるようにして。

 おそらく大事な書簡だ。でなければあんなに丁寧に字を書かない。普段みたいに、文字ともつかない文字を殴り書くはずだ、と、思ったけれど、ナマエは急にわからなくなった。自信がない。もしかして、最近はいつもああなのかもしれない。団長になってからの、ハンジは。

「……一緒に眠ってもいいですか?」

 ようやくペンの音が止まる。ふう、と息を吐いて、ハンジがナマエへと顔を向けた。赤茶色の瞳は、夜に見ると黒にも近い。これは夜中にしょっちゅう団長室へ押しかけるようになって、知ったことだ。

「ひとりじゃ眠れなくて」
「参ったなあ。まだ仕事中なんだけど……」

 困ったふうに頭をかき、でもハンジは、メガネを外した。眼帯だけが残る。

「こうして君に来られちゃ、ベッドに入らないわけにいかないじゃないか」

 フと卓上の灯りが消えた。暗闇を覗かせるのみだと思っていた窓が、やわらかな光を取り込みはじめる。

「おいで」

 団長室の片隅、ハンジが寝そべったベッドに急いでナマエももぐり込む。ベッドは新品のように綺麗で、前回ナマエが整えてから使っていないのだろうと思った。

「ハンジさん……」
「うん」
「……執務の邪魔をして、ごめんなさい」
「あはは。気にしてるんだ」
「一応……」
「いいよ。甘えんぼうだからな、君は」

 枕を分け合う。小さい枕だから、表情のひとつも見逃さないでいられる。

 他愛もないお喋りをしたあと、ナマエはそっと目を瞑った。ハンジが背中をさすってくれている。静かな夜が満ち満ちとしている。

「ねえ、いつもいつも、どんな夢を見るの? たしか怖い夢を見るんだっけ。ハンジさんに話してごらん。悪夢は人に話すといいってほら、昔から言うだろう」

 ナマエは答えなかった。ただ、眠ったふりをする。

「あれ。まさか、もう寝たの?」

 ナマエの名をひそやかに呼んでくる声にも答えないでいると、君は本当に寝つくのが早いよね、と苦笑されるのを肌で感じた。同時にハンジの力が抜けていく。

「今日も長い一日だったな……なんだかちょっと、疲れちゃったよ」

 ひどくかすれた声色で、それをもともとの明るさで覆い隠すような口調で、上官はつぶやいた。起きていれば絶対に聞くことの叶わない、弱音。

 しばらくすると寝息が聞こえだしたので、ナマエは確かめるために目を開けた。ハンジは眠っていた。ちゃんと。休めている。

 もう、ナマエがこうでもしない限り何日もベッドに入らず、自分をぎりぎりまで追い詰めて頑張りすぎてしまうハンジのことを、ナマエに救う手立てはない。

「……」

 目の前の眼帯をなぞろうとして、やめた。本当は、傷に触れたかった。弱音を吐かないハンジの、傷を分けて欲しかった。ナマエが眠っていなくとも、弱音を吐きだして欲しかった。

 ハンジは知らない。眠れないと言って夜な夜な団長室を訪ねるナマエが、実は悪夢なんて見ないこと。ひとりでも眠れること。ハンジがいつかいなくなってしまったら、そう考えているときこそが、どんな悪夢を見るよりも恐ろしいこと。

 ハンジは知らない。けれどもナマエは、それでいいと考えている。何度もやってくる「団長としての今日の夜」をハンジが無事に越えられるなら、それでいいと考える。

 穏やかな寝顔にようやく安心し、ナマエは再び目を瞑った。傍らの大切な体温に交ざり、溶けていくように、今度こそ眠りにつく。

 この夜、ひさしぶりに夢を見た。

 夢のなかのナマエは真っ白い、清潔な布だった。そして優しく包むのだ。片目の深い裂傷を、肌に残る縫い跡を、できたばかりのアザを、目には見えない心の傷までもを。まっすぐな気持ちでハンジを包み込む、ただの布になる夢を見た。
 目を覚ましたとき、ナマエは泣いていた。










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