兵長にだけ懐いてる野犬みたいな夢主/兵長視点/20240323







 リヴァイは信煙弾を撃った。無事に部下を見つけたという合図は、巨人があげる蒸気をかき分け、真っ青な空に一本の筋を作る。エルドやグンタたちの姿は見えないけれど、彼らはある程度近くにいるはずだ。合図に気がつけばこちらへ向かってくるだろう。

 倒れた巨人が、春の訪れにとける雪よりもはやく消滅していく。熱気で肌が灼けるような感覚をおぼえつつ、リヴァイはマントを脱ぐと原っぱに敷き、血濡れの女を横たえさせた。ひゅうひゅうと喉で呼吸するひとりの部下のまわりで、朱く染まった花々が風に吹かれそよいでいる。ナマエは花を敷きつめた、棺桶のなかにでもいるようだった。リヴァイの顔がかすかに歪む。

 止血処置に急ぐ。本来ならば衛生兵に診せたいところ。ただ、医療班のいる地点までは遠いので、出来得る限りの処置をいま施しておく必要があった。縫合糸やガーゼなどといったこまかな物々はペトラがもっているが、リヴァイも消毒薬や包帯くらいなら所持している。

 ナマエの息は心底か細い。外傷はそれほどないように見受けられる、でも内臓はひどくやられているかもしれない。意識も混濁しているため、脳を損傷したかどうかの判断も現状できかねた。手当てを終えるころには、リヴァイの手のひらは真っ赤になってぬめっていた。もちろんその血は、蒸発しない。

 落ちくぼんだ目もとで、リヴァイは一度ゆっくりまばたきをする。そうして眠る部下を眺めおろす。ナマエの首をさわれば、血を失い蒼白した肌に、赤黒い体液が付着した。首筋をあごのほうまで辿る。真新しいカンヴァスに筆をすべらせるように、中指をツと軽く這わせていった。そのまま。頸動脈の拍動するあたりを、わし掴む。

「お前……勝手に死にかけてんじゃねえよ」

 俺のいねえとこで。思い、つぶやいた声は暗く、サクラの木が埋まる土みたいに湿り気をおびていた。

 この女は、いまはまだ生きているけれど。リヴァイの知らないところで巨人に喰われていたかもしれない。今日、死んでいたかもしれない。人間の何倍もの大きさがあるクソ汚い胃袋に落っこちて、二度とリヴァイの前に姿を現さなかったかもしれない。そして今後も、同じような状況に陥ることはあるだろう。一回二回のみならず何回でも。

 だったらいま、ここで。この手で。
 首を掴む手に力がこもる。

「んん……」

 ぐ、と絞めていけば、ナマエは淡い声をもらし、ほんのわずかに眉根を寄せた。なんだか可哀想だった。身体じゅうが傷んでいるというのに、呼吸の管理までされるなんて。

 ──だが。

 しかたないのだ。だってナマエの心臓は、神でも悪魔でも、人類のものでもない。

「俺のモンだ。お前の……全部がな」

 リヴァイは決めている。ナマエを拾ったその日から、こいつだけは置いていかない、と。自分がそうされたようにはけっしてしないと。ナマエのことはどこにもやるつもりがなかった。手放してやる気など、微塵も。

「へい、ちょう?」

 ふいに目をさました部下に呼ばれ、片頬がわずかに痙攣した。手のひら、指の腹、指先。順番に、ナマエからそっとはがしていく。

「兵長が、助けてくれたんですね」
「……」
「兵長。リヴァイ兵長……」
「ああ」
「兵長にまた会えて、よかった」

 と、いまにも泣きだしそうな声でリヴァイを繰り返し呼ぶさまは、花時はなどきみたいに無邪気だった。一生懸命に手を伸ばしてくる姿に、リヴァイも過不足なく満たされる心地がした。ナマエの手を握り、頬をさすってやる。手のひらについた血はすっかり乾き、酸化して黒くなっていた。さっきまでの胸の内側のような色だ。陰鬱な色。

 ちょうどそのとき、遠くから馬の駈ける音が聞こえた。雨音みたいに一定のリズムで地をたたくひづめ。やがてしけた草の匂いが、ぶわ、と嗅覚を刺激した。風を連れてやってきた部下たちは、すぐさまリヴァイに報告をはじめる。ペトラは仲間の介抱にまわる。

「やめて」

 でもナマエは、さわられるのを拒否した。

「包帯がほどけてしまう。これはリヴァイ兵長がまいてくれた、だからもう充分。それに私、いまどこも痛くない」
「痛みを感じないほうが危ないの。あなたも知ってるでしょう? この包帯はほどかない。ほどけないように手当てするわ」
「嫌」

 ぷい、とそっぽを向くひとりと、困り果てた面差しをするひとり。
 ナマエはなにも、ペトラを嫌っているわけではなく。この態度は常であり、人を選ばなかった。野良犬のような女はリヴァイにのみ懐いている。

「いい子にしてろ」

 リヴァイはナマエの頭を撫でてやった。なだめるときや、ご褒美をあげるとき、落ち込んでるのを慰めてやるときに、いつもする手つきで。

ペトラコイツの到着を待ってたんだ」

 言えば、ややおいてナマエが脱力する。ペトラに身を任せる、というふうに。相変わらず口を引き結び、フキゲンな表情をしてはいるのだが。

「あいつ、大丈夫そうですね。よかった」

 リヴァイの傍でグンタが呆れたように、しかしどこか愛おしげに微笑んだ。まるできかんぼの仔犬でも見るみたく。オルオはいつものとおり、「兵長を煩わせるなよガキンチョ」などと文句を並べたてていた。

 索敵支援を担うナマエは、自身の班の一員ではない。しかしたいていをリヴァイのもとで過ごしているので、エルドたちとも徐々に親しくなっていってる、ように、リヴァイの目には映る。いまだって数秒前とは打って代わり、ペトラとなんてことのないやりとりを交わしているし。グンタからの報告を聞きながらも、リヴァイはその様子をじいっと見ていた。

 ナマエの鎮痛剤がきいてきた頃合いに、全員馬に騎乗する。ナマエはリヴァイの腕のなかだ。馬の腹をかかとで弱く蹴ると、出発のサインに愛馬はいななき、駈けだした。巡航時よりかなり速度を落とし、壁外拠点へと。

「オイ」

 駈歩かけあしにあわせて目の前で揺れる丸い頭。

「お前、誰彼構わずシッポ振んなよ」

 リヴァイはナマエの、耳たぶのあたりで囁いた。

「俺だけにしておけ」
「私には最初から、リヴァイ兵長だけです」

 どうだかな。思いながらも、返事はせずに手綱を引いた。馬の速度が少し上がり、ふたりぶんの身体と青い風とが、まざる。わずかに後ろへかしいだナマエを抱き留めれば、胸もとに感じる体温はあたたかい。ちゃんと。たしかな生者のぬくもり。

「……」

 ひどいまぶしさに襲われ、リヴァイは上目で空を仰いだ。ナマエが死にかけた今日は、あんまりにも快晴。頭上では太陽が燃えていた。ごうごうと、生贄を奪われていかる神のように。





兵士長と犬





ALICE+