兵長にだけ懐いてる野犬みたいな夢主/夢主視点/20240323







 力加減を間違えた。巨人のあちこちを必要以上に深く削いでしまい、極めつけにうなじへの斬撃となれば、刃こぼれを起こしていたやいばはだめになる。損失は最小限に抑えなくてはいけないのに。

損害は許さん

 平坦な、それでいて苛烈シビアな上官の声が鼓膜をかすめていくようだった。ブレードの無駄遣いを報告したら、舌打ちされてしまうだろう。またお前は……と。ナマエは過去数回に渡り、力加減を注意されてきた。

 蒸気と薄汚れた血を浴びながら、露草に着地する。ブーツの裏で、草花がつぶれる感触がある。カシャンカシャン。捨てた刃先が地面で鳴った。指笛を吹く、けれど愛馬は現れない。辺りを見回しても動くものはいっさいなかった。だだっ広い草原は、巨人が残していったうだるような熱さの蒸気に包まれて霞んでいるだけ。

 やがてナマエは歩き出した。方角はあいまいだけれど、兵站拠点まで行ければ命拾いできるはずだ。足もとの花々は、先に眠った仲間たちのこぼした血や内蔵で、ほとんどが赤く染まっていた。幼いころ住んでいた娼館の、廊下に敷かれたベロアの絨毯を思い出す。

 ふと、その当時耳にした物語が頭をよぎった。とある土地を守る神の話。守り神と呼ばれているその神は、加護が欲しければ年に一度、生娘の命を捧げろと交換条件を出す。断れば最後、神はいかり、土地に住む者全員の命が捧げられることになる。生贄がないと守ってくれない神なんて悪魔みたいなものだ、と、子供ながらに感じたことを憶えている。

 そして現実は物語ではないから、命ひとつを捧げれば全人類が一年間は生きていけるとか、そんなことはもちろんなかった。仲間たちが捧げた心臓は、悪魔が囲む食卓に並んでいるはずだ。それは数が多過ぎて、きっともう、とっくに冷めきっているだろう。

 しばらく行くと、倒れている愛馬を発見した。巨人と衝突したのだろうか、四肢は不揃いに曲がっている。ナマエは立ち止まり、ぴくりともしない馬を見下ろし、数秒。最後はたてがみを撫でてやった。あの人がいつも、してくれるみたいに。

 一心に歩く。体力の消耗が激しい、ぜえぜえと喉で喘ぐ。視界はぼやけた。そのたびナマエは力を込めて、一歩一歩進んだ。腹に手を添えればぬるりとした体液がもれている。手のひらにつく鮮血。

 ここで死ぬのかもしれない。残像のように、景色が何度も、何度もぶれ続けた。立体機動装置が、ブレードが、ガスが。装備が、重くてしかたない。すぐさま全部放り捨てて、楽になりたかった。だってとても痛い。身体じゅう。歩くのをやめ、目を閉じたほうがいくらか救われるのではないだろうか、なんて甘い誘惑に負けそうになる。

 ──でも。

死ぬな

 と、あの人は言う。

生き延びることだけを考えろ

 リヴァイ兵士長は、いつでもそう言った。だからナマエもいつだって考える。生きて帰還することだけをまっすぐに。それが彼の命令であるのなら、従うほかに、選択肢はない。
 全身の激痛に苛まれていつの間にか立ち止まっていたが、彼女は再び踏みだした。

 そのとき突如として地響きが耳に届く。遠方を見澄ませば巨人が一体。四つ這いで、猛スピードでこちらへ駆けてきている。さらにその後ろにもう一体がいると気づいた瞬間、本能の部分が粟立った。一体ならきっと倒せた。しかし二体、それも平地で、刃は左手に持った崩れかけの一枚と──。

 ナマエは血濡れの右手で握ったグリップに、最後の一枚をさしこんだ。

「やってやる」

 だってまだ死ねない。リヴァイが死ねと言わない限り。死んでいいと許可されない限りは、まだ、死ぬなんてできない。

 深く息を吸いながら刀身を引き抜く。いつもこの一瞬は、時の進みが遅くなった。時間にしてみればほんのわずかなひととき。でもおそろしく永く感じ、体内の細胞の、些細な動きまでもがわかるのだ。

 風の音と自分の呼吸音しか聴こえない。四十メートル前方に、けたたましく笑って走る巨人がいるにもかかわらず。

 ナマエは息を吐くと同時、アンカーを射出した。さながらカエル飛びの体勢で爆走してくる手前の巨人。その横スレスレをワイヤーが突き抜ける。尖った先端は、後ろにいるもう一体の巨人の眼に刺さった。奇妙なほどにでかい頭。こぼれおちそうな目玉は、いいマトだった。刺しっぱなしのアンカーを巻けば、身体が引っぱられる。靴裏は氷上を舐めるようにスムーズに、草むらをすべっていく。

 そうして四つ這いの巨人とすれ違う、そのタイミングでそいつの肩を狙った。前脚の関節に切り込む。ガクッと姿勢を崩す四足歩行の巨体。無様によろけたさまを嘲笑う暇はない。そのまま奥のもう一体、傷ついた眼の修復に必死になっている四メートル級に近づいていく。腱を削ぐ。四メートル級がバランスを失い、倒れ込む。ナマエはブレードを振りかぶった。敵の弱点、縦一メートル横十センチを目掛けて。断末魔と、血飛沫が降り注ぐ。

「次」

 つぶやけば、とたんにひどい咳が出た。冗談みたいな量の血を吐いて背を丸める、地面にくずおれる。焦燥感で眩暈がした。ぐらぐらしてうまく立てない、変な汗をかく、はやく殺さなければと思う。殺さなければ殺される。ここで死ぬ。ここで死ぬのは許されない。あの人が、それをよしとしない。

 パニックに陥るまま、ナマエは立ち上がった。身体はもうどこも痛くなかった。混乱のわりには頭が冴えざえとしている。眼前には、前脚からけむりを昇らせ、いまだ痛みにうごめく四つ這いの巨人がいる。その大きな背に向かいアンカーを打った。替えの剣はない。一撃で確殺する以外、策も目算もない。ト、と地を蹴って、引力に逆らい飛びあがる。限りなく自由で、なのに束縛されるような浮遊感。

「……っ」

 巨人がゆらり、と振り向いた。四足歩行の巨人は上から見れば存外小柄だ。けれど修復を終えたらしき前脚、巨大な手に捕まえられればひとたまりもなく。握りしめられ、ナマエは宙をさまよった。

 終わりだ。すべてがスローモーションに切り替わる。なにも持たないで生きてきたから、走馬灯などは流れなかった。代わりによみがえるのは、いつかの声。

生き延びろ

 どうして彼は、生きろとつよく言うのだろう。
 ナマエの体内に、死にたい気持ちなんかもともとない。けれど生きていたい理由も、持ち合わせてはいなくて。つまり空洞のまま生きてきた。

 だって名前も、戸籍すらも持たないで過ごしてきたから。娼婦であった母は、ナマエの出生届を出さなかったのだ。よってナマエは長いあいだ、存在を無視されてきた。娼館で働くことさえできず、生まれたときから無いものとして扱われる毎日は、あるいは死んでいるのとなにが違うだろう。

 そんなナマエが生きたいと思ったのは。
 死にたくないと祈るのは。

「リヴァイ兵長」

 薄れゆく意識のなか、かすれた声で名を呼んだ。皮膚の下の空っぽを、優しく埋めてくれた人。
 凄まじい光、生命力のような光が走るのを見たのは、その直後だった。

 まぶたを閉じる。走馬灯として流れるものが、こんなにきれいな光ならいいと感じながら。





犬と兵士長





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