20240203







 浴場が閉まるくらいの時間であれば、兵長ものんびりしてるかも。なんて思って夜に執務室をノックしたのだけど、幹部ともなれば違うらしい。なかに入ると兵長は書類をめくっていた。イスに深く腰掛け、めずらしくだらりとした姿勢でいるから、顔の下半分は紙に遮られて見えない。
 扉を閉めたタイミングで、紙束を放る音がした。振り返れば兵長はすでに新たな書類を持っている。視線は私のほうには向かず、文章を辿るように左から右へ、規則正しくすべり続ける。
 入室の許可は得たものの、やっぱり引き返そうかと悩んだ。後ろ手に隠し持ったチョコの箱が、いきなり重たくなったように感じられる。これを渡して、想いを伝えて。兵長の元に来るまでに、何度も脳内で練習したのに。告白どころか、私は話しだすこともできないまま。

「用件は」

 いつの間にか俯いていた顔を上げる。兵長はいまも書類を確認していて、合わない視線にどこかほっとした。

「えっと……」

 口ごもってしまったせいか、兵長の顎も持ち上がった。わずかに訝しむような顔をしたあと、紙束をデスクに置き、ゆっくりと腕を組む。静まった執務室のなかで、コントロールのきかない心臓だけがひどくうるさい。
 デスクの真正面。兵長の真ん前に立つ。

「チョコを渡しに来ました……」

 差し出せば、自分でもびっくりするくらい弱々しい声が出た。緊張でコーティングしたような私の言葉は、兵長には、好きの二音に聞こえたかもしれない。
 手もとが軽くなる。箱に巻かれた細いリボン、くるくるの端っこが、揺れながらデスクの上を通った。

「ありがとうな」

 相も変わらず表情のないまま兵長がつぶやく。うなずけばやりとりは終了し、チョコも、デスクの内に仕舞われた。兵長にチョコを渡すと話していた人が、私のほかにも数人いた。だから気になって、あのひきだしに全部まとめてあるのかな、と、少しかかとを上げてみたものの、さすがに確かめられるはずもなかった。
 そうこうしているあいだに、書類が再びめくられる。まだ気持ちを伝えられてない。執務に戻ってしまった上官を前に、うろたえていると。

「なにが欲しい」

 兵長の声と、紙のこすれる音が重なった。

「へ?」
「三月……十四日、だったか」
「ああ、お返し……!」
「そうだ」
「それなら気にしないでください。いくつも用意するの大変でしょうし、」
「いくつもは用意しねえよ。一個だけだ」
「一個だけ? でも、ほかにも……」

 何回も見かけた。リヴァイ兵長にチョコを渡すんだと意気込んでいる兵士を、ゆうべだとか、今朝だって。

「ほかにはない。お前からしか貰ってねえ」
「……なんで、」

 自然と湧いた疑問を口にすれば、兵長は仕事の手を止めて、私を見た。

「なんでだと思う」

 真剣な、だけど試すようでもあるまなざし。さっきまでのものとはまた別の緊張感がつま先から這い上がってくる。全身が熱くて、指先までも、じんじんする。

「リヴァイ兵長……私、やっぱり欲しいもの、ありました」
「言ってみろ」

 ドキドキして、苦しい。その苦しさを吐き出すみたいに、一か八かの賭けに出る。

「三月十四日は、いっしょにいてください。その日の兵長の、時間が欲しいです」
「は……」

 ずっと無表情でいた兵長が、ふいに吐息混じりの笑い声をこぼした。目を細めて、緩んだ雰囲気のままかすかに首を傾ける。いつものリヴァイ兵長とはちょっと違う、やわらかい気配。

「俺の時間ぐらいなら、いまからでもやれるが」

 言いつつも、卓上をトン、と中指で叩いた。最後のひとつになった書類の上を。

「……お前はどうしたい」

 なんて。選択肢を与え、決定権を委ねてくるところを、初めてずるいと感じた。だってそんなの。答えはもう、決まりきっているのに。





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