愛について戸惑う夜
「ねえリヴァイさん。私がヴァンパイアになる方法、本当にないんですか?」
二十畳ほどのリビングルーム。奥にあるカウンターキッチンで、人さえも入れてしまえそうな冷蔵庫のなかを確認していたナマエが振り向いた。
着ているのはいつものパジャマじゃなくて、ウエストが絞られているホワイトのシャツワンピース。このあとリヴァイはナマエをスーパーへ連れていくことになっている。
今時外出などしなくても食うに困らないし、エルヴィンからは買い出しはすべてお前に頼みたい、宅配業者の人間にもナマエを会わせるな、と指示を受けていたが、普段あまり外出を許可されない女の懇願に負けてしまった。
それでナマエは今、なにを買うべきか思案しているところだった。
「……てめぇもしつけえな。ねえよ。エルヴィンにも何度も言われてんだろ」
「そうですけど……」
もう何回目だろう。リヴァイは聞き飽きた質問に、ナマエも聞き飽きたであろう答えを返した。
エルヴィンはヴァンパイアになる方法を隠している。そのことはこの間、夜の散歩の帰り道でナマエとの会話によって発覚した。
そういう情報はあらかじめ共有しておいて欲しい。うっかり教えてしまうところだった、とエルヴィンに苛立った二日前。あれから依然としてリヴァイは息苦しい。ナマエといると、どうにも。
「本当はあるんじゃないかって思って」
「あいつが信じられないか?」
「……だってエルヴィンさん、ないって言い切るの」
「言い切られてもまだ確信できねえと」
メモするために持っていたボールペンをぶらぶらさせ、ナマエがこくんと頷く。それを見ながら、メモくらいならスマホを貸せば良かったと思う。
「……エルヴィンさんってものすごく好奇心旺盛じゃないですか」
「ああ」
「意外と大胆で、びっくりするような賭けに出たりするし」
「まあ……そうだな」
今回のお前のことなんか特に──リヴァイは口にせずひっそり呆れた。
「幽霊も自分で見ない限り、居るとは言い切らない。その代わり居ないとも言い切らない。居るかもしれない、って可能性を追及するような人、なのに……」
ナマエはずっと傍にいられる方法を探そうとしない恋人に不満があるふうではない。
どうやら三年の歳月はなかなかに濃かったらしい、エルヴィンのことをよく理解している。きっとヴァンパイアになれる方法は探し中だ、とでも言っておくべきだった。必ずある、見つけてみせるといつものような探究心を押し出して。
「……お前を悲しませたくねえんだろう」
「悲しむ?」
「そんな方法、何万年もの間見つかってない。躍起になって探してもお前が死ぬまでに辿り着く確率は低いだろ。あいつは期待させて突き落とすことができないだけだ」
スラスラと、面白いくらいに嘘が出た。
「うーん。そっかあ……」
ナマエはまた冷蔵庫に向き合う。百パーセントではないものの納得したようで、リヴァイはほっとした。これで同じ質問をされることはなくなる。
「ヴァンパイアってみーんな優しいんですか?」
「あ?」
「エルヴィンさんもだし。リヴァイさんもだし」
「……あいつが優しいのはお前に限っての話だ」
「リヴァイさんには?」
「いきなり呼び出してニンゲンの面倒を見て欲しいっつう奴が優しくてたまるか……」
「あははっ。そっか、じゃあリヴァイさんが人一倍優しいんだ」
「……もう行くぞ」
リヴァイがふらりと立ち上がれば、ナマエは「あっ!」と慌ててキッチンにしゃがんだ。
「待ってください! まだ冷蔵庫しか見てないんです!」
「ほかに見るとこなんざねえだろ」
「あります! 常温で保存できるものは冷蔵庫に入れませんから」
溜息を引き連れ、再び席に着く。
「五秒で終わらせろ。じゃなきゃこの話はナシだ」
はあい! と間延びした声が届いた。
ダイニングチェアの背もたれに、リヴァイの腕がかかる。横には夜景が一面に広がる大窓。今宵は曇っていて、月は見えない。点在する明かりが小さくて数え切れないなか、航空障害灯の赤色だけがやけに目立っていた。
この世界のどこかに、ナマエの家族が、友人が、知人が住んでいる。ナマエはときおり写真をメッセージと共に送るという。ナマエのものを装った、エルヴィンの管理下にあるスマホから。そうでもしないと捜されてしまう。
そこまできつく縛られていて、よく一緒にいられるものだとリヴァイには分からない。愛とは不自由、なのか?
愛するとは、どういうことだろう。
たまに酷く夜明けが恐いときがある、とエルヴィンは言った。だからナマエに血を与えてしまいたくなると。そして永久に夜を共にし、生きていきたいのだ。
にも関わらず仲間入りする方法などないと言い切る。嘘をつく。愛しているのならなぜ裏切る? なぜ隠す? ナマエも永遠にエルヴィンの傍にいたいと望み、方法を模索しているというのに。
“ヴァンパイアってみーんな優しいんですか?”
「……優しい」
──と。信頼に足ると。ナマエはどこで判断するのだろうか。ナマエは数秒後に血管を裂かれて死ぬ可能性があることを忘れている。リヴァイを信用しきっている。
この調子だとエルヴィンにもすぐ心を開いたはずだ。純粋なのは素だとしたら、誰に対してもそうなのだとしたら。恋人からすると複雑かもしれない。
「お待たせしました!」
パタパタとスリッパの音をさせ、ナマエがメモを片手にやって来た。
「遅え」
「ええ……急いだのに」
「さっき行ってたら、そろそろ帰ってくる頃だ」
「ふふ」
「……なんだ?」
「待っててくれてありがとうございます」
リヴァイは舌打ちした。腑抜けた笑みにデコピンでも喰らわせてやろうか。
足早にナマエの横を過ぎて鍵をひったくり、長い廊下を行く。人感センサーが二人を感知し、ぱ、ぱ、と暗く灯った。
この前ナマエが履いたのはラフなサンダルだったが、今夜は違う。久々に履くのならと念の為スニーカーの紐を結び直させ、ちょうちょ結びするのを見下ろしていた。
「待て」
ちょうちょが縦になっている。リヴァイはその場で足を折った。一から丁寧に結び直す。
「これでも大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃない」
「解けませんよ?」
「縦になっちまってるだろうが」
神経質。──ぼそっと聞こえた。
「几帳面と言え」
「リヴァイさん、変なとこ細かいんだもん」
「うるせえ」
「エルヴィンさんと真逆」
それは、自分が一番感じている。リヴァイはおおらかとは程遠い。世渡り上手でもなければスマートでもない。仕方のないことだ。同じヴァンパイアでも、いろいろある。
「見ろ。教科書に載ってもいい出来だ」
「ちょうちょ結びの?」
「そうだ」
「ええっ。なにそれ! そんなのあるんですか?」
「騒ぐな。行くぞ」
ドアがしっかり施錠されたか確認したのはリヴァイだった。ナマエは閉まるのも見ずに早々とエレベーターを呼びに行く。
「親と靴屋の店員さん以外の人に初めてやってもらいました」
「そうか」
一までカウントダウンしていくデジタルの数字。その箱のなかでかかとをつけた足のつま先だけを浮かせ、ナマエが左右に振る。ちょうちょも一緒に。
「リヴァイさんはいろんなことに気がついてくれますね」
「神経質だからな」
そういう意味じゃなくって、と尖る口。でもリヴァイにもちゃんと伝わっていた。左右に振られるちょうちょが嬉しそうだったから。
エントランスを抜けた二人は常駐タクシーに乗り込む。遠出したいという言い分を飲み、併設されているスーパーやコンビニ、徒歩で行けるそれらは候補から外したのだ。
目的地に向かう車内。
大通りをひた走る。レストラン、オフィス、信号機。大量のネオンが座席を明るく浮かび上がらせた。
「車内の温度は大丈夫ですか」
機械仕掛けの音声で尋ねる運転手、定形文の問いかけ。ちょうどいいと答えたリヴァイの声も死んでいる。こういうやりとりは無駄で、好きじゃない。
助手席の背面に付けられたディスプレイが光った。同じコマーシャルが何度も何度も流れている。知らない商品、知った商品。知らない人間が知ったふうに笑う。
彼らはリヴァイの本当を、ナマエの本当をなにも知らない。リヴァイは、ナマエは、彼らの本当をなにも知らない。
そしてリヴァイもナマエの、ナマエもリヴァイの本当など、少しも知らないのだ。切り貼りした架空の日常生活。
「リヴァイさん……?」
ハッとして目を上げれば、ミラー越しの目と、合う。先に慌てて逸らしたのは運転手のほうだった。
「酔いましたか? 顔が真っ青」
リヴァイをナマエが下から覗き込む。ドクリと心臓が脈打った。ひどく渇いている。喉が、体内が、本能が。
「……いや。……せっかく出たんだ、窓の外でも眺めてろ」
「……はい」
まだなにか言いたげだった。そんな女から身を離し、リヴァイも車窓を向く。今夜は重い曇り空。そこに浮かぶ隠れた月は、もうすぐ満ちようとしている。← →
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