ばかの量贈り物をする/20241209
「楽」
うだるような暑さだった。タイ・バンコクの中心部から少し離れた辺りにしつらえた拠点は廃倉庫のなかにあり、じっとりとした熱気ばかりが漂っている。何月でも平均気温の高い国だ。冬のはじまりを歌うような風は吹かないし、周囲に響く音もとくにはない。だから呼びかけてきたナマエの声が楽にはよく聴こえた。彼女の声音はあんまりにも涼やかで、場違いなほど透きとおっている。
適当なイスに深く腰掛け、手もとのゲーム画面に集中していた楽は目線だけを上げた。ぼろぼろに剥がれたトタンの屋根、ひび割れた採光窓から不格好な陽射しが幾筋も降り注ぎ、シケた倉庫内を、目の前に立つナマエを照らしている。時の流れさえストップしたような廃れた空間。空気中を舞う塵が光を含み、きらきらと渦まく。
数秒と経たないうちにまつげを伏せたものの、なんとなくゲーム画面が暗く映り、見づらい。楽の両眼は明るい太陽光に慣れてしまったらしかった。さっきのほんの一瞬で。
「もう。無視しないでよ」
「いまいいとこなんで〜」
「うそだあ」
「嘘じゃねー」
ピコピコと指を動かしつつ言い放つと、だって、とナマエが応える。
「楽、こっち見たじゃん」
「……あー?」
「ほんとに集中してるときは呼びかけても気づかないし。返事もしてくれないし」
楽は顔を上げた。もう一度目が合えば、ナマエは今度やけに嬉しそうに微笑んだ。背後からは陽光がにじんでいる。そのため彼女は白い線でふちどられて見えた。ともすれば光のなかへ溶けて、消えていきそうだった。
「で? なに」
集中力が切れた。ゲームオーバーの文字が浮かぶ画面をちらりと見やり、リトライも選ばないまま息をつく。楽がゲーム機を放ると、向かい合わせの笑顔はますます深くなる。
ガキみたいな表情だった。歳上なのに、らしくもない。これはともにアルカマルで過ごしていたころから変わらないことだ。殺しの世界に身を置いているわりに、彼女は無垢なままでいる。ずっと。
にんまりしながら立つナマエは少し前屈みで、両手を後ろへまわしている。なにか隠し持っている、楽がそう気づいたとき、がさがさと紙のこすれる音がした。えへへ、とまぬけヅラを晒した女が腕を正面に伸ばせば、手の先にぶら下がっていたのは大きな紙袋。
「遅れちゃったけど。楽、ハッピーバースデー!」
楽の真ん前で袋が揺れる。中身が誕生日のプレゼントらしいとわかったのは、あけてあけてとナマエが押しつけてきたからだ。だらりと座っている楽の、ひざの上に袋が乗せられる。意外と重量があり、瞳だけで覗きこめばなかにも多くの紙袋が詰まっていた。ぜんぶ違う色、そしてぜんぶの持ち手部分にリボンが結んである。カラフルで浮かれた袋たちは、殺風景な廃倉庫にとうてい似つかわしくない。
「ね、なか見てみて!」
「声デカ」
これぜんぶ俺が開けんの。朱い目をナマエに向けて聞けば、そうだよ、楽のだもんと返ってくる。楽はまどろんでいるような、ゆるいまばたきをひとつした。フー、と長い息を吐く。
「ダリー」
「いいから、早く」
「……へーへー」
急かされ、渋々といったふうに中身を確かめていく。大きい紙袋から小さいのを次々取り出していき、開封すると、中身はすべてアイシャドウだった。赤系統の色が集められている。複数色がそろうパレットもあるし、単色のものまでも。
「空っぽのショッパー受け取るね」
ナマエはその場にしゃがみ、楽の動向をうきうき見つめて言った。彼女のひざ上にカラフルな袋が重なるほど、楽の手もとには贈り物が積み上がる。ハイブランドのシャドウから、チープなパッケージのおもちゃじみたフォルムのものから。たくさんのケースがたまっていく。
「楽の目尻にどれが合うか試してみようよ。あ、よれにくいやつあったら私も買おうかな」
「お前さあ」
「なあに?」
「マジでばかだろ。なんだよこの量」
楽が呆れ口調でこぼせば、ナマエは。
「おめでとうって気持ちのぶん選んでたら、いつのまにか増えちゃった」
あっけらかんと言ってのけた。こともなげに。豪快な買いっぷりを想像すればため息すらもひっこんでしまう。
「……あっそ」
結局彼女に押し負けて、楽は贈られたアイシャドウを一個、また一個と確かめていった。向かいの気配が動く。真横にやってきたナマエは、楽といっしょになって新品のコスメを観察しだした。自分で選んできたくせに、瞳を輝かせて。
こういうところも変わらないと思う。幼いころからナマエは楽について回り、なに見てるの、なにしてるの、としつこかった。わたしもいっしょにいてもいい? と純真なおもざしで訊いてくる彼女を、記憶のとりわけ深いところで憶えている。
「お前、俺に目が何個ついてるか知ってんの」
「二個」
「んで買ってきたモンは何個だよ」
「いっぱい」
「こんなにあっちゃ使い切れねー」
「使い切ろ」
「百年はかかるな」
「いいよ、何年かかっても」
「前、化粧品には使用期限があって〜トカナントカっつってなかったっけ」
楽は背中を丸めた。ゲームカセットに記されたタイトルを見るみたいに、もらったパレットたちを裏、表と何回かひっくり返しながら一瞥し、テキトーな紙袋のなかへしまっていく。すべてのシャドウを開けることはしなかった。というより、できなかった、のほうが正しいかもしれない。あまりに量が多すぎたから。
「言った。でもいいの」
「いいのかよ」
「だから楽、これぜんぶ使い切るって私と約束して」
「無理無……」
「使い切るまでに百年かかるなら、あと百年は死んじゃだめだから」
言葉を遮り、ナマエが立てた小指をさしだしてくる。楽は横を向いた。ゆびきりしよ、と、急に真剣な表情をみせられて思わず口を噤む。イスに座る楽と床にしゃがむナマエとでは、あたりまえに視線の高さに差が生まれる。けれどナマエは対等な強さを持ち合わせた瞳で見詰めてくるのだった。こうして、面と向かって臆さずに、いつだって。
「……ゆびきりとかいらね」
楽は正面に向き直った。小指をさしだし、絡めてやることはしないまま。ナマエの気配が不安定に揺らいだのがわかる。
「使い切りゃいいんだろ。普通に」
傍らに放ったゲーム機を取る。足を組み、ずるずると背を背凭れにすべらせた。ポップな電子音が響きはじめる。
「つーかお前は自分の心配しとけば」
俺よりよえー雑魚のクセに、そうつけ足せば、ざこって、と小さくむくれる声が聞こえた。雑魚だろ、と思う。お前は俺の後ろにいりゃあいーんだよと。昔から、変わらずそうであるように。
「私、たしかに強くないけど」
ナマエがぽつりと口をひらく。
「でも、楽についてくって決めてるから。ボスに連れ出してもらったとき、そう決めたの。だから」
「……」
「楽の後ろは、私に任せておいて」
朱いまなじりがかすかに震えた。楽のまつげが空気をツと撫でる。一度またたき、となりを見やればナマエは首をかしげた。戦闘中にもしょっちゅうなびく髪が、ふわりと宙に垂れる。
「……お前テレパシー使える?」
「ええ? 使えないよ」
本当かよ、と、内心では疑った。だけど彼女は「変な楽」と微笑むだけ。
ずいぶんアホっぽい、とっくに見慣れた笑顔から視線を逸らす。視界には再びゲーム画面が映る。指先の動きにあわせ、ボタンが鳴る。カチカチと硬質なそれは、ナマエの笑い声とは対極のところに位置する音だ。
「んじゃまあ、」
「うん」
「任せるわ」
彼女のせいであと百年は死ねそうにないし。だったら背中くらいは守らせておいてもいい。じゃないと割にも合わない。
ボタンを操作する。楽はリトライを選ぶ。たぶん次は負けない、そんな気がした。傍でナマエがうなずくのがわかった。明るい空気を肌に浴びた。冬でも夏でもなく、春があらわになったみたいだった。
なんとなく気分がいい。バンコクの暑さは八月をとじこめたくらいに濃密で不快だし、どこか遠くではブウンとバイクの走る音が聴こえだして騒がしい。でも、とりたてて苛立ちの原因になるものはいま、なにひとつとしてなかった。明日にでも大量にある贈り物を漁り、どれか一色を使ってやろうという気持ちにさえなった。
そしたらナマエは笑うのだろう。きっと、いつもどおりのやわらかさで。