3バカと飲んだあと/20241227
こたつに入ったまま寝てしまったらしい。目が覚めると、ベッドよりもっと硬い畳の上にいた。まぶたを持ち上げれば茶色い天井が視界いっぱいに広がる。木造の宿舎、どこを見渡しても古びている自室。
天井にぶら下がる電気の傘から降る、ちゃちな灯りがまぶしい。思わずしかめっつらをして目をごしごしこすった。部屋には秒針の音が響いている。カチ、カチ、とひとつ鳴るたび、ぼやけていた景色もクリアになっていくようだった。
天井も徐々にはっきりしはじめると、でたらめに浮き出る木目のしみが目にとまる。坂本くんたちと四人でお酒を飲みながら、あれが顔に見えると騒いだのは何時間前のことだろう。
「ふふ」
そのときのリオンちゃんの反応を思い出し、ついひとりで笑ってしまった。ボケッと聞いていた私の傍ら、オイオイこえーこと言うなよと眉をひそめる彼女は声のボリュームまでも下げていた。赤尾ってば怖がりさんだな〜、なんて言葉を投げかけた南雲くんは胸ぐらを掴まれたし、ワッと怒るリオンちゃんのちょっと赤くなったほっぺたににじむ照れがかわいくて、うるさい……と眉間にしわを作る坂本くんがおかしくて、すでに酔っていた私はウソみたいに笑えた。
南雲くん、ちゃんと部屋に戻れたかな。酔っぱらってふにゃふにゃになった南雲くんをつれ帰ったのは坂本くんだから、心配はいらないだろうか。
そんなふうにあれこれ考えながら記憶を反芻しているうち、意識もはっきりしだして軽く寝返りを打った。近くにはリオンちゃんの寝顔があった。こたつの一辺、私と直角になる位置に入る彼女は片腕を枕にして眠っている。さっきまで、酔いがまわってここで眠たがる私に対してベッドに行け、ンなとこで寝たら風邪ひいちまうぞ、と散々目尻を吊り上げていたのに。
金ぴかの瞳が隠れているのがなんだか物珍しくて、寝顔を見詰めた。安らかさを乗っけて伏せられたまつげにも灯りが降り注ぎ、青さがいっそう際立っている。安っちい白熱灯の光もリオンちゃんに触れれば途端にまばゆいものになるから、不思議で仕方ない。
こうして眺めると、どこもかしこも古くさい、なんのおもしろみもない和室のなかでリオンちゃんはちょっと異質だ。晴れ空にも似た髪の毛が、正しい冬のように真っ白い肌が、とても目立つ。彼女はいま、ここにある光や色彩のすべてをかき集めてできているみたいだった。
そ、っと起き上がる。友人をもう一度見下ろす。こんなに熟睡してるなんて、リオンちゃんもけっこう酔ったのかも。そう思うと寝顔がさらにいとおしくなり、口角がゆるんだ。どうか彼女の見る夢が、なによりも優しいものでありますように、と、願う。
自分だけが起きている部屋は、しんとした静けさを保っている。坂本くんがお菓子をつまむ音も、いつも以上にふわふわした南雲くんの笑い声も、リオンちゃんが紫煙を吐くときの呼吸音もない。四人ではしゃいだ夜がとつぜん遠くに感じられた。みんなと飲んだ記憶はすでに過去になりつつあるし、こうしている合間にも刻一刻と時は経ち、過去は後ろへ流されていく。
それでもこたつの上は散らかっている。扇状に置かれたトランプ、一個だけのジェンガ。吸い殻が何本も刺さった灰皿、数本の瓶ビール、栓抜きやアルミのふた、プルタブが半分だけ上がった缶チューハイ。堂々と卓上を陣取るものすべてが、私たちがここにいたという証拠だった。
ふと、テーブルのはじっこに転がるフィルムカメラを見つけて手を伸ばす。お酒を大量に買い込むリオンちゃんの横で、私が選んで買った使い捨てのもの。
フィルムカウンターを確かめると、表示されている数字は1だった。あと一枚しか撮れないのか、と気づくと同時、それだけたくさんの瞬間を切り取ったんだということにも気がついて嬉しくなる。飲み会はたった数時間だったけれど、ずっと楽しかったし、一秒たりとも余分な時間なんてなかったから。この、手榴弾よりも小さくて、ベレッタよりもずっと軽い、手のひらサイズのちっぽけなかたまりのなかにさっきまでの時間がとじこめられていると思うと、早くフィルムを現像したくてたまらなかった。
きらりと光の反射するレンズ部分を、目もとに近づける。ファインダーを覗けばありふれた景色、見慣れた自室のいたるところが次々視界に飛びこむ。だけど特別なにかを撮っておこうという気にはならない。
「……あ」
リオンちゃん、と思った。
特別残しておきたいものを、見つけたと。
カメラを構えたまま横を見下ろせば、彼女はいまだ寝ている。勝手に撮ったらきっと怒るなあ、なんて予想しながらもフラッシュが焚かれないかを確認し、そのまま、シャッターを切った。
月がすべてを支配する時間帯、孤島の中心にそびえるこの建物ではなんの音もしない。そんな夜の真ん中で、ファインダーの向こう、リオンちゃんだけが息づいているように映る。
最後の一枚を撮り終え、使い切ったカメラをテーブルに置いた。中身が失われないよう、壊れないように、大事に、置いた。
「う〜ん」
眠気もさめてしまい、伸びをひとつ。そうしてこたつの上を軽く片付けると立ち上がった。天井から下がる電気のひもをひっぱる。室内の灯りを、真っ白な白熱灯から暖色の豆電球に変えておく。
和室を出ればフローリングが敷かれている。つめたいし、やっぱり古くてところどころ木板がめくれていたりするからスリッパをはいた。備えつけの簡素な台所、そのわきの出入口付近にまとめたゴミを置く。
と、そのとき。背後でフローリングが軋んだ。ふり向けばロンTにスウェット姿のリオンちゃんが、後ろ頭をぽりぽりかきながら和室を出てくるところだった。リオンちゃんはTシャツの裾からおなかに手を入れ、くあ、とあくびをする。みぞおちのあたりまでをさすれば、腹筋と、縛られていない腰ひもが露出した。
「なに、片してんの」
「うん」
「いいだろそんなん、明日やれば」
「なんか目が冴えちゃって」
「あー? なら起こせよ」
「やだ」
「ンでだよ」
「リオンちゃんは寝起きの悪さ自覚してくださーい」
「悪くねえだろ……いまだってこうやってちゃんとしゃべってる」
眠たげにごにょごにょものを言う彼女にあははと笑えば、まったくもって痛くないゲンコツが私のつむじをぶった。ぐりぐりされて、ますます笑ってしまう。何度も小さなあくびをこぼすリオンちゃんに「お水飲む?」と聞くと、彼女はうなずいた。私の後ろから首もとに両腕をまわしてきて、体重までも預けてくる。
「やりにくいんですけどー」
「へえ〜」
「もー。はい、お水」
「さんきゅ」
相変わらず腕をひっかけてきているまま、リオンちゃんはコップを受け取った。
「もう一杯いる?」
「んーや、いい」
私の後ろから伸びた腕。手先に握られていたコップが、シンクに置かれる。
「うあ〜……あったまイテ〜、ぜってえ南雲のせいだ。あいつ、たいして飲めねえクセに人には飲ませやがって」
うなじに、リオンちゃんの頭が伏せられるのを感じた。背後のぬくもりはでも、数秒と経たないうちに離れていってしまう。
旧式の小型冷蔵庫がひらかれる。角がまんまるで、どこかレトロな様相をかもしだすオフホワイトの、やっぱりオンボロのそれを開けたのはリオンちゃんだった。彼女は開け放ったドアに腕をかけてしゃがむ。和室の電気をささやかな豆電球に変えたせいもあいまって、台所にたゆたうのは冷蔵庫内から流れ出る、橙じみた灯りばっかりだ。リオンちゃんの横顔が照らされる。高い鼻すじやなだらかな頬が、暗闇のなかで明るんでいる。
「なんもねえな」
「えっ、あんなに買い込んできたのに」
「酒はあるけど。腹にたまるモンが一個もねー」
「おなかすいたの?」
「お前すかねえ?」
リオンちゃんは冷蔵庫を開けたまま、ドアに手をかけてこちらを見た。金色のまなざしに柔いオレンジがまじり、いつもより虹彩が濃く見える。
「そう聞かれると、すいてきたかも……」
「なんか探し行こうぜ〜」
「いまから?!」
「いまから」
「巡回に見つかるかも」
「そんときゃゴメンナサーイ♡ すりゃいいだろ」
パタン、と冷蔵庫のドアが閉まった。リオンちゃんは和室へ戻ることもなく、そこらへんにかけてあったジャケットを取ると「一〇三の奴ならいろいろ蓄えてそうだよなー」「つかあいつのあだな知ってっか? 商人だよ、商人」「でもあいつボるからなァ」「二〇一のが良心的かー?」などとぶつくさ言い、服を着込む。
「おい」
「んー?」
「こうしとけ」
私もフーディを羽織り、ジッパーを上げたところだった。呼びかけられてふり向くと、首もとに垂れた二本のひもをぎゅっときつく結ばれる。顔周りに布がはりつき、私はさながら不格好な雪だるまになってしまった。
「くるしい」
「風邪ひくよりいいだろ」
「リオンちゃんも薄着のくせに」
「私はいいんだよ」
「なにそれ……じゃあリオンちゃんはこう」
近くにあった、私のマフラーをジャケットの上からぐるぐる巻きにする。リオンちゃんの髪の毛がふわ、と丸みを帯びて持ち上がっているのがなんだかかわいい。
「あったけー」
「うん」
オシャレなんてすっかり無視の厚着をして玄関を出た。足もとだけは、お互い楽なサンダルをひっかけたけれど。
宿舎の廊下もうす暗い。幼い子なら泣きべそをかくレベルの古臭さで、ひんやりとした冷気が漂っている。建物そのものを出たわけではないのに、どこか清冽な、きんとつめたい冬のにおいがした。
「なあ、ナマエさァ」
二〇一号室を目指すことに決め、階段のあるほうへと歩いていく。その途中、私の前を行くリオンちゃんは言った。
「なあに?」
「なんか悩んでんの?」
「ええ? なんで?」
「いや。今日めちゃくちゃ飲んでたろ。いつもとちげーなと思って見てた」
「あー……。悩んでるってほどじゃないけど、先輩と別れた。そのせいかな」
「は?! いつ」
「ちょっと前。なんか遊ばれてたっぽい、だからふってやった」
弄ばれていたのも事実だけど、こっちからふったのも本当だ。ただ、行き止まりにも似た深夜のさなかでつぶやいたせいか、言葉は負け犬の遠吠えみたいに響いた。
ぽう、と廊下に小さな明かりが灯る。人魂のようなそれは、リオンちゃんのつけた火だ。たばこの。
「まあ、男なんかこの世にいくらでもいるからな〜」
「うん。でも」
「でも?」
「……なんていうか、私自身いまは男ってキブンじゃないのかも。こうやってリオンちゃんといるほうが楽しいし……新しく知り合った人とメアド交換しても、すぐやりとりめんどくさくなるし」
「ハァ? マジで? メール魔のお前が?」
「メールもおしゃべりも、リオンちゃんとならずっとしてられるんだけどなあ」
あーあ、リオンちゃんみたいな人がいればいいのに。ぽつりとこぼすと、じりじりたばこの燃える音がした。すぐさまふうと吐き出される紫煙。けむりは形を変え、しばらく私たちの間にとどまった。そうして彼女は、次のけむりを吸いこみ。
「そんな言うならさ。私にしとけよ」
こっちをふり向いて、深く吐き出した。けむりで、自身のたばこのにおいで、私をマーキングするみたく。
「そこらの男なんか見んのやめちまえ」
「……な、にそれ、なんの冗談」
たじろぎ、しどろもどろになりつつ言葉を返す。
階段を上がるたび歪んだリズムをたてていた音が、ぴたりと止まった。リオンちゃんが私をしっかりふり返ったからだ。そのまま、上背のある彼女は腰を曲げる。ほとんど鼻先の触れ合う距離で静止する。
「冗談なワケねーだろ」
いつだってきらきら輝く黄金の瞳が、ありえないほど近くにあった。そのせいで息の仕方をうまく思い出せなくなる。
リオンちゃんの、長いまつげがおりていく。薄目になった彼女は首をかしげるようにした。キスの前触れといえる仕草だった。
「よけねえの?」
いまにも唇が重なる、その寸前でリオンちゃんが囁く。星のまたたきくらいに小さな声は、でも充分に私の体温を上昇させた。
「よ、よけない、」
「フーン」
後頭部に手のひらがうずめられる。彼女の手は、大きい、なのにしなやかで、どうしたって同じ女の子のやわらかさだった。
促されるまま、私は引き寄せられていく。目をつぶる。リオンちゃんに抵抗するつもりなんか、だって初めからなかった。いっさい。
「ん」
唇が触れ合う。
とっても情緒がない、と言えるキスだ。たばこで苦いし、夜更けの、おばけが見守っていそうなくらいボロい宿舎だし。なんて気の抜けるくちづけ。
でもひどくいとおしい、等身大のキスだった。きっと二度とは忘れられないし、これ以上はないと思えた。
唇が離れていくことに名残惜しさを感じ、リオンちゃんのそれを眺めれば、私の視線に気づいた彼女は口角を上げた。
「カワイー」
ひとことつぶやき、ゆるやかに一等星の瞳を流す。
前に向き直ったリオンちゃんは、また先に歩き出した。何事もなかったかのように。慌てて背中を追う、と、彼女は数歩で歩みを止めて、私が横に並ぶのを待った。さっきまでとは違い、今度は隣同士で歩きはじめる。
心臓が、二段飛ばしで階段を駆け上がったときみたいに動いていた。数分前までは辺りに充ちた冬のつめたさが全身に侵食するようだったのに、いまでは身体じゅう熱くって仕方ない。その原因がお酒ではないことくらい、もう、わかっている。
「それで? 返事は?」
階段をのぼりきり、廊下に出たところでリオンちゃんが二本目のたばこに火をつけた。ずるい質問、と思う。私がどきどきしてるのも知っていて、その原因もわかっているくせに。私がどう答えるかなんて、お見通しのくせに。
リオンちゃんの指先からたばこを取る。そうして彼女を引き寄せた。くわえるもののなくなった、空っぽの唇に、次は私のほうから。
いまの一瞬ですら、認識したとたん過去になっていく。気持ちは写真には写らないし、現像したって浮いてこない。だからやっぱり私は願った。リオンちゃんの見る夢が優しくあればいいと想うのとおんなじように、ふたりで過ごしたこの夜が、おだやかな永遠になるように。
「リオンちゃんにしとく。だから、リオンちゃんも私にしといて」
真面目に答えたのに。返ってきたのは、ンハハ、と空気を震わせる笑い声。
「ばーか。こっちはとっくにナマエだけなんだっつうの」
内容とは裏腹に悪態をつくような口調がおかしくて、だけどそれが彼女らしいような気もして、嬉しくなって、私も結局笑ってしまった。
静寂の真夜中をふたりで歩いていく。私の傍にはリオンちゃんのぬくもりがあった。香りがあって、気配があった。呼吸があって、存在があった。淡く、手を伸ばせばかすんで消えそうな群青色をした夜のなか、リオンちゃんはなにより確かな光だった。