01

――日本、某所。

 組織の任務をこなしながら本職としての仕事をし、目の回るような日々を送っていた。なかなか手柄を上げられずコードネームを貰ってからというもの何かの成果を上げられることができていない。微かな焦燥感を胸中に燻らせどうにか進歩を得たいと頭を悩ませていた、そんな時だった。ベルモットからの連絡で理由もまちまちに急遽日本に帰国するよう云いつけられた。空港に降り立ち久しぶりに耳にした日本語に自分のホームに戻ってきた懐かしさと使命感に無意識に拳に強く力を込めた。足早に空港を出てタクシーを拾い待ち合わせの場所を伝える。都内でも有数の高級ホテルレストランであるようだった。窓から眺める街並みは記憶通りで何も変わっていない。そもそも、日本を離れて数年程度だしそんな短時間で変わらないか、と納得したものの膝の上に置かれた人差し指が落ち着かない様子で上下していたことは自分ですら気が付いていなかった。


「久しぶりね、バーボン。元気そうじゃない」
「あなたこそ」


ホテルに着いて案内を頼めば最上階の眺めの良い場所だった。日本の地に降り立った時刻は夕方であったから、そこには宝石が散りばめられたような夜景が広がっている。――このひとつひとつが、命だ。国とは人。人がいなければ国として成り立つことはない。これから先は、否、今までだって手を抜いたことはないが、より一層気を引き締めなければならない。ここ日本で何をやらされるのか、何をやっているのか。
周囲に人が居ない奥まった個室に通されると4人席にベルモットがひとり座っていた。こちらに顔を向けた拍子にブロンドの艶やかな髪が肩口で揺れる。手にしていたワイングラスを置く様を眺めながらチラリとテーブル上を見やるとワインの注がれたグラスがもう一つ。


「あなただけではないようですね」
「すぐに戻ってくるわ。それよりも、貴方の任務のことだけれど――」


心地良いメゾソプラノの声に耳を傾けていると、ベルモットはその形の良い唇を吊り上げる。任務の内容はしばらく組織の一人と行動を共にしろ、というもので別段変わっているものではない。不思議に思いながらそれを問いただすか迷い口を開こうとしたとき、微かに人の気配を感じた。区切られた扉のほうへ意識を向けるとそれは近づいてきている。意識して足音を消していることを感じ、ウェイターでないことは確信できる。ベルモットへ視線を向けると「そう警戒しないでいいわ、彼女よ」軽い口調で返答された。彼女――女性らしい。別の意図があるのか、警戒をしていないだけか、気配は消えてはいない。しかし足音は完璧に隠されている。近付いてくるスピードから背が低いか或いは服装がそうさせているか。これから直ぐ顔を合わせるというのにいつもの癖で情報を拾っていく。そして扉の前でコツリ、と軽いヒールの音がした。


「遅かったわね」
「ええ、さっそく厄介事みたいなの」


扉から顔を出したのはまだ幼い、ビスク・ドールのような少女だった。緩く巻かれたペールブロンドはふわふわとそこを漂い、海を閉じ込めたようなブラックオパールの瞳が色素の薄い睫毛に縁どられ大きく存在している。フリルのふんだんに使われたロココ調のブラウスとスカートは上品さを損なわないホワイトで、胸の真ん中には宝石があしらわれそこからベルベットのリボンが伸びている。顔立ちの整ったその姿は正真正銘の人形のように見えた。場違いな少女の姿に呆然としベルモットに向き替えると彼女はクスリと心底愉快そうに声を震わせた。


「彼女が貴方のパートナーになるわ」
「Welcome, Bourbon.」


小鳥の囀りのようなソプラノが響いた。まるで自分が場違いであるように感じるのは、彼女の持つ雰囲気がそうさせているのだろう。裏の世界など知らないような、純真無垢な微笑みを携えて自分のコードネームを口にする。ポーカーフェイスは得意、というより自然にできている程であると自覚しているが、初めて自分の表情に心配をした。


「My name is Pimm’s. ここ日本は貴方の母国なのね、頼もしいわ」


よろしく、と差し出された右腕は日焼けを知らないように白く自分とは正反対だと感じた。生粋の外国人のようであるが、流暢な日本語や声色、その立ち仕草から教養の高さが伺える。気を取り直して挨拶を返すと花が綻ぶような美しい笑みを浮かべ口を開いた。


「ジンは貴方のこと、疑っているみたいね。怪しい動きをしたら殺すわよ」



160522


ALICE+