02

 最後まで胡乱な笑みをたずさえたままのベルモットに別れを告げ、ピムスに促されたのは黒塗りのセンチュリーロイヤルだった。一般的にはあまり見掛けない車に思わず口角が引き攣るのを感じたが「早く乗って」と刺々しいソプラノに牽制され、大人しく広々とした車内へ乗り込んだ。しかし、彼女の身を置く組織は国際規模の犯罪組織。警察はもちろん、同業者ですら怨恨を抱いている者は少なくない。まるで狙ってくれとでも云うようなこの車をわざわざ使用している理由はなんだろうか。いくら少女の姿とはいえ自分がそう云われるように、人を見掛けで判断するのは得策ではない。ましてはコードネームを貰う地位までいるのだ。そんなことを理解していないということも考えられない。少し離れて隣に座る彼女は窓に肘をかけて頬杖をつきスモークの向こう側の景色を眺めている。


「あの」
「アリス」
「……なんですか?」
「アリス・エンフォード。表では、そう呼んで」
「……アリス」


視線は混じることなく交わされた彼女の名前。しかし何かに引っかかり胸中で名前を復唱した。「……英国のエンフォード家、ですか?」微かに浮上してきた情報を問いかければ髪を揺らし緩く首肯した。エンフォード家といえば、英国の広域的なビジネスコネクションを持つ名家だ。様々なビジネスで成功をとげ世界規模で支部をもつ。――まさか、組織の財源になっていたとは。歴史ある名家、その上ご令嬢が組織の一員となればそう軽い繋がりではないことは間違いないだろう。思わぬ収穫にもう少し探れないかと思慮を巡らせていれば「バーボン」名前を呼ばれ返答し、中断されたことに胸中で舌を打つ。ポーカーフェイスを保ったまま視線を声の主に向ければ、あのブラックオパールを思わせる瞳と視線が交差した。


「さっきはあんなことを云ったけれど、怒らないで」
「さっきの…ああ、いえ、気にしないでください。ジンが僕を疑っていることは、知っていますから」
「そう…あなたが組織のために働いてくれたら、きっとその疑いも晴れるわ」


言葉だけ聞けば、案外可愛いところもあるんだな、と感じたかもしれない。瞳を細め微笑む彼女だが、その瞳には優しさや温かさなどは一切なく、冷たく凍てつくようなものが渦巻いている。暗に怪しまれることはするなよ、と忠告しているのだ。彼女にそう刷り込んだのがジンではなく、他の一員であればここまで牽制されることはなかったかもしれない。ジンという、仲間内でも恐れられ、そして確固たる地位を持つ男だからこそ。初対面でのあの言葉に行く先に案じていたが、可愛いところもあるじゃないか、と一瞬でも思ってしまった自分が愚かしい。彼女はただ、自分に飛び火することを疎ましく思っているのだろう。しかしそういった意味では彼女は分かりやすい人だ。上手く使えば組織の知らぬ情報に触れることができるかもしれない、と希望を抱くほどには。







 車が止まったのは英国スタイルの洋館だった。重々しくも上品なアンティーク調の門を、広い庭を抜けてエントランスへ横付けされる。黒服の男にドアを開けられると彼女は言葉を発することなくそのまま館の中へと消えていった。同じように車を降りてその背中を見ていると入れ違いでエントランスから出てきた男がこちらに視線を向けている。


「バーボンだな」
「ええ」
「お前の部屋はこっちだ」


館の中のほうを顎で示した男に首肯し着いていく。中は心地の良い高価そうな絨毯が敷かれ所々に絵画や骨董品が埃を被ることなく飾られている。刺激しないよう自然な装いで当たりを見回すと、あちらこちらに防犯カメラや盗聴器が仕掛けられていた。如何にも監視しています、とアピールする剥き出しのカメラは牽制のため、隠されるようにして配置されているのが本命だ。ここまで厳重な設備では一目でただの屋敷ではないことがわかる。そして廊下には幾人か図体の大きい黒服の男が歩いておりこちらに視線を向けていく。この男たちもただの使用人というわけではなさそうで、こちらに明らかな不審を抱いているようだった。胸や足首の膨らみの正体は十中八九この国では所持しているだけでも違法になるものだろう。堅実な設備と武装を目のあたりにし、自分が母国へ帰国してきたことを一瞬でも疑いそうになり溜息を零した。



160524


ALICE+