陸遜と悪い子
「私、本当は悪い子なんですよ。知らなかったでしょう。あなたは」
乙女は陸遜に馬乗りになって、その喉に向かって短剣を突き出している。軍師といっても、こうして刃を突き立ててしまえば大した事はない。そう思っているはずなのに、乙女の手は震えていた。それは陸遜の顔が、恐ろしいほどに無表情だったから。……それだけではないはずだ。だが乙女は、あくまでも悪を貫こうとしていた。
「あなたの……いや、お前のせいで。私は全てを失った、私は孤独になった。あの炎を、お前は覚えていないのだろう。ああやって数えきれない人間を殺したことなど。お前さえいなければ……でも、もうこれで終わるのです。父よ、兄弟よ。お前という仇を討てば、きっと救われますよね? 私は……お前を殺して、国に帰る、もう何も考えなくても済むように、」
何も言わず、暴れることもなく、まるで人形のようにぴくりとも動かない陸遜。対して乙女は彼を今にも殺そうという立場であるのに取り乱して泣き出しそうな顔をしている。
「あなたは、悪い子……なんかじゃありませんよ」
手首を掴まれ、あっという間に乙女の短剣は弾き飛ばされた。男の力に、適うはずはなかったのだ。気づけば体が反転し、乙女は陸遜に押し倒されていた。
「私は、信じていますから」
仇を愛してしまうなんて。乙女は、そんなの信じたくはないと思った。認めたくなかった。それでも未だに震える手を陸遜に握られて、それに安心してしまう自分は、本当に愚かだと思った。

(20240704)
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