ダイゴさんと存在しない未来、創り出す未来

「もしわたしが死んだら、その石のように綺麗に飾ってくれる? その石と同じように、愛でてくれる?」
 趣味で集めた石を眺める彼に向かって私は呟く。それは彼に向かってというよりは、虚空に向けた独り言のようだった。私は彼を見ていないし、彼もまた同じ。
 それでも私が放った唐突な言葉に驚いたのか、彼はゆっくりと振り返った。
「……きみには、この石たちに負けないくらいの愛を示していると思っていたけれど。きみはそう思ってはくれないのかい」
 穏やかな微笑。彼はいつも余裕そうな表情で、聞いているこちらが恥ずかしくなるような言葉を悠々と紡ぐ。確かに、彼の言う通りだ。私は彼に……愛されている。それは、間違いようのない事実。何の財産も持たない、天涯孤独の女を恋人にするほど彼は甘くないと思っていたが、今はこうして彼の手中に収まっているのだから、不思議だ。もっとも、それもあと僅かなのだが。
「いいえ。ただ、ふと思っただけ。わたしが死んでも、その石のようにあなたに愛されるなら幸せだなって、思っただけ」
 人間もポケモンも死ねば当然腐り、朽ちていく。死ぬって、どういうことなんだろう。
 彼が可愛がっているアーマルドやユレイドルも、元々は生きた証だけを残し命を終えた生き物ではなくなってしまったものだった。彼らは自分の命をどのように解釈しているのだろう。それとも、この世に産まれついた頃の記憶なんて、もう存在しないのだろうか。
 生と死って、なんなのだろう。わたしを支配するのはそればかり。それもそのはずで、わたしはダイゴさんに隠している秘密がある。わたしは、近い将来、死んでしまう。
 わたしの体を徐々に蝕んでいくだろうこの病は、一体いつ私を連れ去っていくのだろうか。今はこんなにも元気なのに、わたしの死は確実、らしい。
「愛するに決まっているよ。どうしてそんなことを気にする必要があるんだい。ついこの間、婚約指輪を渡したばかりだというのに、予測のつかない先のことを話して……それにあの時――」
 胸がずきりと痛む。私は彼を騙しているに等しい。そう遠くない未来に死んでしまうことが分かっているのに。こんな指輪、本当は貰う権利は無いはずなのに。指元できらきらと光るそれは、わたしたちの輝かしい未来を表しているようで、さらに苦しくなる。ひと時の快楽を享受したくて、いつまでも彼には綺麗な部分だけを見せたくて。病のことは今も黙っているし、きっとこれからもそうだ。
「……やっぱりわたしは幸せだなあ」
 彼の笑い声が聞こえる。立ち上がった彼は私の傍にやってきて、後ろから私を抱きしめた。銀髪が触れ、吐息が首元を掠める。……暖かい。これが生きているということなのかもしれない。
「きみと結婚することしか考えられなくて、おやじにほとんど何も言わないままここまで来ちゃった。明日、カナズミに行こう。きみのような女性ならおやじも受け入れてくれるはずだよ」
 少しせっかちな所も愛おしい。カナズミはまだ踏み入れたことのない土地だけど、ダイゴさんと一緒ならどこへでも飛んでいける。わたしの体が動けなくなるその日まで、彼と歩んでいこう。

「ボクと一緒のお墓に入ろう」

 予測のつかない未来のことを話したのは、私よりも彼が先だった。思わず笑ってしまって、それを見た彼もまた、声を上げて笑った。石が好きな彼らしい言葉だとも思ったのだ。きっと彼は、墓石にも並々ならぬこだわりを持つはずだから。それが聞けないのは、やっぱり寂しいけれど。
 きっと彼は、わたしと一緒のお墓には入ってくれない。それは彼の意思じゃなくて、わたしの意思。こんな何も無い女のことなんか忘れて、あなたは自分の責務を果たしてください。ペンを紙に滑らすなんでもない行為が、酷く苦しくて、涙が零れそう。
 けれどもわたしはただ、あなたが石を眺めている時に微かにでも思い出してくれれば、それでいいの。彼の大好きな石と同じくらい愛してなんて、そんな傲慢なこと、望めない。けれどもそれでいいの。自分のためだけにあなたに嘘を吐いたわたしには、こんなことを望むことすらおこがましいかもしれないのだから……

「ボクと一緒のお墓に入ろう」

 彼女には笑われてしまったけれど。そう言ったのが、遥か遠い昔に思える。
 「それ」は本当に思いもよらない出来事だった。彼女は眠りにつくように息を止め、永遠の眠りについた。端正な顔立ちは少しも歪むことがなく、まるで人形のようだった。
「どうかしましたか」
 妻となった深窓の令嬢が顔をしかめるボクに尋ねる。彼女との婚約はまだ公にしてしなかったこともあって、縁談による結婚を周囲に急かされた。二十代も半ばを過ぎたのだから、それは至極当然のことで、ボクも逆らう気は到底無かった。自分の意思だけならば、大人気なく反抗したかもしれない。好きになれるかどうかも分からない女性と居るくらいならば、洞窟に籠ったり各地を放浪するほうが楽しいのではないかと言っていただろう。けれどもそんなことを言っていられるほどもうボクは子どもではないし、何よりこれは彼女の意思なのだった。
「自分の責務を果たしてください」
 彼女が最期に遺した手紙にはそう書かれていた。ボクが何をすべきなのかを、彼女は良く知っていた。ボクがチャンピオンとして君臨するだけではなく、デボンの後を継ぐということ。そして彼女がいずれなるはずだった社長夫人という肩書きを彼女ではない人間に託すということ。
 彼女の意思で書かれたはずの言葉は、彼女の本心を映していないようだった。彼女は社長夫人、チャンピオンの妻などという肩書きになど拘らないだろう。そんな彼女が望んだのは、平穏な日常と、愛だけだったのだと言える。「あの石と同じように愛して」なんて言うほど愛に貪欲な彼女。この手紙は、彼女が考えた嘘で出来ている。きっとこれは、ボクのための嘘なのだ。
「……ああ、なんでもないよ。今日はもう遅いから、先に寝室に行ってくれないか。ボクはもう少し、やることがあるから」
 そう言うと、箱入りで育てられたという令嬢はボクの目の前を後にした。ボクにはもったいないくらい律儀な女性だ。しかしながら、仕方の無いこととはいえ、ボクの心が令嬢には向けられていないということに勘づかれているかもしれない。
 ボクは立ち上がり、令嬢にも入ってはいけないと示した部屋に向かう。二人で生活するには一人暮らしの小さな家は窮屈だと思い、思い切って大きな家を建てた甲斐があっただろう。
 彼女は自分のことを忘れても構わないと遺した。そんなことが出来れば、どんなに幸せだろうか。
 部屋の扉を開けば目に入るのは、ショーケースに収められた大量の石。けれども、それだけでは無い。
 床に置かれたガラスの棺には、とけない氷に囲まれた“彼女”が横たわっている。
「同じ屋根の下にいるというのに、真夜中くらいにしか会いに行けなくてすまないね」
 当然ながら、返事は無い。棺の蓋を開けると冷気が漂う。彼女の頬に指先を伸ばせば、冷たくて固くて……まるで鋼に触れているようだ。ボクの大好きな石や鉱物に勝るとも劣らない。彼女に触れる度に禁忌を犯しているような背徳感に襲われ、体全体がゾクゾクと震える。
 石と同じくらい愛して。その言葉はボクを掴んで離さなかった。こうすれば、きっときみは満足だよね? 
 ボクは諦めないよ。化石だったものが再び生命を得ることが出来るこの世界で、それが出来るのがポケモンだけだなんて誰が決めた? 今は無理でも、時が経てば……先のことなど、誰にも分からない。
「愛しているよ」
 薬指に唇を寄せる。これはきっと、彼女が遺したボクへの呪い。何もない墓石の下に二人分の骨が埋まるまで、ボクはきみに執着し続けるのだろう。それほどまでに彼女の言葉はボクの脳髄に響いていたのだ。
 
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