ダイゴさんが迎えに来る
ダイゴさんが迎えに来る
「この大雨は128番水道、ルネシティを中心に、トクサネシティにも広がっており――」
即座に切り替わったテレビ番組が、異常事態を知らせている。まだ昼間だったはずなのに辺りは雷雨で闇に包まれてしまった。
確信は持てないが、きっとこれが超古代ポケモンの力なのだろう。ルネの人間ならば128番水道にある海底洞窟や目覚めの祠に関する伝説は誰でも知っている。私は他所の土地から引っ越してきたから、これらの知識は全てダイゴさんから学んだ。けれども、知っていることと、その知識を正しく利用することは全くもって別の行為だ。
これ程の大雨が振り注げば、この街は海の底に沈んでしまうだろう。この街も私も、跡形もなく消え去ってしまうのだろうか。現実味がないのに、耳をつんざく雷の音がそれは嫌というほど真実であるということを示す。
窓の外をちらりと見れば想像もつかないほどの雨粒が地面に叩きつけられていた。この家の中に雨が入ってくるのも時間の問題だろう。
逃げなければ。そう思っても、踏み出そうとした足は上手く動かず、私は床に倒れるようにして座り込んでしまった。冷や汗がどっと吹き出る。
ダイゴさんは無事だろうか。彼のことだからきっと率先して事態解決に動いているはずだが、万が一のことを考えるとさあっと血の気が引いていくのを感じた。トクサネは今どうなっているのだろう。様々な考えがある浮かんでは消え、それの繰り返し。私は思考を断ち切ろうとして床を這って玄関に動こうとした。
その時、雨の音の中で微かに鍵が開けられる音がした。
「無事かい!? ○○ちゃん!」
ダイゴさん、と思わず叫びたくなったが私は口をぱくぱくとさせるだけで、声にはならなかった。ダイゴさんは全身がびしょびしょで、髪は顔にへばりついていたし、いつも着ている高そうなスーツからも雨が滴っている。言いたいことは沢山あったが、言葉だけは出なかった。それが酷くもどかしくて心がズキズキと痛む。
「もう大丈夫だ。カイオーガを鎮めることはある少年に託されている。彼ならば役目を果たしてくれるはずだ。ただ念の為に避難はしておいた方がいい」
ダイゴさんは何も言えずにいる私をさっと抱き上げる。雨に濡れてしまった彼はいつもより冷たかったけれども、僅かに人肌の温もりを感じて、私の心は落ち着きを取り始めた気がした。
「ダイゴさんが、無事でよかった」
きっとダイゴさんは沢山の人を助けながら私の所に来てくれたのだろう。危険だってあるのにそれを顧みず人々の為に尽くす彼は輝いているように見えた。
やっと口を開いた私に一瞬きょとんとした表情を浮かべたダイゴさんは、薄く微笑む。
「ボクがそう簡単に居なくなるとでも思うのかい。きみを置いていったりなんかしないよ」
ダイゴさんの髪から落ちた冷たい水滴が私の顔を濡らした。
たったそれだけの言葉が今の私には何よりも嬉しいものだった。ダイゴさんはどこまでも強いひとだ。まだ雨は止まない。それでも私には希望が満ちる。あなたが行くところなら私はどこだってついていけるだろう。
*
この強大な自然の中で、ボクはあまりにも無力だった。水が無ければ人間もポケモンも生きられない。それなのに、過剰なまでの水は全てを飲み込む強大な力を宿している。
ユウキくんは既に目覚めの祠に向かって歩みを進めて行った。どうしてボクたち大人はあの少年に全てを託すしかなかったのだろう? 決して自分に失望している訳では無い。今こうして街の人々を避難させている以上、自分の役目は果たしているはずで、それ自体はきっと誇るべきことなのだ。けれども自分の決断は正しいものだったのかとどうしても思ってしまう。ボクにはもっと大切な役目があったのでは無いかと――
「無事かい!? 乙女ちゃん!」
合鍵を使って彼女の家に入る。彼女を救うのは、ボクだけだと胸を張って言える気がする。それだけが今のボクには救いのようなものだった。雨を拭う余裕もなくて、床にはぼとぼとと粒が足跡のように流れ続けた。彼女は床に這いつくばったようにして苦悶の表情を浮かべている。
思わずボクは傍に駆け寄った。着丈な彼女がそうした状態に陥っていることが半ば信じられず、ボクは正直言って言葉を整理することが出来ないまま、彼女の気持ちも考えずに事務的な言葉を述べてしまったような気がした。
ボクは彼女を見て、彼女を思いやる言葉すら告げることが出来ないのだった。パニックを起こしているのか動けない彼女を横抱きにする。これが普段通りの日常だったならば、ボクは口付けの一つでも落としていたのかもしれない。今すぐに、きみを思い切り抱きしめたい。きみの温かさを、体全体で感じたかった。きみを安心させる為じゃなく、無力感に苛まれてしまうボクが冷静になる為に。こうした考えが浮かぶ時点で、ボクも今の彼女のように気がおかしくなっているのかもしれなかった。
「ダイゴさんが、無事でよかった」
ふと彼女が口を開いた。ボクがこの家に入ってから初めての言葉だった。
彼女が眠って、目覚めるまでの間に全てが終わっていたらよかったのに。ボクは彼女の知らないところで全てを終わらせたかった。彼女には今のボクはどう映っているのだろう。この混濁とした思考は彼女に知られたくないと思ってしまう。きみには、ボクのかっこいい所だけを見ていて欲しい、なんて。
「ボクがそう簡単に居なくなるとでも思うのかい。きみを置いていったりなんかしないよ」
虚勢に近い本心だった。笑みを浮かべる彼女を見ていたら、ますますきみに弱い所は見せられないな、と感じてしまうのだった。