ダイゴさんに依存する
ダイゴさんに依存する

 彼女が一人で住むのは大きすぎる家。手入れを途中で辞めてしまったかのように放置されている荒れた庭木が視界に入る。鍵を取り出して扉を開こうとするが、鍵は掛かっていなかった。玄関も、その奥に見える光景も全てが真っ暗で、ふと下を見れば脱いだ靴が乱雑に放置されている。
 それほど今日は荒れているのだろうな。この家の主は当然のように出てこなかった。ボクは遠慮もなしにある部屋に向かって歩いていく。
「乙女ちゃん」
 その部屋の扉は開け放たれていて、ボクに背中を向ける彼女はガラクタまみれの物置部屋でただ立ち尽くしている。その右手に、カッターナイフを握って。
「また、それをしているのかい」
 それとは言うまでもない。彼女の左手首には無数の傷跡が刻まれている。今も新たに作られた赤い線から血が流れていて、それはこの暗い部屋の中でもはっきりと分かる。
 彼女は何も話さない。ボクは彼女の背中から腕を回して自分の体に抱き寄せた。彼女温もりが胸に伝わる。彼女は自分の左手首を見つめるだけで、微動だにしない。
「ボクだけはきみの味方だよ」
 耳元でボクは囁く。この状態の彼女は、こうでもしないと何も発してくれない。彼女はこうして、ボクだけの言葉を待っている。自傷などという惨い行為をしてもなお、ボクが離れないということを知っていて、ボクの言葉を求めるためだけに自らを傷つけ続けているのだ。なんて狡猾で可愛いのだろう。
「ダイゴさ、」
 震える声で彼女は話し出す。これも何回目のことだろうか。
「あの人達は、わたしを捨てたの。わたし、これからどうすればいいの」
 また同じ話だ。本当は聡明で、自分で生き抜く力を持っている彼女が時折こうして部屋に閉じこもるのは、元を辿れば彼女のいう「あの人達」が原因だった。
 彼女はとある企業の令嬢だった。それも、ボクとの婚約の話も浮上するくらいの大きなところ。だが事業に失敗し、多額の借金と彼女、そしてこの家を残して両親は消えた。それからというものの、彼女は精神を病んでしまったのだ。こうして自傷行為を繰り返す顔と、自分に残された僅かな手札で未来を拓こうとする顔の、二つの顔が彼女を支配するようになった。
 その二つの顔は正反対で、正気に戻った彼女はいつも自分の犯した行為に幻滅する。それでも真っ当に過ごしているのだと思いきや、少しのタガが外れればまたこうして同じ行為を繰り返し続けていた。
 ……もっとも、本当ならばこの家すら売ってしまってもいいはずだ。それをしなかったのはボクの計らいだってことを、きっと今の彼女は知る由もないだろう。
「きみは何も考える必要はないよ」
 事実、彼女が抱えてしまった借金はもうほとんど残ってはいない。ボクが彼女の借金を肩代わりしているのだから。けれども、ボクは彼女に何も言ってあげない。自分にのしかかる重荷に耐えきれない彼女はこうしてボクに縋る。彼女は自傷することでボクを呼び寄せ、つなぎ止めているとでも考えているのだろう。そうしてボクの言葉に酔い、自分の存在意義を実感する。
 けれども、実際は真逆だ。彼女がボクの隠していることを知らずにいようが知っていようが、もう彼女がこの依存から脱却することは不可能だ。ボクへの恩義がある彼女はボクに尽くし続けるようになるだろう。結局きみは、ボクに踊らされているにすぎない。まあ、今はこうして救いを求めるきみを見るのが楽しいから、こうしているだけなんだけど。
 自分を傷つけるなんて微塵も考えていない時の彼女も可愛いけれど、ボクだけを頼ってくれるのは今のきみだけ。愉快に決まっているよね?
「ダイゴさん……わたし……わたしを、救って……」
 絞り出すような声。ボクはそれには答えない。代わりに彼女の左手首を掴み、自分の口元に近づける。未だに血が流れるそこに唇を当て、舌を這わした。彼女の表情は見えなかったが、苦悶に満ちた顔をしていることだろう。彼女が自傷をするのはボクと自分自身を結びつけるのが目的で、決して痛みに鈍感になった訳では無いのだから。残された痛みに苦しんでいることも、ボクは知っている。きみが本当は自分を傷つけることなんて無意味なんだってことを理解していることも知っている。それでもボクは何も言わない。こうしている間のきみはボクの事しか見ない、考えない。もっと溺れてよ。
 これが彼女の味か、なんてことを考えてみる。彼女は痛みを堪えているのか、僅かながら息を漏らした。ボクだけの可愛いお姫様。もっとボクの為に踊っておくれ。
mainへ
topへへ