ダイゴさんと再会する
ただの幼馴染であって、それ以上には決してなれない。片や大企業の御曹司でなおかつホウエンのチャンピオン、私は至ってお金持ちでも権力者でもなんでもない、しがない会社員。
 彼に思慕を寄せたことは、確かにある。けれども彼に相応しいのは私のような人間ではない。それだけは確実だった。
 そう思ったからこそ、私はホウエンを出てカントーに移り住んだ。私の就職先はヤマブキシティにそびえるシルフカンパニー……ではなく、その下請け会社だった。
 それでも私は満足しているつもりだった。彼を忘れようと積極的に動いたわけではなかったが恋人も出来たし、この街で暮らせる程度の収入も得ている。彼のことは記憶の彼方に仕舞っておくだけ。そう思っていたのに。
「それにしても、これってものすごく運命的じゃない?」
 私の隣で優雅にグラスを傾ける男は間違いなく、私が思いを寄せていたツワブキダイゴその人だった。
 彼の言う通り、運命的なのかもしれない。たまたま私が入ったバーで、たまたま彼もここを訪れただけ。彼はシルフカンパニーとの商談でヤマブキに来たのだと丁寧に教えてくれた。
 よりにもよって、だ。運命のいたずらとでも呼べばいいのだろうか。私が疲れているのがいけなかったのだ。ふらふらとした足取りで普段入らない店に入った私の落ち度なのだ、これは。
「ダイゴくんは、こんな所に居てもいいの。それなりの立場がある人でしょ」
 平然とした口調で言い放ったつもりだった。実際に彼は高い社会的地位がある。私のような人間と居るところでも誰かに撮られてしまったら、きっと彼も私も無事では居られない。
 酒のせいか、はたまたこの銀髪を揺らしながら微笑を浮かべるこの男のせいか。たったこれだけのことを喋るだけでも心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「ふふ、きみの言う通りだよ」
 彼は思っていたよりも口数が少ないがそれもそうかもしれない。彼にはほとんど何も告げずにホウエンを離れた。彼からしても、久しぶりに会う私との接し方に戸惑っているのだろう。
 それならばなおさらどうして彼はここに居続けるのだろうか。端正な彼の横顔をちらりと見ては逸らす。このまま眺めていれば、捨てたはずの感情が湧き上がってきそうだった。私には恋人が居る。過去に固執するのではなくて、新しい一歩を進んでいるのだから、それは不要なはずなのに。
 でもね、と私の言葉を待たずに彼は続ける。
「きみのその痣を見ていると、どうも放っておけなくてね。自分で付けるものではないだろうから」
 痣? そうだ、昨日の夜、前もって連絡を入れることもなく訪れた彼に…………けれども私はそれを受け止めているつもり。その上で私はあの人と付き合っているのだ。酷いことをされてもそれはその時だけで、普段は優しくて――
「これは昨日、彼に……でもいいの、これは、そんなのじゃ……」
 今日の朝は慌ただしくて、自分の首元を見る余裕も無かった。こんなことならスカーフでも巻くべきだった。会社では妙な視線を向けられていたのだろうと思うと恥ずかしい。今も鏡がないため自分では分からないが、きっと指の痕が残っているのだろう。そして、袖から覗く手首にも、強く爪を立てられた跡が残っているはずだ。
「ボクならそんな酷いことはしないよ」
 胸がどきりとした。
 真剣な眼差しが向けられる。その水浅葱の瞳を見つめることがどうしても出来なくて、俯こうとした私の腰は引き寄せられた。
「ボクにしない? そんな男の人、よりさ」
 体が密着したまま、耳元で囁かれる。その甘美な言葉が鼓膜を震わせた。彼も、酒に酔っているのだろうか? 彼の本心は分からない。それでも私は単純な人間で、この言葉だけでも純粋に彼に好意を抱いていた頃の記憶が蘇ってくる。
 この言葉を、本当に信じてもいいのだろうか。彼だってもう子どもではない。私をからかっているかもしれないのだ。私には何も分からない。私があの恋人に愛され、愛しているのかも分からないくらいになるまで、彼の言葉に惑わされている。
「ダイゴくん、私……」
 気づけば私の眼からは涙が流れていた。少しでも彼から離れるということを、無意識に選択し続けていたのかもしれない。私は彼とは釣り合わないのだと、ずっとそう思っていたのだから。やっぱり、私は彼のことが好き。恋人が居るのにこんな感情を抱いてしまうなんて、なんて不埒な女なのだろう。
 涙を止めようと思ってもどうしても出来なくて。みっともない姿を彼にも同じ店にいる他人にも見られたくなくて私は顔を背ける。
「……少し場所を移そう」
 私の分まで手早く会計を済ませた彼は私をエスコートして店の外へと連れ出した。丁寧ながら少し強引な彼に着いていく。手を恋人のように繋がれていることに気づいた時には私たちは既に人気のない路地裏に居た。
「ごめんね、もう我慢出来ないや」
 俯く私の後頭部を優しく包まれたと思えば、降ってきたのは柔らかい感触。それが彼の唇だと気づくのに時間は掛からず、きっと私の頬は酒のせいなんて言い訳が出来るものではないくらい真っ赤になっていることだろう。今日が曇り空に覆われていて本当に良かった。涙で崩れた化粧も染まった頬も目立たないのだから。
「……ダイゴくん」
 ごめん、と謝り続けながらも次第にキスは深くなる。ぬるりと唇を割って入ってくるのは熱を持った彼の舌。私がまだ知らない酒の味がする。アルコールの匂いは鼻を抜け、今まで知らなかった彼の姿が私に刻み込まれていく気がした。知っていたはずなのに知らなかった。彼は幼馴染の男の子なんかじゃなくて、立派な男の人。大きな手で私の髪を撫でる優しい手つきもあの恋人とは違う。これが一時の夢だったとしても、彼のお遊びだったとしても、もう私は今までの自分には戻れない。
 彼はゆっくりと息を吐きながら私を見つめる。辺りは暗くて表情ははっきり分からなかった。
「好き、なんだ。きみのことが、ずっと。だからきみにボク以外の男の人が居るなんて、耐えられない、ましてやそんな風に傷つけられているなんて……」
 ダイゴくんも、私のことが、好き? 本当に? 
 次第に語気が弱まり、今のボクも人のことは言えないなあなんて寂しげに笑うものだから、乾きかけた涙がまたとめどなく溢れ出る。情けないなあ。酷くされたいわけじゃないけど、ダイゴくんなら何されてもいいなんて思うのは、おかしいことだろうか。でも、私はそれほどダイゴくんのことが好き。けれども私、彼のことを諦める必要なんて無かったんだなあ。私、ダイゴくんにとってこんな風に思われるほど大きな存在だったんだ。
「わたし、私も、ダイゴくんのことが好き、ずうっと前から好きなの。だから、謝る必要なんて……でも、私じゃ釣り合わないんじゃないかって、不安で、それで」
 言い終わらないうちに、私は彼の胸板に飛び込んでいた。男性にしては華奢な腕が私の背中を覆う。肌の温もりが直接伝わる。暖かくて、心地いい。
「……良かった。……嬉しいよ、本当に……待たせてしまってごめんね。今すぐにとは言わない。ホウエンに帰らない?」
 ボクがきみを守るから。
 この地で得たものは、全てが無駄な訳ではなかった。それでもやっぱり自分の故郷が大好きで。それに大好きな彼が居れば未練なんて残らない。この街も、仕事も、恋人も。
「……はい」
 曇り空の切れ目から月の光が差し込む。照らされた彼は心底嬉しそうな表情をしていて、私も自然と笑顔を浮かべたのだった。
 
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