つはものどもが
「まだ幾つかの勢力が残っているとはいえ、貴方様の天下は決まったようなものでしょう」

広い部屋に二人。曹丕は一人で佇む乙女に声を掛ける。乙女は不愉快そうに曹丕を見つめた。

「貴方様が中華を統べる皇帝となるのも時間の問題です」

良くもまあ、つらつらと。乙女は顔を歪めたが、目の前の男は表情を崩さない。

「二人きりの時くらい、その喋り方をやめて。いつも言っているでしょう。辛気臭くてたまらないわ」

乙女が耐えかねてそう言えば、曹丕は初めてにやりと口角を上げた。

「主従ごっこに興じるのも良かろう。それに、私がお前の臣下であることに変わりは無いのだからな」

先程までの敬語を崩してそう言った。乙女は未だに、複雑な気持ちを隠せないといった表情を保っている。

いつからこうなってしまったのだろうか。共に在野の志士として戦場を駆けたことを、乙女は一度たりとも忘れていない。

初めは対等な存在だったはずだ。

やがて天下のためと挙兵し、成り行きのままに動いた結果がこれだった。今では乙女が咎めない限り、曹丕は彼女に対して常に恭しい口調で接している。

曹丕は、気づけば乙女に仕える立場になっていた。それに応じた立ち振る舞いをしているだけなのかもしれない。だが、ずっと同じ立場で戦っていたはずだった。いつの間にか主従になってしまったのだ。乙女は、未だに理由が分からずにいる。

自分よりも曹丕のほうが、余程君主として君臨するにふさわしい実力を、気品を、威厳を兼ね揃えている。

なぜ自分なのだ。乙女は常々そう思っている。彼のことは嫌いではない。嫌いでないからこそ、共に戦ってきた。嫌いではないからこそ、分からないのだ。

自分と共にいる本当の目的があるのではないか。そう考えたこともある。

曹丕の目的は分からない。だが、これまで乙女のためだけに尽くしているのもまた事実だ。その忠誠を疑う者は、存在しない。乙女も含めてだ。

「どうして、私に仕え続けるの。あなたなら自分の力で天下を意のままに操る事など、造作もないでしょう」

曹丕は笑う。

「ならば」

彼が懐から取り出したのは、手入れの行き届いた短剣だった。

「私の手に掛かっても、文句は言えまい」

乙女の首元に、刃が近づけられる。彼女は微動だにしない。

「命を握られていても、身動き一つしないか。それでこそ我が君というもの」

それは違う、と乙女は声に出さずに抗議した。その短剣はかつて、乙女が曹丕に贈ったものだった。いつか敵として対峙することがあるのなら、私を殺すときに使って欲しい。そう彼女が言ったのは、まだ対等な立場だった頃の話だ。

――命を握られている。

これは、比喩でもなんでもない。曹丕はきっと、いざとなれば容赦なく自分を殺すことが出来る。自分が生かされこの地位に就いていることも、曹丕の指先一つで揺れ動いてしまうだろう。

乙女はそれが恐ろしくて、体を動かすことすら出来なかったのだ。

「貴方様が次代を創造する瞬間が、待ち遠しいものです」

そう言いながら短剣を仕舞う。

支配しているのは、果たしてどちらか。言うまでもなく、曹丕なのだろう。

去っていく曹丕の後ろ姿を見ながら、乙女は静かに、夢の跡を思って涙を流した。

(20240120)
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