水の中は暗いよ
「もし、私が死んだら」
寝台に体を預けていた乙女が、何の脈絡もなくそう言った。「眠れないのか」趙雲が尋ねると僅かに首を動かす。趙雲が起きていることに驚いているようでもあった。どこかで私が起きているのだと期待していたから、そのような事をぼやいたのであろうに、と趙雲は思う。
「私の骨は、海に撒いてほしいの」
天井を見つめる乙女の瞳はどこか虚ろなものだった。
「……なぜ、そんなことを言う」
趙雲は今すぐにでも彼女が消えてしまうのではないかというような気分になって、乙女を抱き寄せる。すっぽりと収まった彼女は目を合わせようとしなかった。
「私の国は、海を隔てたところにあるから」
乙女は遠い所からやってきたのだという。得体の知れぬ女とこうして夜を共にすることに、趙雲は何も思わないでもなかった。だが周囲から腫物扱いされる彼女をどうしても放ってはおけなかった。その本当の理由を、彼女は未だ知らない。
「故郷に帰りたいというのか」
「ううん……いや、そういうことなのかな……子龍のことは大好きなんだけど……」
趙雲は、背中に回した腕の力を強める。その強さに感じるものがあったのか、乙女もおずおずと同じようにして背中に腕を回し、彼の衣服を遠慮がちにつまむ。
「この成都から海に行くのは難しい。今の情勢、そしてこの距離ではな……そもそも、お前のことを死なせるなど耐えきれないし……私は、水が……限りなく深いそれが、怖い」
「……現実的じゃないよね。ごめんね、変なこと言って。それよりも、子龍にさえ怖いものが……あるなんて」
「……幻滅したか?」
「いいえ……」
乙女はそれきり、趙雲に抱きしめられたまま黙ってしまった。眠ってしまったのかもしれない。
広大な海に彼女を攫われるのは、たとえそれが骨だけの姿であっても黙って見ていることはできないと趙雲は思う。そもそも、彼女が死ぬなんてことを想像するだけでも心が冷え切っていくようだ。何があっても守り切らねば、それを貫き通さねばならないのだ。
だがそれだけの関係性を築きこうして臥所を共にしてもなお、趙雲には隠していることがあった。
あなたの姿が、井戸に身を投げたあの方に瓜二つであるから、私はその贖罪のためにあなたに尽くしているのだといえば……お前は何を思うのだろうか。
知りたいものでは決してない。
(20240729)