毒は承知の上
「この女は、埋伏の毒だったのだ」と、そう蔑まれて死ぬものなのだと、彼女はずっと考えていた。

主家の勢力の大半を削がれた復讐のためにホウ徳の元に送り込まれた彼女を、ホウ徳は何の疑いもなく登用し、副官の地位にまで与えた。

「お人好しにも程がある」と、彼女は思ったものだ。いずれ彼の命を奪う危険性を秘めていることにも気づかずに、呑気なものだと。

こんな人間の為に、主家は凄惨な目に遭ったというのに。その怒りと悲しみで枕を濡らす日も多々あった。

 長い時間というものは人を変えてしまう。情が移ってしまう。よく聞く言葉だが、彼女はそんなものたかが空想だと思っていた。それなのに。人生というものは、一筋縄ではいかないものだ。

「……不埒な男の戯言だと思って、聞いてくれるだろうか」

 書簡を運ぶために部屋を出ようとした彼女の背に向かって、ホウ徳はそう呟いた。振り向いていいものなのだろうかと彼女は考え、立ち止まる。少しだけ、嫌な予感がした。振り向きたくても、振り向けないような、そんな気持ちが彼女に押し寄せた。

「そなたと……同じ、棺桶に……入る夢を見た」

 あ、と彼女は声を上げそうになる。そんなことを言うなど、告白しているのと同じではないか。

ホウ徳が彼女のことを埋伏の毒であると理解しているかどうかは、分からない。分かっているとしてこの言葉を発したのなら、と考えると彼女は震える。

自分のこれまでの努力は全て水の泡であり、主家を裏切れと言っているようなものだからだ。

ホウ徳ほどの人間が彼女を望めば、彼女にそれを否定するほどの力はない。しかし、彼の言葉が嘘であるとは言い難いということは、これまで傍に居続けた経験から分かる。

だからこそ彼女はホウ徳を見ることが出来なかった。この言葉は彼女の境遇に関わらず、ホウ徳の純粋な気持ちから発せられているのだと考えるのが容易だったからだ。

「ホウ徳様……それは、」

 彼女が口を開くと同時に、ホウ徳は立ち上がる。その様子を察した彼女が口をつぐむと、ホウ徳は触れるわけでもなく、ただ彼女の背後に立った。指を伸ばすがすぐに引っ込める。触れることを躊躇しているようだった。

「夢を、現のものに……いや、そなたの答えを聞くのが先だな」

 私には、この人を殺すことは出来ない。彼女は初めてそう思った。それほどまでにホウ徳と過ごした時間というものは彼女を占める大きなものになっていたということを自覚したのだ。

二つの大切なものの間で板挟みになっていた。主家のことを忘れた訳では無い。それでもホウ徳のことを否定することも、できないのだ。そう思ったが最後、彼女の頬に涙が伝う。書簡を汚してはいけないと思い振り返ると、ついにホウ徳と目が合った。

「わ、私……わたしは……」

 それは、いつも張り詰めたように執務をこなしホウ徳を支える彼女らしくない姿だった。ホウ徳はそんな彼女を見て驚いたようだったが、無理に言葉を紡ぐことを急かしはしなかった。

「……そなたが重いものを背負っていることは承知の上。それでもなお、それがしの気持ちは変わらないということを知っていてほしい」

 この後の彼女の答えを知る人間は、ホウ徳しか存在しない。ただ、彼の屋敷には大きな棺桶が運ばれ、「先走りすぎだ」と笑う彼女の姿を目撃したという噂だけがまことしやかに囁かれた。

(20231228)
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