家族になろうよ
呂布との戦いの中で、李典は叔父、李乾を亡くした。乱世の中で身内を失うことなど、ありふれたものなのかもしれない。だが李典は簡単には受け入れることは出来なかった。
李乾の軍勢は子の李整が引き継ぎ、李典は彼に従って李乾を弔った。
屋敷に帰っても、簡単に寝付けない日が彼を襲う。李家に連なるものとして、更なる活躍をしなければいけない。無惨な負け戦をして一族の名を汚す訳にもいかない。そんな実感が改めて強まり、それは李典に重くのしかかった。
敬愛する叔父の死は彼に影を落とす。だが、彼以上に悲しみを湛えている少女が居た。
名は乙女という。彼女は李乾の子だった。しかし、血は繋がっていない。李乾の知り合いだった女性の子だったが、その女性が亡くなり行き場のない彼女を引き取ったことで李家の一員となったのだ。
本当の家族のように、乙女は彼らと過ごしていた。彼女はまだ誰のところにも嫁いでいない。世話になった李乾の元を離れようにも、かつて母親が亡くなった時のように、居場所はなかった。
「あー……、乙女。あんまりさ、無理、するなよ」
ぎこちなく、李典は乙女に声を掛けた。彼女は悲しみを抱えながらも、侍女に混ざって家事を行う。李典の屋敷に引き取られた彼女だったが、李典が見る彼女はいつも忙しなく動いていた。
「李典様。わざわざ心配してくださるなんて……申し訳ございません」
謝罪を聞きたいわけじゃないんだけどな。李典は頭をかく。くせ毛が指にまとわりついた。
乙女のことを、小さい頃から李典は知っていた。叔父のことは尊敬していたし、そんな叔父が引き取った乙女のことを、気にならないわけがなかった。
小さい頃は馴れ馴れしいくらいに引っ付いてきて、もっと饒舌だった気がする。
ここ数年はまともに話したこともなかった。李典は戦場に出るようになっていたし、乙女は変わらず屋敷に留まり続けていた。
乙女は美しく成長していた。李典が目を見張るほどに。だがあの頃の明朗さは消えている。
育ての親を失った悲しみ以上に、時の流れというものが乙女を変えてしまったように、李典には感じられた。
「あんたは別に俺に仕えてるとかじゃないんだからさ、もっと気楽にしていても、いいんだぜ」
気楽に過ごすことがどれだけ難しいのか、李典は嫌というほど分かっている。甥の立場である自分でさえ、李乾を失ったことは辛いのだから、彼女の立場なら尚更だろう。だが辛いからといって無理をする必要などどこにもないのだ。
「私、自分が憎いんです。何も出来ない自分が。母上が死んだ時も、なにも出来なかった。父上……李乾様だって……だから、自分に出来ることをしないと、いけないんです」
そういうものかねえ。李典は半分は納得、半分は疑念といった風に首をかしげた。
乙女は自分に、自分から試練を与えているように、李典には感じられた。自分に出来ることをしているというよりは、しなければいけない、しなければ自分が居る意味がないといったように、ある種の強迫観念が彼女を支配しているようだった。
乙女がそこまで無理をして働く義務などない。何しろ、彼女は李典の屋敷の一員なのだ。家族のようなものである。李典と同じように過ごしていても、誰にも文句を言われる筋合いはない。それに、仮に彼女のことを誹る人間が居るならば文字通り首を斬ることも、李典は辞さないつもりだった。
「だからって無理するのは良くないぜ? それに、もしあんたが何もせずにいることを誰かが邪険にしたらさ、俺がどうにかしてやるから」
彼女のことを誹る人間が居るならば。李典は遠い昔にも似たようなことを経験したのを思い出した。
養子として子どもが他家に貰われることなど、この世ではそう珍しいことではない。だがそれとは別に、家族の繋がりを重んじる中で他家の人間が混ざることを内心ではよく思わない人間も居ないことはない。
乙女は家中では特に年少だったこともあり、彼女を引き取った李乾には可愛がられていた。寂しい思いをさせない為だったのかもしれない。だがそんな彼女を、李乾に取り入っている、媚びている、将来この家を乗っ取るつもりなのではないかと陰口をいう使用人も居た。
その度に李典は使用人に食ってかかった。時には使用人が乙女に浴びせた以上の罵声を言い放ったことも、殴打してしまったこともある。
幼い頃から理性的に振る舞う李典が唯一我を失ってしまうのは、いつも乙女を守るためだった。
俺が守ってやらないと。李典にはそういった義務感があった。それは今乙女が、自分にはやらなければいけないことがあるのだと自らを縛るものと同じではないのか。
はっきりとした答えは出ないような気がした。
だが、乙女を守ったのは自分の為ではない。彼女の喜ぶ顔が見たくて、気に食わない使用人達を懲らしめていたのだ。彼女が笑っている姿が大好きで、自分に懐いてくれているのが嬉しくて、自らの手で行動していたのだ。
もし、それと同じなのであれば。本当は李典に喜んで欲しくて、自らに余分な課題を課しているのだとしたら。そう思ってしまうのは、自惚れすぎているだろうか。
「……嬉しい。昔を思い出しました。李典様に沢山助けられたこと、私は今でも良く覚えています」
乙女は笑った。彼女がここに来てから、少なくとも李典は初めて見る微笑みだった。
「俺もさ、昔あんたと一緒に居たこと、良く覚えてる。だからこそ、なんだ。……乙女には、いつも笑って欲しいっていうか……なんというか、自分を思い詰めないで欲しいっていうか……」
乙女に言いたいことはとめどなくあふれ出ているはずだ。だが上手く言葉に現すことが中々出来なくて、李典はもどかしく感じた。
「李典様の言う通りかもしれません。私……いつも守られてばかりだから、悲しくても自分がどうにかしなきゃって思って、動いていました。けれどもう少し自分に正直になってもいいのかもしれません」
彼女を守っていた人間の中には、無論李典のことも含まれている。乙女に対して、過保護になり過ぎていたのかもしれない。李典は少し申し訳なさを感じた。
「けれど、特に李典様には守られてばかりだったから、恩返ししたいって気持ちもあって……私も、李典様が喜んでいるところを、見たいものですから」
やはり、李典の予感は当たっていた。同じだったのだ。李典が乙女にしていたことと、今乙女がこの家でやっていることは。それならばもう彼に乙女を咎める権利はないのかもしれない。
「……俺も同じだった。あんたが嬉しそうにしているのを見たくて、やっぱり俺のほうが年上だし、色々やってあげないとって思ってたんだ。それが今あんたを縛って、苦しめているのかもしれない……あんたにそんな義務は、ないっていうのに……」
嬉しいはずなのに、口から出るのは正反対のことだけ。ごにょごにょと、乙女から目を逸らしながら、李典は口ごもった。
乙女はそうした李典の複雑な気持ちも察しているのか、首を横に振って、彼の言を否定した。
それに加えて彼女は口を開く。
「私、李典様と話して思いました。私達、勝手に責務を抱えて苦しんでいる。けれども、全て自分の為だけではなくて、相手のことを思ってしていること。私達は似ている。……だから、上手くやれるかもしれない」
え? 小さく声を発し、李典は逸らしていた目を乙女に向けた。
「父上が、仰っていました。私を李典様の元に嫁がせるのが良いかもしれないと」
本当の、家族になりませんか。
まさかの告白に、李典は動揺した。……だが、悪いことではない。むしろ。
「……そうだ、そう、だな。家族になろう。俺たちなら全てを分かちあって、乗り越えていける」
叔父がそんなことを画策していたとは、全く知らなかった。確かに乙女と二人ならば、のしかかる義務も、重圧も、乗り越えられるだろう。
嫌な予感はしなかった。むしろ、清々しい気持ちだった。
李典は、遠い日の自分に向かって叫びたくなった。自分が守ろうとした女の子と、将来結ばれるのだと。自分には勿体ないくらい素敵なあの子と、家族になるのだと。
(20240321)