協力者の縁
先の戦で死んだある男には娘がいる。しかし、その娘は気が触れていて、周囲の者は皆気味悪がっているのだという。

一人で暮らしているというその娘の話を劉備から聞いた趙雲は、俄然興味を持った。その男は劉備に尽くし、忘れ形見を残して世を去った。ならば、彼の娘に対しても然るべき責任を負うべきだ。趙雲には持ち前の正義感がある。様子だけでも見に行くべきだ。ひもじい生活をしているのならば、自分たちと共に暮らすのも良いかもしれない。劉備にそう伝えると、彼の賛同を得ることができた。趙雲は急いでその娘の元へと向かった。

屋敷を見ても、特に不審な点は見当たらない。趙雲が訪ねると、娘が顔を見せた。

「……誰ですか」

娘の身なりは、親を亡くし一人でいるにしては綺麗だった。気が触れているということだったが、少なくとも趙雲にはよく分からなかった。

「君が乙女か。私は趙子龍。劉備殿の為に戦ったお父上のことは……悔やんでも悔やみきれないな」

見たところ、星彩たちと同じような年頃のようだ。つい趙雲は、星彩に接する時のように話してしまった。

乙女は、趙雲のことを黙って見上げているだけだった。見ず知らずの男に心を開くような娘ではないだろうと趙雲は初めから思っていたため、その態度を彼は受け入れている。むしろ、拒絶されて当然なのだ。

しかし、彼女は世間で噂されるほど、奇怪な人物なのだろうか。趙雲はそうは思えなかった。そんな時、唐突に乙女は口を開く。

「あなたは、知っていますか」

「何をだ……?」

「私たちのことです」

少しだけ、趙雲は身構えた。彼女のその噂は、この言動次第で真偽が分かるのだろう。

「誰が死んでも、誰を殺しても、意味のないことです。運命は決まっているのですから。この世界は作られたもので、私たちの戦いは誰かに見られている」

ああ、こういう事かと趙雲は納得した。戦場で様々な人間を趙雲は見てきた。彼女のように、何かがきっかけとなり錯乱し、不可解な言動をする者もいた。

だが同時に、彼女のこれは何かが違う、とも趙雲は感じた。

乙女はまるで、別世界の人間のようだ。

「君は、これまでの人生で何を見てきた? 何を知っている?」

乙女は僅かに目を見開いた。

「世界の成り立ちが私には分かります。虚言じゃありません、私はあの方が、父が死んで全てを思い出したのです、私のことも、あなたのことも、」

早口で捲し立てる乙女に、流石の趙雲も怖気付いた。彼女がただ狂っているだけならば、どれ程幸せだっただろう。その言葉が真実味を帯びているからこそ、趙雲は彼女を恐れている。人々が彼女の悪い話を広めるのも、きっとどこかでそうだと信じる気持ちがあるからだ。

「君を庇護してくれる者はいないのか? 君の言葉を受け入れてくれる人は」

「……いません。私にはあの方だけでした」

初めて年相応の悲しみが垣間見える。

「ならば。私と共に行かないか。きっと、この辺の輩よりは、私のほうが君のことを分かってやれるはずだ。君と同年代の人もいる。せめてもの慰めになれば、よいのだが……いや。流石にそれは無理だろうが、」

「行きましょうか」

その変わり身の早さに、趙雲はまたもや困惑してしまった。随分と不思議な娘だ。誘ったのは彼のほうなのに、「本当に良いのか」と聞き返す始末である。

「良いのです。私の居場所は元からないも同然。それに、あなたは私の言葉が分かるかもしれません」

私が思っていたように。そう彼女は呟いた。

こうして乙女は、趙雲の庇護下で過ごすことになった。







「趙雲様」

乙女は、時折不可思議な言動を発することを除けば、ごく普通の娘だった。

詳しく話を聞けば、彼女はあの地で相当気味が悪い存在だとされていたらしく、それには趙雲も呆れ果てた。

しかし、そう感じるのも無理はないほど、変わっている部分もあるにはあった。

その声を聞き振り返った趙雲は、すぐさま彼女の元へ駆けつけることになる。

「どうかしたのか。……何かあったのか?」

気丈に振舞っていた彼女の目が赤い。泣いていたのは明らかだ。

「私、やっぱり怖いのです。ここで一生を終えて死んでしまったら、誰が私の死を悲しんでくれるというの。私のお父さんやお母さんは、ここにはいないもの」

普段よりも幼く見えた彼女は、わっと声を上げて涙を流し始めた。

「君はまだ死なない。それに、君が父君の死を悼んだように、きっと君に関わりがある人が弔ってくれるだろう」

趙雲は乙女の背中を撫でた。彼女の父親も、このようにして宥めていたのだろうか。

「……そうじゃありません。あの方は、本当の父のように育ててくれたけど、違うのです、本当のお父さんも、お母さんも、遠い世界に、」

「遠い世界?」

よく彼女が言っている。「この世界は作られたもよだ」と。だから何をしようが無駄だと。そんな彼女が激情を表すのは珍しかった。

「私……死にたくない。作られた世界にいたくない。趙雲様、私、おかしくなんてありません。私は……」

息が乱れる。彼女の話を聞くよりも、落ち着かせるほうが先だ。趙雲は背中から手を離すことなく、ずっとそばに居る。次第に冷静さを取り戻す彼女を見て、趙雲はやっと乙女を寝台に座らせた。

「……そろそろ、君の知ることを教えてほしい」

彼女は、どこからどう見ても普通の人間だ。何の違いが、彼女をこうさせているのだろうか。趙雲は知りたかった。彼女の養育者としての義務だと思った。

「趙雲様だけにならば。私は、数年前にここに来ました。……そしてあったのが、私を娘だとして世話をしてくれた、あの方です」

「どこから来た……と、単純には言えないのだな」

「はい。私は……この世界が何か、複雑な因果が絡み合ってできているということを、あの方が……父が亡くなってから思い出しました。生きる世界は違いますが、私はあなたを知っていたのです。あなたがどんな声で話すのか、どんな場面でどのように話すのか、私は知っていました。小さい頃にそれを見たのですから。父と二人で、それを遊んで……いえ、見ていたのです」

「つまり、君は……私のことも、元々知っていたというのか。そしてこの世界こそが、誰かの手によるものなのだと言うことを知ったのか」

「はい。……だからこそあなたに着いていこうと思ったのです。あなたがどんな人間なのか、私には分かるから」

乙女は、言葉に悩みながら語っていた。趙雲は、己は気を遣われているのだと思った。彼女は、この中華の人々が知らないことを知っている。自分たちを知っている。この世にはもう一つ世界があって、そこから彼女は自分たちを何らかの術で認識していた。

俄には信じ難いが、つまるところ。彼女は己の世界に帰りたいだけなのだと趙雲は思った。

故郷に帰りたいという気持ちは、趙雲にも分かる。彼もまた、長い旅をしているようなものだった。

その旅もまた、手の届かないところで誰かによって、運命ごと仕組まれたものだというのならば。趙雲は、抗うのも悪くないと思う。

「私には、君の言うことを全て理解することはできないだろう。しかし、共に歩むことはできる。違うか?」

「……はい」

彼女は元の地に帰ることを望んでいる。本当の父母に再会出来ることを望んでいる。

そのいずれも、趙雲の力では成し得ないことだ。

それでも、彼女を離したくはないとどこかで趙雲は思ってしまった。

「乙女。君の運命を、私も共に受け入れさせてくれ。君が望みを叶えるまで、私が君の槍となろう」

それは趙雲に芽生えた父性のようにも、はたまた違ったものにも思えるものだ。

「やっぱり、趙雲様はお優しい人ですね。ずっとそれは変わらないわ」

泣き腫らした目を擦って、乙女が微笑んだ。






元の世界へと帰る手がかりは、一向に掴めなかった。ただ時だけが過ぎていく。

乙女は変わらずに趙雲の傍にいる。

彼女はあれから、己のいた世界の話をしなくなってしまった。未来を知っているかのような素振りを見せる彼女に聞きたいことはいくつもあったが、趙雲は言い出せなかった。

それほど、彼女がこの世界に馴染んでいるように見えたから、という理由もあった。彼女が故郷を今も渇望しているのか、分からなかった。

「私の、この地における父のことを、私は知らなかった。私が知る、この作られた世界には『居なかった』から。きっと、私の死もそうなるのね」

先の戦いで、多くの人が死んだ。その死に対する恐れは、再び彼女を地の底に落とすような衝撃を生み出すかもしれない。趙雲は、彼女がただの人であり、当たり前のことに畏怖しているだけの娘だと知っている。誰もが死を恐れている。

「でもね、趙雲様。……私の死は、元の世界では誰にも知られることはない。未だに両親は私のことを探しているでしょう。それでも、もう良いと思うようになってきました」

「なぜ?」

それが良いとも悪いとも、趙雲には判断できないことだ。ただ趙雲は、最早乙女は自分にとって特別な存在だと感じるようになっていた。

彼女の父で兄であるという趙雲の自負だけが、そうさせている訳ではない。

「私が死んでも、趙雲様だけは悲しんでくれるだろうから……趙雲様?」

趙雲が、乙女の手首を強く掴んだ。白く細い腕だ。乙女は痛みに顔をしかめ、趙雲を不安げに見た。

「あ、ああ……すまない」

手を握る力が弛んだ。

「私を置いていくなんてことは考えないでくれ。私は、君と秘密を共有している唯一の男なのだから……」

趙雲は怖くなった。彼女が死んでしまったとして、平常でいられるというのか。

「……はい」

「君には、私よりも長く生きてほしい」

「……」

自分が居なくなれば、彼女はきっと頼るべきよすがを失ってしまう。それでも、彼女を失うことの方が何よりも怖いのだ。彼女に触れ、その存在を確かめなければならないほどに。

「私は臆病なのかもしれないな。君が話してくれたこの世界のことを、誰かに話そうとは思えないのだ」

「私も。趙雲様以外には、もう誰であっても話す気がなくなってしまいました。なぜなのでしょうね」

見えない鎖で繋がれているように、乙女と自分はどこかで結びつけられている。作られたこの世界で何をしようが、世界の監視者には何の影響ももたらすことはない。

それならば、だ。例え彼女が帰る方法が見つかったとしても。帰すことを許せる自信が趙雲にはなかった。帰さなくとも、この世界には何の不具合もないからだ。

「これもまた、私の因縁なのかもしれないな」

それ以上、彼女に触れることが趙雲にはできなかった。できないままだった。

関係を深めることも、不可能ではなかった。それでもついに何もできなかったのは、彼女のことを妹や娘のように思っているからではなく、彼女を異質なものとして無意識下で捉えていたからかもしれない。それでも、自分だけに世界の秘密を話してくれた彼女が自分を選んだという事実に対して、趙雲は酔いしれている。

「趙雲様を選んで良かったと。そう思えることが、この世界において私が唯一安堵したことです」

「……そうであるなら、二度とあのようなことを言わないでくれ。私は、君を失いたくはないのだから」

彼女は知らない。趙雲が仄暗い執着心を持ちつつあることを。それを生み出してしまったのは、全て乙女の行為にあることを。

(20260725)
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