太陽が燃えている
※エンパ設定として読んだ方が良いかもしれません

ただ、綺麗な戦い方をする人だと思っていた。轡を並べて突き進む、頼もしい味方ではない。その人は敵だった。ただ軍師として裏から戦を操る自分には、敵でないとしても到底釣り合わないのだろう。

陸遜はそうして、敵国の女性である乙女への思いに蓋をして過ごしていた。彼女のことを見かけたのは、たった一度だ。戦では何度も、その名と武勇を嫌という程聞き、思い知らされていた。だが姿を見たのは一度だけだった。

たまたま陸遜は戦場の前線に歩みを進める機会があった。それでも彼女の姿をはっきりと目視できた訳ではなかったが、はっきりと見えていないにも関わらず陸遜の心を鷲掴みにした。

自軍の兵が倒れているにも関わらず、彼女の描く刃の軌跡は舞のようで見惚れてしまう。鮮やか、見事というほかなかった。

彼女のことを見たのは、それが最初で最後だ。

彼女はまだ生きているのだから、また機会は訪れるはずだ。だが陸遜は、もう一度会うのが怖いと思った。彼女は美しいが、そこには悲しみの雨が降り注いでいるかのようだった。孤独を纏っているかのようだった。何のために戦っているのだろう。自らにも戦う理由がある。だが彼女の戦っている理由を知れば、より彼女にのめり込んでしまいそうだった。それが怖かったのだ。

そうして、陸遜は彼女のことを毎日のように想った。彼女への想いは日に日に強くなる。春に可憐な花が咲けば、彼女ならばこの花も似合うだろうと考えた。冬になれば、共に火に当たって暖まりたいと思った。一度も話したことすらない女に対してなぜそのように肩入れするのかと自問自答することもあった。けれども一目見て綺麗だと思ったのは真実であるし、自分にはどうにもならない事だった。だから、どうにかして自軍に引き入れたいとも思った。そうすればこの滾る思いが落ち着くのかもしれなかった。

そんなある日、次の戦に彼女が出陣するのだという情報が入った。

彼女を自分のものにする。そんな言い方は野蛮だと陸遜は自らを汚らわしく感じた。女性をもののように扱うのは性分ではない。それでも彼女が降ってくれたのならば、それ以上の喜びはないだろう。

戦は苛烈を極める。陸遜の率いていた軍勢も兵の負傷は激しくなった。彼は火計が得意で自信があったから、今回も同じように敵軍を火の海の中に葬ろうとした。それは、まるで太陽を燃やしているかのようだった。

燃えている。草木も人も、燃えてしまえば全て同じだ。陸遜はもう火計を仕掛けるということに罪悪感はなかった。軍師なのだから、卑怯な手を使うのは当たり前だからだ。

彼女は耐えかねて降伏するだろうか。いや、降伏してくれないと困る。降伏という生ぬるいもよよりも、きっぱりと殺してしまったほうが後々のことを考えると良い事であるのかもしれなかった。だがそれだけは陸遜の頭からすっかり抜け落ちていた。彼女の命を奪うなど、考えられなかった。

抜け落ちていたのが、いけなかった。

彼女と、彼女が率いていた少数の兵はどう突破したというのか、炎の中をくぐり抜けて陸遜の元にやってきた。

その目は燦爛としていた。

陸遜があの日彼女を綺麗だと思った日と、同じ目をしていた。彼女は何も変わっていないのだ。むしろ、その目はさらに輝きを増しているようだった。

陸遜はもう動くことが出来なくなった。まるで鎖で体全体を縛られているかのように。彼女が迫ってくる。彼女のもつその剣は赤黒く塗れていて、太陽の光を浴びて輝いている。

ただならぬ彼女の様子に、何も陸遜は言うこともなくただ立っていた。だがそんな主の様子もまた尋常ではなかったから、陸遜旗下の兵たちは武器を構えた。指示がないものだから、構えるだけでどうすることもできない。

そうした状態が続き、彼女は毅然として言い放った。

「我らは降伏する」

相変わらず、その目は光を失っていない。

その声に陸遜は我を取り戻したが、なぜ彼女が己の命を奪わないのかを理解することはできなかった。ここまで近づいておきながら、なぜ。だが彼女が降伏するということを望んでいたから、心の中では歓喜していた。

「その決断に、敬意を表します」

陸遜は極めて冷静にそう言ったつもりだったが、微かに笑みが溢れ出ていた。間近で見る彼女も、相変わらず美しかった。




「なぜあの時、私を殺さなかったのですか。あなたならば簡単にできたはずです。何しろ、あの時の私はあなたに目を奪われていましたから」

陸遜は自分の傍らにある乙女に尋ねた。彼女はあれから、陸遜たっての希望で彼の指揮下のもと戦っている。

本当は、妻にでもしたかった。それも、今すぐに。だが陸遜はその一歩がどうしても歩み出せなくて、こうして上官と部下というだけの関係に甘え続けている。

それに、彼女の美貌をこの目に映し出すことができたのならば、必ずしも夫婦という関係を結ぶ必要はないのではないかと思っていた。

「わたくしは、亡き夫のために戦っていました。彼と過ごしたのはほんの僅かでしたが」

陸遜にとってそれは初耳である。

敵国の人間である彼女の素性は、軍師である陸遜ならば嫌でも情報が入ってきた。だが夫が居たということは知らなかった。きっと、それ程までに短い間のことだったのだろう。

「亡き夫は、主のために尽くしていました。わたくしも彼とともに国の発展へと力を注いでいました。夫のためだと思えばどんなこともできた。彼は戦場で果てましたが、その思いはわたくしがいる限り失われることはないと思っていましたから」

そんな彼女が我が軍に降った。陸遜はそれがどうしてなのか、見当もつかなかった。ただ彼女の瞳の輝きは、それでいて悲しみの雨の下にいるかのような姿は、亡き夫を想ってのことだったのだろう。

自分ではない男を映すその瞳に、自分は魅入られていたのだ。陸遜はなんと愚かなことをしていたのだと思った。

「ではなぜ、私達に対して降伏を……? あなたは亡き夫のために、武名を上げていたのではないのですか」

「戦死したと思っていた夫は、そう装われていただけで本当は主によって殺されていたということが分かりました。だから、わたくしは降った。彼の仇を取るためには、あなたの力が必要だと思ったのです。あなたの元にいれば、わたくしは復讐を遂げることができる」

だからあの時の彼女の瞳に、私は囚われていたのだ。彼女の瞳が、あまりにもきらきらとしていて、私は戦場だというのにただ立ち尽くすしかできなかったのだ。

陸遜は朧気ながらそう納得することができた。同時に、決して自分に振り向くことがないであろう彼女の本当の思いを知って、人知れず落胆した。だが同時に、彼女を受け入れた時に妻にしたいなどと先走らなくて良かったとも思った。そうすれば今の関係は築けていないだろうからだ。

「私は何としてもあなたを迎え入れたいと思っていました。あなたの力の源は何なのだと想像を巡らせたこともありました。共に戦えばどんなに嬉しいことであろうかと、何度も思いを巡らせました。ですがあなたをあなたたらしめている源は、想い人だったのですね」

「陸遜殿……あなたにそう評されるとは、光栄の極み。あなたの言うように、わたくしは亡き夫のことを今でも忘れることはできません。彼のために戦っているのですから」

陸遜が乙女に囚われているように、彼女の心は故人に囚われているままだ。

陸遜にとって、彼女のその思いを断ち切る権利など存在しない。彼女は私怨を抱えているとはいえ陸遜に対して忠実だったし、規律を守って戦っているのだから何も言うことはなかった。

だが陸遜は、だからこそ……彼女のことを案じた。復讐を遂げることができたあかつきには、彼女の美しい立ち振る舞いやそこから醸し出される優美さ、そして瞳の輝きが失われてしまうのではないかと。

事実、彼女が復讐をする機は迫っている。彼女が自身の手で仇を討つのはそう遠くない。陸遜は危惧していた。復讐を遂げた人間がどうなるのかを、陸遜は未だ知らないのだから。




「陸遜殿。……やはりわたくしは、あなたに着いてきてよかった」

陸遜が駆けつけたとき、彼女は既に「終わらせて」いた。

彼女の仇だという、かつての主。その主に刃を向けるという手段を彼女は選んだ。陸遜は何も言わなかった。ただ軍師として、いつものように指示を出しただけだ。彼女に対してもそれは同じだ。仇を取れとも、取らずともいいのだと、何も言わなかった。

だが、この戦の混乱の中、彼女自身の手で仇を討つことができなくてもそれはそれで良いのではないかと陸遜は思っていた。考えたくはないが、彼女の輝きを失うのが恐ろしかったからだ。

だが彼女は、陸遜に対して忠実でありながらも、自らの判断で仇を討つという選択をした。彼女の足元には事切れた男が倒れている。だがそれは怒りに任せたまま剣を振りかざしたようには見えなかった。的確に急所だけを切り裂いているようだった。

「乙女殿……ついに、やり遂げたのですね」

陸遜は彼女の血に濡れた手を掴んで、その汚れも痛みも全てを分かち合いたいと思った。だがそんなことはできないと思ってしまうのは、彼女の亡き夫に対して引け目があるからなのだろうか。

「わたくしは、仇を討つことができたならば……もう、自刃してもよいと思っていました。亡き夫を守れなかった自分自身にけじめを付けるために。けれど、あなたの元にいれば、まだ自分は生きていても良いのではないかと……そのように思える気がしたのです。その予感は、間違いではなかった」

その瞳は、変わらずに光を宿していた。

「あの時、我が軍は炎に包まれた。その炎の向こうに、あなたはいた。……あなたの瞳は輝いていた。太陽のように……わたくしも、太陽のように輝く道を、歩みたいと思った」

奇しくも。奇しくもあの時、陸遜が彼女に抱いたように、彼女も陸遜の瞳に惹き込まれていたのだ。

「……あなたは、今までもずっと、輝いていましたよ。それはまるで、太陽が燃えているかの如くに。私は、あなたのそんな部分が……目に焼き付いて、離れませんでした」

あなたはずっと綺麗なままでいる。そんな簡単なことにすら、あなたは気づいていなかったのですね。私は一目見たときからずっと、あなたの虜だったというのに。私はずっと、あなたのことが好きだったのです。それは今もです。

陸遜はその想いを伝えようかどうか迷った末に、結局伝えることはなかった。

ただこれからも、彼女は自分の隣にいる。輝きを失うことなく。焦る必要はなかった。

それに、亡き夫の仇を討つという宿願を果たしたばかりの彼女に告げるのは、あまりにも時期尚早であるだろう。

「……わたくしの瞳も、輝いていたのですね」

そういう彼女は、なぜだかいつもよりも幼く見えた。いや、もしかしたらこれこそが彼女本来の姿なのかもしれない。

いくつもの涙をこらえ、夜を超えてきた彼女は初めて、その重荷を降ろすことができたのだろう。

「瞳だけでなく、あなたの心の中も。そして、私の心も……太陽が燃えているのでしょう」

陸遜は手を差し出した。彼女がそっとその手を掴む。

もし生まれ変わっても彼女ともう一度会いたいと、陸遜は思った。彼女の手のひらは暖かかった。

(20240608)
mainへ
topへ