忘れかけていた一欠片
武器を持ったいかつい男に囲まれるなど、冗談ではない。そう思ったからこそ、乙女は己の心に浮かんだ気持ちを隠すことなく大声で叫んだ。

「冗談じゃないわよー!」

それは金切り声のように高く、聞く人によっては不愉快に感じるものだった。

だが乙女を囲む兵士は流石というべきか、全くもってびくともしない。それどころか、槍の穂先をさらに彼女に近づけた。

「私を殺しても、なんの意味もないんだから!」

乙女の声は大きい。あまりにも大きく、それでいてよく通る。武器を向けられているにも関わらずこの声量を臆せずに出せる彼女は、怖いものなしのようだ。とはいえ手を伸ばせば触れられそうな場所にあるのは紛れもなく人を殺すためのもので、叫んだからといって生きて帰れる保証はない。

「お前たち、何をしているんだ。その武器を下げろ」

男がそういうと、乙女に槍を向けていた複数の兵はすぐに武器を下ろした。

なんと優しい人なのだろう。乙女は状況を把握し切る前に男の元に駆け寄る。

「私、何にも分からないんです!」

乙女はそれまでよりもさらに大きな声を出して、男の傍に駆けた。周りの兵たちは相変わらず不審な目を彼女に向けている。

「お前は……いや、あなたは!」

「あっ……呂蒙さん! 助けてください!」

呂蒙は騒ぐ乙女を一瞥した後、驚愕した。そうして改めて兵士にてきぱきと指示を出して、わめく乙女を連れていった。呂蒙は何やら声にならない声を上げている。

なんだったのだ、あれは。乙女を取り囲んでいた兵士はそう思ったことだろう。呂蒙ですら、はっきりとは把握しているというわけではなさそうだった。だから、事情を知らない兵たちがことの経緯を知ることは不可能だった。




「どうして、あなたはあんなところに居たんですか」

呂蒙は頭を掻きながら尋ねた。乙女は椅子に腰かけて足をぶらぶらとさせながら彼を見上げている。

「分からないですよ、そんなの。あたし、やっも帰れたと思ったのに。というか、帰れたんです」

「だが、結局ここにいるではありませんか」

「そうなんですよねえ」

呂蒙は頭を抱えた。

乙女は遠い未来からやってきたのだという。到底信じることは出来なかったが、呂蒙は彼女と接するうちにそれが真実なのだと信じ始めていた。

初めて彼女と会った日も、同じように事情を知らない兵士たちに囲まれていたなと呂蒙は苦笑いする。

元の時代に戻る方法が分かったと嬉しそうに話す彼女を見るのは、少し心が傷んだ。だがそれでも呂蒙は運命を受け入れると決めた。それは大層な覚悟が必要だった。だが彼女はどういうわけか、再びここにいる。

「でもさ、呂蒙さん。あたし、もう一度呂蒙さんに会えて嬉しいよ」

乙女はけらけらと笑う。彼女としてはいつものことだったが、呑気なものだった。

「あなたは、本当に仕方のない人だ……」

呆れる呂蒙を前にしても、乙女は笑顔を崩さない。あんなに帰ることを喜んでいたのに、再びこの世界に逆戻りしても何とも言わない彼女の強さには度肝を抜かれるばかりだ。

「呂蒙さん。あたし、ずっと聞きたかったことがあったんだ。今思い出した」

ずっと聞きたかったのに、今思い出したとは、それだけでもう矛盾しているではないか。呂蒙は内心そう思ったが、ここで声に出しても反発の声、それも耳をつんざくような大声が返ってくるだろうと思って何も言わなかった。

「なんで私に敬語使うの。あたし、呂蒙さんよりも年下だし、偉くもなんともないよ」

呂蒙は彼女の疑問に対して、明確な答えを持っていた。それは彼女が帰るのだと打ち明けたとき、心が傷んでしまった理由にも直結している。

昔、あなたにそっくりな女性に、憧れていたんです。

そのようなことを、言えるはずがない。きっと乙女は、いつものような大声でそこら中に言い触らしてしまうだろうから。

「客人を持て成すのに、無礼な言葉を使う人間などいませんから」

呂蒙が今この時考えた言い訳を、乙女は対して大きな反応をせずに受け入れる。

黙ってさえいれば、本当にそっくりなのだが。呂蒙は未だ手足をしきりに動かす乙女を見て思うのだった。

(20240617)
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