生きる。
「桜、綺麗ですね」

乙女はそびえ立つ大きな桜を見あげて、隣に立つ張遼に語りかけた。

「不思議なものだな……まだ春ではないというのに、咲き誇っている」

冬の寒さは続く。まだその寒さは入口とも言えるだろう。普段ならばまだ芽も出ていないだろう桜の花は、満開を迎えていた。

戦いは終わっていないが、人々の心から自然を愛する気持ちが消えた訳ではない。束の間の休息を、乙女や張遼達は味わっていた。

三國と戦国が混じりあってからというものの、既存の地に奇妙な光景が見られるということが増えてきたらしい。

例えば長谷堂には海と砂浜、戦国や三國の人々には馴染みのない建造物が出現しているし、姉川も同様だった。

それらに比べれば、季節を違えた桜の花など、可愛い部類に入るだろう。

「乙女殿。如何なされた」

ふと張遼が目をやれば、乙女は今にも泣き出しそうな顔をしている。張遼はそう感じたが、いきなりありのままを伝えるのもはばかられるような気がした。

「桜を見ると、思い出します。……桜が嫌いだと言った、友人が居るのです」

義に篤い友人の顔を思い浮かべて、乙女は言った。 乙女は戦国の世に生きる人間だったが、秩序を失ったこの世界では三成と共に魏軍の一員として戦っていた。その縁があって、張遼と共に行動している。それは大蛇の出現により人間が壊滅的な被害を受けても尚、変わらなかった。

「……その者は、今」

張遼は、恐る恐る尋ねる。かぐやという仙界から遣わされた少女の力により、時を超え絶望の未来を変えようとする人間が居る。だが、全ての人間がその能力により救われるという事ではないのだ。張遼の主君でさえも、今は行方が分からない。

「分かりません。もう、暫く会っていない上に、世界はこんな事に……でも、希望は持たないといけない」

風が吹いた。桜の花びらがひらひらと舞う。戦乱の中で、戦を知らぬ桜の木は堂々と立っていた。

「……その友人は、桜の散り際の美しさなど、妄想なのだと言いました。散るからこそ美しいなど、間違っていると。それは桜の花だけではありません。人も同じなのだと。死んで意志を残すのではなく、生きてこそ、咲いている姿こそ美しいのだと……そう、あの人は言いました」

恥じて死ぬより、生きて恥を雪ぐ。乙女が語る彼女の友人の言葉は、張遼が心に刻んでいる思想と似ているような気がした。

「その気持ちがあるのならば、きっと生きているだろう」

自分がそうであるように。乙女は張遼の、饒舌ではないが説得力のある口ぶりに安堵したようだった。そうですよね、きっと。生きていますよね。空を見上げながら、遠い地に居るだろう友人と自分に言い聞かせた。

「私は、死ぬのならば潔く死にたい。最期まで凛とありたい。いや、あるべきである。それを、かつての主君に向かって説いた事がある。だが彼は死に、私は生きた……私は思い知ったのだ。まだあの頃の私は、恥であったと」

「あの、その主君って……」

知らないはずがない。張遼の主君が呂布であったということを。

だが呂布はこの世界でも自らの力を奮い……例えば呉軍とも敵対していたことがある。

「この世界は、不思議なことばかりだ。私は呂布殿の死を越えて、生きていた。曹操殿の刃として。……だがこの世界には死んだはずの呂布殿が居た。だが私以外の者はそれを誰も指摘しなかった。まるで私だけが異なる世界からやって来たようだった」

下ヒの戦いの後、死んだはずの呂布が生きていた。少なくとも、張遼にとってはそういった認識だった。乙女も、彼の放つ武の凄まじさの噂を聞いた事がある。

死んだはずの人間がこの世界に居る。確かに、乙女もそのような話を聞いたことはない。

だが乙女も、張遼と同じような葛藤を味わっているのだった。

「……張遼殿もでしたか。このような不可解な現象の渦中に立っているのは。私も、同じような気持ちを味わいました。だから、桜を見れば悲しい気持ちになるのです。あの頃の、元の世界のことを、思い出すから……」

乙女は、自分が何故友人の話を張遼にしたくなったのか、今まで分からなかった。桜を見るだけなら、何も言う必要はない。張遼と共に過ごしてから時が経っているが、元の世界の友人の話など、した事がなかった。

だが、張遼と自分は同じものを抱えているのだ。だから、話したくなったのかもしれない。

「乙女殿……」

呂布は、大蛇出現後の今、何をしているのだろうか。だが彼のことであるから、やはり生きているのだろうという気が、張遼にはあった。

きっと乙女も、同じような思いを抱えているのだろうと張遼は思う。乙女の友人のこのような話は初めて聞いたし、驚きもあった。だが同じような境遇である自分に話してくれたことを、心から嬉しく感じた。

「その友人が桜を嫌いだと言ったのは、彼と親しかった人間が……私とも交友があったんですけど……桜のように、散ってしまったからです。岩のように固い意志を残して。でも、この世界では未だに咲き誇っていた。友人は、自分が桜を嫌悪していると言ったことなど、忘れているようでした。初めからそんな事など思っていないように」

幸せと言って良かった。この世界は。乙女は絞り出すように声を発した。

だからこそ、怖いのだ。

不思議な均衡を保つこの世界が壊れることが。本当に大切な人間が桜のように散ってしまったら。元の世界に戻った時、この世界で過ごした日々は泡のように消えていってしまうのか。乙女は、思いの丈を全て吐き出した。張遼は黙って聞いている。この沈黙が、心地よかった。

「私も同じだ。……この世界は、どこかおかしい。だが、護らねばならぬものだ。……そなたの為にも、そなたの大切な人間の為にも」

張遼殿は優しいなあ。乙女は落ちてきた桜の花びらを掴みながら、そう呟いた。

彼も、乙女のように複雑な内情を抱えているというのに。

「張遼殿も、私にとっては大切な友人ですから。精一杯戦いますよ。……呂布殿だって、曹操殿だって、生きてるんですから、きっと」

それは自己暗示のようなものだった。だがこの絶望的な状況の中でも、桜を見る事のように小さな幸せは転がっている。

「そなたが居ることで、本当に心強く感じる。……共に生きよう、生き延びよう」

同じような道を辿ってきたのだから、同じ道を辿って生き延びよう。張遼のその言葉に、乙女も感化されたようだった。

乙女と同じように、元の世界に戻れば、再び喪失感に苛まれるかもしれない。曹操の刃として生きることに変わりはないし、忠誠心は揺らがないだろう。だが、呂布の鬼神の如き戦いぶりに、再び魅せられたのは事実なのだ。

だが、まずはこの、大蛇の出現により再び変容を迎える世界で生きなければ、話にならないだろう。桜のように散るのではなく、その幹のように生き続けたいものだ、と張遼は思った。

「戦いが終わったら、もう一度この桜を見に行きましょう、張遼殿。その頃なら、私の気持ちも変わっているかもしれない」

張遼は頷いた。彼女が何を言いたいのか、これ以上語らなくても分かっていると言いたげだった。

戦いがいつ終わるのかは分からない。だが再び桜を見る頃には、心境が変化しているだろうという予感が彼女にはあった。

きっと友人は生きている。それに、張遼も居るのだ。

私は張遼殿の刃になろう。張遼が曹操の刃であるように。そして、再び桜を見るために。乙女は決意を固めた。早く戦が終結することを、祈りながら。

(20240412)
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