流れるままに
乙女は現代からやってきた少女だ。得体の知れない存在であるということは、皆が知っている。孫呉の人間は絆を重んじているだけあって、直接的に彼女を悪くいうような人間は居ない。だがそれでも腫れ物に触れるかのように乙女を扱う人間もいる。

自分だって、自分の家に大昔からやってきたという変な格好をした人がいれば気持ち悪いし、関わりたくないと思う。

乙女はそう自分を納得させてはいるが、ここは乱世である。いつ死ぬかも定かでない中で疑いの目を向けられるのは、はっきりいって居心地が悪い。

「お嬢。このようなことをするのは、きっと初めてではないか?」

そんな中で、黄蓋は乙女をお嬢と呼ぶ。そのような呼び名は、自分のような庶民ではなく孫尚香のほうが相応しいのではないか。そう思いながらも、そんな大層な名で呼ばれるのは嫌いではないと、乙女はどこかで感じている。

彼は、そこら辺にいる孫呉の人と同じように、分け隔てなく乙女に接している。なぜかは分からないが、わざわざ聞くのも野暮だと思って素直に受け入れていた。黄蓋が親しげに話す様子に感化されたのか、それから乙女への態度を軟化させる者もいた。

今もこうして、度々乙女に誘いを持ちかけている。断る理由もなかった。

「うん。私、船に乗るの初めて。それも、黄蓋さんが漕いでくれるなんて。それ、重そうなのに」

黄蓋は豪快に笑った。漕ぐのには大層力がいるはずであるが、彼は軽々と漕いでいる。川が流れる音、髪を揺らす涼しい風。全てが初めて体験することだった。

「これくらい軽い軽い。お嬢がそうやって喜んでくれるならば、わしはこのまま朝まで漕ぎ続けるぞ」

朝まで漕ぎ続けたならば。きっと孫呉ではなく他の国にまで行ってしまうのだろう。

乙女は不思議な気分だった。元々居た場所では、そんなことは有り得なかった。戦乱とは無縁だったし、乙女は生まれた国から一度も飛び出したことなどなかった。

「本当に、どこか遠いところまで行けたら……私を素直に受け入れてくれる人ばかりだったり、するのかな」

黄蓋のことは、頼れる大人だと乙女は思っている。孫堅もそうだ。だがどうしても、元の世界のことを思い出してしまう。元の世界では、それなりに、慎ましいながらも幸せに生きていた。運が良かっただけかもしれないが、友人にも仲間にも恵まれていた。

幸せに生きていた代償なのだろうか。たった一人でこの地に放り込まれたということが。その答えが乙女に与えられることはない。

「そのような暗い顔をするな。何だったら、わしがずっと面倒を見てやるから、な?」

だって、黄蓋さん。私よりも早く死んじゃうでしょ、きっと。そうなったら私、生きていけないよ。

そんなことを言ったとして、黄蓋が素直に受け入れるだろうとは、乙女は到底思えなかった。

百歳でも、二百歳でも生きてやるのだと、真面目に意気込む様子が目に浮かぶ。

だが乙女がこの世界にやって来たこと自体が非科学的で、有り得ないことなのだ。

ひょっとしたら。微かな期待が、乙女に芽生えた。期待するくらい、いいじゃないか。

「そういうことなら。お言葉に甘えたいかも」

乙女が微笑むのを見て、黄蓋も破顔した。

川の流れは緩やかだ。二人の心の動きも、川のように穏やかな一時だった。

(20240616)
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