てんとう虫が笑ってる
「私ってさ、結婚……したほうがいいのかな」

「結婚? なんだって急に」

凌統は面食らったようにして乙女の顔を見た。凌統にとって乙女は幼なじみだ。お互いがお互いに気を遣うことなく過ごすことができるから、戦場ではよく一緒に組まされてきた。

乙女はただの幼なじみだが、昔からいるせいでいつまでも子どもであるかのように凌統は感じていた。年は凌統のほうが少し年上であるし、どうも過去の記憶というものはなかなか消えない。久しぶりに見た人に対しては成長したな、とな老けたな、とか思うものであるが、こうも毎日のようにいると、少しずつの変化には気が付かないものだ。

だから、乙女が結婚という言葉を口にした時、凌統は顔には出さないが本当は激しく動揺していた。顔に出ていないと自分が思っているだけで、出ていたらどうしようか。凌統はそう思ってひやりとしたが、乙女はああいう物言いをしたにしては凌統の顔など全く見ていなかったから、彼はほっとした。

「ん……なんか、孫権殿に言われたんだよね」

「何を」

「結婚のこと」

「……」

凌統は食い気味に問うたが、結局は振り出しに戻ったようなものだった。

つまり、乙女は孫権から縁談を持ち掛けられたのだろう。今まで凌統が知る限り、乙女がそのような提案を持ち出されたということはなかったはずだ。初めてのことであるから、こうして乙女は幼なじみである自分にわざわざ疑問を投げかけたのだろうと凌統は納得した。

乙女はよくよく考えれば年頃の娘であるのだから、そういった話が出てくることは何らおかしいことではない。

結婚という人生の節目、大切な決断に関しての悩みを自分に相談する。凌統はその意味を考えた。幼なじみとしては、名誉なことであるに違いない。大切な友人の助けになるのは、悪いことではない。

だが、凌統は自分の中に何やら良くないモヤがかかり始めたのを自覚した。

「結婚のことを持ちかけられたってことは、殿から相手を紹介されたってことかい」

「まあ、そんな感じかな」

良くないモヤがかかり始めただけではなく、焦りの感情も凌統に芽生え始める。

何を焦っているのか。何が気に入らないというのか。凌統は自分に尋ねたが、その理由は明白である。

乙女が何処の馬の骨とも分からぬ男に取られてしまうのが嫌なのだ。なんと幼稚で、身勝手な考えだろう。凌統は単純に、嫉妬していた。顔も名前も素性も、何も知らぬ人間に。そして、そんな話を乙女に与えた孫権に対しても、並々ならぬ怒りを覚えた。

今だけは許してください、殿。俺、乙女が嫁ぐなんて、考えたくもないんですよ。

もしこの場に孫権が居たならば、凌統は恥も捨ててそのようなことを口走っていたに違いなかった。

「……だからさ、私、結婚したほうがいいのかな。公績はどう思うの」

「俺は……」

凌統は言い淀んだ。正直に言うと、結婚してほしくなどない。だが自分が不用意な発言をしたせいで乙女が生きづらくなったとしたら。それこそ、凌統は自分自身が許せなくなってしまうだろう。

「……いや、乙女。その相手って……どんな男なんだい?」

だから、先走る前に縁談の相手とやらを聞いておくべきだと凌統は思った。その相手が取るに足らない男ならば、彼は迷わずに「俺にしなよ」と言うことができるという自信があったのだ。

見ず知らずの男よりも、ずっと乙女を見てきた俺の方が、幸せにできるっつうの。

そんなことは間違っても口には出せないが、とにかくそれほどの思いが凌統の中で広がっていたのだ。

「皮肉屋さんだけど、私には優しいよ。……というか、私のことを一番知ってるんじゃないかな? 何だかんだで、ずっと一緒だし……孫権殿は流石だなあって思ったけどね。ほら、それでも私だけじゃ決められないでしょ」

「それって……」

俺じゃないか。悪戯っぽく笑う乙女を見て、凌統は確信した。凌統が彼女の言葉の意味に気づいたということを乙女も勘づいたのか、彼女は心底嬉しそうに笑った。可愛らしい声が凌統の耳を刺激する。

「ね。……結婚、したほうがいいのかな」

それだったらさ、初めからそう言ってくれよ。

凌統は自分自身に嫉妬していたのだ。そして、孫権の目は節穴ではなかった。そう思うと、馬鹿らしかった。けれど、嫌な気持ちにはならなかった。凌統も気づけば乙女の声につられたように笑い出している。

「結婚、するべきだよ、あんたは。俺が幸せにするからさ。どんな男なんかよりも、俺が」

恥ずかしいと思っていた言葉が、心に留めておこうと思っていた言葉が、次々に音となってこの世に顕現する。

「大好きだよ、公績」

しどろもどろになりながらも思いの丈をぶちまけた凌統に対して、乙女は小さい頃から変わらない、しかし大人びた笑みを浮かべて言った。

いつものように皮肉で返そうかと凌統は思ったが、自分にはもうそんな余裕がないということも知っている。

「あんた、可愛いよ。……好きだ。……ああ、何にも言葉が浮かばないね。思ってたよりも、ぞっこんだったみたいだ」

(20240614)
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