気づかないでください
乙女は、孫策の双子の妹だった。小さい頃から兄と同じように武芸を磨き、どんなときでも共に居た。性別が異なるという点を除けば瓜二つだったから、同じ人が二人いるかのようだった。

「策」

「うん? なんだよ」

そんな中で忙しく動くのは、孫策も乙女も同じだ。なんといっても、孫策は近々結婚する。それも、孫策には勿体ないくらいに可愛らしい女性で、彼女をこの男が娶るのは申し訳ないくらいだ、と乙女は思う。

そういうわけで、乙女も準備に駆り出されているのだ。孫策が結婚するというのに、君はまだしないのか。周瑜は彼に似合わぬ下世話な言葉を乙女に言ったことがある。しかしそういうことを言われて怒るような間柄ではないし、乙女も周瑜に対しては遠慮なく全てを話すことができる。今まではそうだった。

だが乙女にしては珍しく、その時の彼女は本音を言うことができなかったのだ。

「私みたいに戦場で暴れる女なんて、誰も嫁にしたいと思わないでしょ」

と言ったものだったが。本当は、少しばかり違った。

孫策は双子の兄で、それ以上のものではない。だが小さい頃からずっと一緒だったのだ。彼と共にいるのは当たり前で、その当たり前を自分から崩すのが怖かっただけだ。例え孫策が結婚するのだとしても、乙女に同じような決断ができるとは、どうも彼女自身は思うことができなかった。

孫堅にも、嫁入りの話は何度もされた。女なのだから嫁ぐべきであるとは思っていても、最早魂で繋がっているといってもいい孫策から離れるのは、やはり考え難いものだった。

つまり、乙女は孫策を支えるために独身を貫こうとしているのだ。孫策は好きなように暴れてくれればいい。彼が好きなように動いているのを見るのが好きだからだ。彼と好きなように駆けるのが、彼といるのが好きだからだ。全く対等の立場であり、なおかつ尊敬に値する人間は、彼しかいないと乙女は思っていた。

そんな孫策が結婚する。仕方のないこととはいえ、乙女の心は沈んでいる。

親離れならぬ、兄離れというべきか。双子の分際で彼を支えようなどとは、傲慢な考えだったのかもしれない。彼を支えるのは妻である人間のほうが相応しいのだろう。それがこの世の理なのだ。

「結婚、おめでとう」

「なんだよ急に。何度も聞いたぜ?」

「本当に、おめでとう」

「……まあ、お前に言われるのは満更でもねえけどよ。何回聞いてもな。ありがとな」

「うん、おめでとう」

乙女は何度も何度も、おめでとうと言った。なぜ何度も言いたくなったのか、分からない。それは言葉として表すには少しばかり不完全な感情で、頭の中で考えるよりも先に唇が動いていた。そろそろしつこいぞ、いい加減にしろとの呆れた声が飛んでくるかと思われたが、いつまで経っても孫策は何も言わなかった。

「……お前は寂しく感じるかもしれねえけど。別にさ、二度と会えなくなるとかじゃないんだからな」

「分かってる」

「なら……いいんだ」

「うん。おめでとう」

「……ああ」

嗚呼。その言葉に、相槌を越える意味が込められているなどとは、乙女は思っていない。周瑜ならまだしも、直情的な孫策がそのように複雑な感情表現をするはずがないのだ。それを一番知っているのは乙女だろう。

それでも、その言葉に乙女の想像もできないような、家族愛を超越するなにかが密かに込められているのだとしたら。もしそうであるのならば。少しでもそんな願いを抱いた自分を、罰してほしいと乙女は思った。

人を、それも異性として意識して好きになったことなど、乙女にはない。だから、目の前にいるこの男に対する思いは決して恋ではない。そうでないと、この世の道理には到底合わない。だが恋がどんなものなのかを知らないのだから、これがそうである可能性も、無きにしも非ずだ。苦しいと思った。

孫策は妻になる女性のことを、常に嬉しそうに話す。この乱世を生き抜くには時に好きでない人間と一緒になることも珍しくない。だが孫策はそうではない気がした。きっと愛し合っているというのはああいうものなんだろうと乙女は二人を見て感じた。

あの時孫堅から縁談の話を持ち掛けられた時、素直に従っていれば良かったのかもしれない。そうすれば、この悲しみも和らいでいただろうから。まだ見ぬ愛を知れたかもしれないのだから。

乙女はもう一度、「おめでとう」と呟いた。

孫策はようやく気恥ずかしく感じたのか、はにかんで「うるせえよ」と言った。

(20240613)
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